米・ジョージア州、アトランタ動物園が、7日、手話ができるオランウータンとして有名なチャンテックが死んだと発表した。詳しい死因については明らかになっていないが、心臓病を患い以前より治療を続けていた。39歳だった。

人間の子供と同じように育てられたチャンテック

出典Chantek, the first orangutan person | Lyn Miles | TEDxUTChattanooga

手話を話す類人猿では、世界で初めて手話を使い人間とコミニケーションをしたとされるゴリラのココが有名だ。チャンテックは、そのココの成功を受けて、ある実験の過程で手話を覚えたのだ。

その実験とは「オランウータンの知能と心の研究」

人間と同じように育てたオランウータンは、どれだけ人間に近く優れた能力をみせるのか。当時、テネシー大学の大学院生だったリン・マイルズさんが母親の役となった。生後6ケ月のチャンテックはベビーベッドで眠り、哺乳瓶でミルクをもらい、あやされ、人間の赤ん坊が育つように大きくなっていった。

最終的に、手話で覚えた単語は150語。人や物、土地の名前だけでなく、動詞や形容詞も覚え、自分の思いを伝えるため、自ら新しい手話もつくった。それぞれを組み合わせて手話でコミニケーションもとれるようになった。

チャンテックが覚えたのは手話だけではない。店でコインをつかってアイスクリームを得ることを理解、手伝いをしてそのコインを小遣いとしてもらうことも覚えた。お買い物に行くドライブが大好きになった。

こうした人間社会での暮らしへの素晴らしい適応力は、我々を感動させた。

成長後はリンさんと一緒に大学へ

成長したチャンテックはリンさんの大学へ一緒に通うようになる。人懐こいチャンテックは学生の人気者となり、「天才オランウータン」としてTVにも出演する。リンさんとチャンテックの日々は幸せに満ちていた。

しかし7年もに及んだその生活は、ある日突然、終わりをつげることとなった。遊ぼうとしたチャンテックが、大学内で女子学生に飛びかかってしまったのだ。被害の大きさは公表されていないが、新聞にも大きく取り上げられたその事件がきっかけとなり、チャンテックは霊長類研究所へ送られることになった。

突然の孤独と誰にも通じない手話

人間の子供と同じように大切に育てられきたチャンテックは、その日から突然、狭い檻の中でひとりぼっちで過ごすことになったのだ。そこでの生活は、20年にもおよぶこととなる。

突然の孤独と実験動物としての扱い。もちろん手話など誰にも通じない。うつ状態で46kgだった体重は230kgを超えてしまった。

母親のような存在のリンさんが面会を許されるまでに、7年もの時間がかかった。ようやく面会を許されて会いに行った時の事を、リンさんは日本のTV番組のインタビューでこう語っている。

「チャンテックは見分けがつかないほどに変わってしまっていました。人間社会であんなにも楽しそうに暮らしていたチャンテックにとって、檻の中での孤独な日々は、想像を絶する環境だったに違いありません」

人間社会に戻ることなく生涯を終える

20年後、チャンテックはアトランタ動物園へ移された。そこは野生のオランウータンが生き生きと暮らせるように、森を再現した環境が用意された場所。しかしチャンテックにとっては、そこも全く未知の世界。馴染むのにどれほどの葛藤があっただろうか。

動物園に移ってから、チャンテックは飼育員に毎朝コインに見える金属片を拾っては渡してきたという。覚えると褒められた様々な行動の中でも、チャンテックが大好きだった「買い物」をしようとしていたのだ。しかし飼育員には、チャンテックのその行動の意味がわからない。

動物園に移ってからは、リンさんは定期的にチャンテックに面会し、手話で会話をしている。アトランタ動物園園によると、チャンテックは飼育員や心を許した相手とだけ手話で会話をしていたが、知らない相手とは手話を使いたがらなかったそうだ。

後にリンさんは講演会でこう述べている。

「私の養子であるチャンテックは、感情豊かで、自律心にすぐれ、とてもスマートです。もし問題があるとすれば、それはたったひとつだけ。彼が人間ではなく、オラウータンであるということです」

チャンテックは、自ら人間たちとの暮らしを選んだわけではない。彼らの中にある素晴らしい能力を知ることができたのは有意義なことだが、そのために奪ってしまった大きなものから目を背けてはいけないのではないだろうか。

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