台北市の旧総督府をはじめ、日本統治時代の建築物が数多く残る台湾。近年、当地を襲った二度の大地震にもびくともしないその堅牢さと優美さ、そして台湾の人々の「日本統治時代は古き良き時代」とする思いから、今も大切に使われ続けています。

台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、そんな建築物の数々を紹介しつつ、日本人の先達たちが苦難の末に台湾に築いた歴史的建造物や街並みを訪れ、日台の絆を再確認してほしいと記しています。

【日台】台湾各地で進む日本時代の建物の観光地化

日本では今、古い建物をリノベーションして新しく生まれかわらせるといった動きがブームになっていますが、台湾でもここ十年来、同じようなブームが続いています。台湾での古い建物といえば、やはり日本時代の建築物です。

日本の建築は基礎も造りもしっかりしているので長持ちするため、戦後70年以上経った今でも、台湾に残された日本時代の建築物の多くは健在です。しかし、老朽化が進んでいるのも事実です。そこで、リノベーションが登場するわけです。

ただ、日本好きの台湾人のことですから、多くの場合、建物の原型や良さを尊重し、それらを有効に残しながら、使いやすいように改善することが多いようです。その典型的な例をいくつか挙げてみましょう。

宜蘭設治記念館

宜蘭設治記念館

台湾宜蘭県で、当時の行政長官「西郷菊次郎」(初代宜蘭県長)の官邸として建設された和洋折衷の建物です。歴代の行政長官が住んでいた官邸で、立派な建物の周囲には日本庭園や樹齢100年を超えるクスノキが保存されています。

建材は、太平山から切り出された檜を使っており、建築史学上でも貴重な存在です。公式ホームページの解説を以下に引用しましょう。

本建築約完成於1906年、庭園占地800坪、建築面積74坪、融合了日本木造房舍與西洋古典建築的形式、呈現和洋式混合的建築風格。除了官邸建物、庭園也是最具特色的空間、枯山水、枯石流的日式庭園景觀、花木扶疏、恬靜幽雅。

出典 http://memorial.e-land.gov.tw

この建物は、今は歴史館として、宜蘭県の200年に及ぶ歴史を学ぶ資料館になっています。また、同じ敷地内には、「舊宜蘭監獄門廳」「舊主秘公館」「舊農校校長宿舍」があり、「舊主秘公館」は日本料理店として活用されています。

舊宜蘭監獄門廳

舊主秘公館

写真をご覧になればお分かりになる通り、日本を意識した落ち着いた内装と、繊細な料理を提供しています。観光客が疲れた体をゆっくりと休めるにはちょうどいい場所です。

「舊農校校長宿舍」は、今は宜蘭文學館という名前に変わっており、文化交流の場として解放されています。金城武が登場した中華電信のコマーシャルのロケ地としても有名です。

宜蘭文學館

この宜蘭設治記念館の周囲は観光地として多くの観光客が訪れる場所ですが、この観光エリアの中心になっているのは「シルクプレイス宜蘭」という大型リゾートホテルです。

現代的な大型リゾートホテルを中心とした繁華街の中に、日本時代の建物群が存在するという、台湾の新旧の良さが両方味わえる観光地なのです。

シルクプレイス宜蘭

台湾文化やアートの発信基地に

もう一つ、日本統治時代のものをリノベーションして観光地化したものとして取り上げたい場所は花蓮です。花蓮は、1904年、賀田金三郎によって台湾で初めての日本人移民村「賀田村」ができた場所です。

賀田金三郎は山口県萩市に生まれ、大倉喜八郎の大倉組で頭角を表し、日清戦争後の台湾割譲により大倉組の台湾総支配人に就任しました。

その後、賀田金三郎は大倉組を辞職して賀田組を設立、マラリアが流行し、蕃人が現れる危険な地域であったうえに、不毛の地であった東部台湾において、樟脳製造や製糖、畜産業、運輸業などを興し、あらゆる面で近代化を図り、「東部開拓の父」とまで言われるようになった、台湾の近代化に寄与した功労者です。

民政長官の後藤新平とは肝胆相照らす仲だったといいます。まさに日本人移民の先陣として、台湾に尽くした人物です。現在でも花蓮には開拓記念碑が残されています。

賀田が花蓮に残したものは少なくありませんでした。その中には、製糖工場、酒工場、神社などがあり、今でもたくさんのものが保存されています。かつての製糖工場の建物は「花蓮糖廠」として残っていますが、工場としては機能していません。

アイスクリームが有名な観光地として、観光客を楽しませてくれています。工員の宿舎だった建物は、民宿として宿泊することもできます。

花蓮糖廠

花蓮観光糖廠

また、日本時代の酒工場跡地は、レストランや雑貨ショップなどが入る文化複合施設にリノベーションされています。

中ではスペイン料理も提供しており、天井が高く仕切りのない開けた空間は、とても新鮮で、開放感溢れる多くの観光客が訪れるスポットになっています。

恆好

恆好

このように、日本統治時代の建物は、現代風の観光スポットに次々と生まれ変っています。それらの中には、台湾文化や現代アートの発信基地になっているものも少なくありません。

台湾の名所古跡の多くが日本時代の建築物です。オランダ人時代の紅毛城(安平古堡)や赤嵌楼といった旧跡なども残っていますが、その他の建造物はレンガ造りの寺廟以外は、たいてい竹や草を土で固めた住宅のため耐久年数が短いのです。

西洋は石の文化と言われますが、古代ギリシャや古代ローマの建築が象徴的です。日本は木の文化とも言われますが、中国大陸の土の文化とも異なります。

明治維新以後、日本は木から石へと「文明開化」を進めてきたとともに、日本国内だけでなく、内地の延長として台湾や朝鮮にも石の文化が広がり、学校から政府官公庁に至るまで、近代的な建物が各地でつくられました。

もちろんそれは満洲でも例外ではありませんでした。現在、台湾朝鮮満洲各地で残されている古跡は日本時代のものがほとんどであるというのが現実です。それが東アジアの特徴でもあります。

台湾の日本時代の近代建築としては、よく知られているように、台北の総統府は日本時代の台湾総督府ですし、有名な問屋街である迪化街の建築物もそうです。

迪化街

日本時代の旧跡が多く残る理由

韓国では金泳三大統領の時代に、元朝鮮総督府を爆破しました。しかし、日韓併合の象徴といえども、大韓民国の建国史とも切っても切れない関係がある建築物です。

それを破壊するのは、易姓革命の国としての自爆の衝動からくるものではないかと考えています。

台湾はオランダ、スペインから倭寇のボス鄭成功三代、清、そして日本、中華民国に統治されましたが、古跡としてもっとも多く残っているのが日本時代の50年ということは特筆すべきことです。

1999年には台湾中部をマグニチュード7.6の巨大地震が襲い、2016年には南部を6.6の地震が襲いました。

そのとき、国民党時代に建てられた建築物が次々と倒壊していくなか、日本統治時代の建造物がびくともしなかったことは、台湾でも大きな話題となりました。

台湾大地震:日本統治時代の建築は「無傷」だった、まさに「台南の誇り」だ=台湾メディア

清は200年にわたり台湾を統治したものの、役人と匪賊が二重に税金を搾取していたため「三年一小反、五年一大乱」といわれるほど、反乱が繰り返されました

苛斂誅求の役人と匪賊の略奪しかない清の時代は、台湾史の暗黒時代とも言われ、反乱しかない社会は不安定極まりない状態でした。

海禁と山禁の200年は、もちろん原始時代のままでした。社会が安定しないかぎり近代経済は絶対に成り立ちません。台湾が1940年台に入ってから産業社会に変貌したのは、日本の警察が匪賊に代わって治安勢力となったからです。

日本統治時代、台湾の嘉義県の派出所に赴任した警察官で森川清治郎という人物は、村人のために匪賊対策を行い、寺子屋を設けて学問を教え、農業指導を行うなど、粉骨砕身で尽くしました。

最後は、台湾総督府に対して村人への税金軽減を嘆願し、これが叶えられなかったために抗議の自殺を果たしましたが、彼はいまでは「義愛公」として現地で神様として祀られています。それは、日本の警察官が生民の守り神となったからです。

森川清治郎の寺廟も観光の一大スポットとなっています。

台湾で神様になった日本人!森川清治郎巡査が祀られる嘉義県の富安宮

日本の古き建築物が優美さと堅牢さを兼ね備えているのはもちろんですが、韓国人と異なり、台湾人の多くが日本統治時代を古き良き時代として、当時の建物を大切に利用していることも、台湾に日本時代の旧跡が多く残っていることの大きな要因です。

日本人の先達たちが苦難の末に台湾に築いた歴史的建造物や街並みは、同時に日台の絆を今に伝える役目も果たしているのです。ぜひ台湾にいらして、それを感じていただければと願います。

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