明治5年に操業を開始した「富岡製糸場」。フランスと日本の技術が融合したその工場は、当時の製糸場の約2倍となる世界最大規模のものでした。少し前まで鎖国をしていた国が、突然世界最大の工場を作っただなんて、欧米列強諸国はさぞ驚いた事でしょう。

2014年に世界遺産に登録された「富岡製糸場」で、近代産業の夜明けを見ましょう。

出典富岡市・富岡製糸場

富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸[注釈 1]の工場である。1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が重要文化財に指定されている。

出典 http://ja.wikipedia.org

出典富岡市・富岡製糸場

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録された[1]。

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操業は「明治5年」

出典富岡市・富岡製糸場

大政奉還で明治維新、たった5年で当時世界1の工場を作ったというのですから、ちょっと驚きですね。

富岡製糸場は、明治5年10月4日(1872年11月4日)に官営模範工場の一つとして操業を開始した。

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製糸場の中心をなす繰糸所は繰糸器300釜を擁した巨大建造物であり、フランスやイタリアの製糸工場ですら繰糸器は150釜程度までが一般的とされていた時代にあって、世界最大級の規模を持っていた。

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正に「国家の威信」を賭けた大事業だったのでしょう。

当時の女工さんの暮らしぶりが記された「富岡日記」

出典世界遺産探険家

「工女になると西洋人に生き血を飲まれる」という噂があって、当初は工女がなかなか集まらなかったのだそうです。

当初は工女不足から210人あまりの工女たちで全体の半分の繰糸器を使って操業するにとどまった[32]。翌年1月の時点で入場していた工女は404人で、主に旧士族などの娘が集められていた[24]。同年4月に就業していた工女は556人となり[33]、4月入場者には『富岡日記』で知られる和田英(横田英)も含まれていた[34][24]。

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和田 英(わだ えい、安政4年8月21日(1857年10月8日) - 昭和4年(1929年)9月26日)は、官営富岡製糸場の伝習工女。『富岡日記』を著した。旧姓は横田。

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レンガに注目!「フランス積み」

フランス積みですね!

建築構造としての積み方にはフランドル積み(フランドルはベルギー全土からフランス東北部の地名。日本では明治期に「フランス積み」と誤訳された)

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唯一完全な形で残る明治初期の「木骨レンガ造り」

出典世界遺産探険家

レンガの間のグレーの柱が木骨です。西洋から入ってきた建築技術で、当時の最高建築基準とも言えるでしょう。(東繭倉庫)

木材による柱・梁によりフレーム (骨組)を作り、骨組の間に石材や煉瓦(時には漆喰やコンクリートも用いる)で壁体を作ることにより耐力壁とし、軸組と壁の両方で荷重を支える。

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製糸場外では「屋根」に注目

出典世界遺産探険家

屋根の上にもう1つ小さな屋根が。「越屋根」といい、場内の蒸気を外に逃すために作られました。

繰糸場内部は屋根の「トラス構造」に注目

出典世界遺産探険家

こちらも西洋の技術です。柱の無い広い空間を造り出すために取り入れられました。

構造形式のひとつで、部材の節点をピン接合(自由に回転する支点)とし、三角形を基本にして組んだ構造である。材質としては木材や鋼鉄が使われることが多い。

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明るく採光を取り入れた工場内の「窓」

出典世界遺産探険家

操業当時は電灯が無かったため、手元を明るくするために、沢山の窓ガラスが使用されました。これらは輸入したものだそうです。

繰糸機器が大切に保存されています。

出典世界遺産探険家

これらは明治初期のものではなく、1987年の操業停止時に利用していたニッサン製の
自動繰糸機が保存されています。

明治初期の様子は展示室で見られます

出典世界遺産探険家

これで糸が紡げるのか?!という位繊細です。

地元工女に在来の手法で糸を繰らせて日本的な特徴を把握しており、それを踏まえて製糸場用の器械は特別注文した

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どうやら日本特別製の機会だったようですね。

出典富岡市・富岡製糸場

現在の煙突は昭和14年に建設されたものです。明治5年の操業当時の煙突は、明治17年に暴風により倒壊してしまったそうです。

出典世界遺産探険家

七宝焼きでしょうか。禁煙です。

2014年に世界遺産に登録されてから大人気のようです。

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」その他の資産

田島弥平旧宅

明治初期に大きな影響力を持った養蚕業者田島弥平が自身の養蚕理論に基づいて改築した民家である。

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高山社跡

高山村(現群馬県藤岡市高山)の養蚕業者高山長五郎が1884年(明治17年)に設立した養蚕業の研究・教育機関である。高山長五郎は長年にわたり養蚕技術の研究を重ねており、前身となる高山組の発足は1873年(明治6年)のことであった。高山社は巡回教師の派遣と蚕業学校の展開によって、長五郎が確立した養蚕技法「清温育」(せいおんいく)の普及に大きく貢献し、その養蚕技法が明治中期以降の標準的な育て方になった。

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荒船風穴

明治時代後期から大正時代にかけては、全国的に風穴を蚕種(蚕の卵)の貯蔵に利用することが行われていた。その中でも、荒船風穴は最大規模の蚕種貯蔵施設として機能していた。

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富岡製糸場と絹産業遺産群(とみおかせいしじょうときぬさんぎょういさんぐん、Tomioka Silk Mill and Related Sites[1][注釈 1])は、群馬県富岡市の富岡製糸場、および伊勢崎市、藤岡市、下仁田町の2市1町に点在する養蚕関連の文化財によって構成される世界遺産暫定リスト記載物件である。2007年1月にいわゆる近代化遺産として日本で最初に暫定リストに含まれた物件であり[2]、日本の近代化への寄与にとどまらず、絹産業の国際的技術交流および技術革新を伝える文化遺産として2013年1月に世界遺産センターに推薦書が提出された。2014年6月に第38回世界遺産委員会(ドーハ)において、世界遺産へ正式に登録された[3]。

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「産業遺産」は、文化や自然などと違ってパッと見では、その価値が良くわからないかもしれません。しかしその背景や歴史を学べば、立派な世界遺産だと頷けるはずです。

「富岡製糸場」は世界に誇れる日本の世界遺産ですね!

【オマケ】富岡製糸場一番人気のお土産。。。。

うん。かわいい。

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遠藤まさみ このユーザーの他の記事を見る

■自己紹介
世界遺産を見る旅に出るため、脱サラから旅人に転職。
数百円の安宿から数万円の高級リゾート迄、年間100件近くの宿を渡り歩くホテルマニア。
世界遺産・ホテル・温泉・ビールが最早人生の旅人は、片言の英語と中国語を駆使して世界の何処かで生きています。

■プロフィール
T関連専門学校卒業後、オフィス機器メーカー・専門商社・コンサルティングファームと異業種を渡り歩く。幼少時から世界遺産が好きで、いつか世界遺産を巡る旅に出たいと胸に秘めつつも実行に移せず数十年。現在の夫と出会い意気投合し、世界遺産探険家として新たな人生を歩む事を決意。現在に至る。

2013年6月 車にて約2ヶ月半かけて日本一周。
2013年9月 世界旅行に出発
台湾・フィリピン・中国・ベトナム・カンボジア・タイ・マレーシア・シンガポール・ブルネイ・スリランカ・インドネシア 計11ヶ国滞在 54の世界遺産と9つの暫定リストを制覇。
2014年9月 世界旅行2年目突入!今年の目標は西アジアに辿り着くこと。

今年も世界遺産制覇目指してがんばります。

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