『わたしが子どもをもたない理由』(下重暁子/かんき出版)

いきなり私事で恐縮だが、私は今年で結婚3年目になる。年齢はいわゆる「出産適齢期」。最近、どこに行っても言われるのが「子どもは産まないの?」という質問。正直私は、その言葉に嫌気がさしている。

「考え中」と返すと(これは紛れもなく本心で、産まないと決めているわけではない)、友達なんかは色々と察してそれ以上は追及しないが、親族や年配の方になると、そうもいかない。

「どうして?」はまだ分かるとしても、「どうするの?」と非難めいて言われたこともある。「これからの人生、子どもナシでどうやって暮らしていくの?」という意味だろうか。「それはそれでステキな人生だけど」とは言えないので、笑って流しておく。

…前置きが長くなりました。

「結婚したら子どもを産むのが当然」という風潮に疑問を抱いていた時、『わたしが子どもをもたない理由』(下重暁子/かんき出版)が目に入った。下重さんは数々の書籍を出版されており、中でも『家族という病』(幻冬舎)で注目を集めた作家である。

本書の中で、下重さんはこう述べている。

「子どもを産むことは、義務でも務めでもない。一つの選択だ」「(出産は)子どもを産むというより、人生の選択そのもの」。

その選択の結果、下重さんはご結婚されているが、子どもを作らなかった。

私はこの「人生の選択」という言葉が胸に響いた。

「子どもがほしい」という自分の強い意志ではなく、「結婚したら子どもを産むべき」という周囲の圧力を気にしたり、「社会の風潮で、なんとなく」というのは、「他人に≪人生の選択≫を左右されているのと同じ」だと気づいたのだ。

結婚相手を親が決めていた時代ならいざ知らず、今は仕事も恋愛も自由だ。もしも友人から「親の決めたよく知らない人と結婚する」と告げられたら、「えっ!?」と思うだろう。

「結婚したら当然子どもを産むべき」と思い込んでいる人や、それを他人に押し付けようとする人も、よく考えたらそれと同じレベルで驚くべきことなのかもしれない。

本書の内容はこちらの記事も参考にしていただくとして、本記事では下重さんが「なぜ、子どもを産まない選択をしたか」に少し触れたい。

下重さんは「産むことに反対」なわけではない。ただ、「自分はその選択をしなかった」だけだ。理由は様々にある。一つは下重さんが「生」に対して懐疑的であったこと。

「どうして生まれてきたのだろう」と感じ、子どもを産み「私自身が歓迎できない(命の)連鎖を、この先続けていく」ことに不安を覚えていた。

また、愛と期待が重たく感じていた母の子育てと、「同じことをしてしまうかも」という危惧もあったとか。

さらに仕事のキャリアを中断することへの躊躇(ちゅうちょ)や、「子どもがおらず、夫婦だけだから向き合える関係」を重視したこともある。単純な理由ではなく、様々な考えから、「産まない」選択をした。

また、下重さんの個人的な考えや経験だけではなく、本書の第2章では「子どもをもたない時代」と題して、こんなことが書かれている。

「私のまわりの子どもを持たない人々に聞いてみると、少なからず、子どもが育つ家庭で直面する困難を想像している人たちが多い」そうだ。

「子どもは親や環境を選んで生まれてくるわけではない」ので、この世に産み出してしまった以上、親はその「責任」を持たなければならない。本書ではこの「責任」という言葉が重たく光る。

「未来のことを考えても仕方がない」「そんなことまで考えたら、子どもは産めない」という意見もあるだろう。

だからといって、「後のことは知りません」と子どもと、その子どもが生きる未来に一切関わらないでいるわけにはいかない。「責任を持つ」ことの重さは我が子だけではなく、社会情勢にまでつながってくる。

子どもを持つという責任は重い。自分の人生ではなく子どもの人生まで背負いこむことになるのだから。何も考えずに産む人にとっては、子どもは分身、自分の一部、という思いがあるのだろう。

出典『わたしが子どもをもたない理由』(下重暁子/かんき出版)

…という、厳しい言葉も述べられている。

本書は、「子どもを産むことのデメリット」が書かれているようにも読める。だが、最も大切なのは「わたし」の意志だ。

子どもがいてもいなくても、結婚してもしなくても、それぞれがそれぞれの生き方を尊重し、自分の人生に責任を持って生きることが大切なのだ。

出典『わたしが子どもをもたない理由』(下重暁子/かんき出版)

下重さんの一番の想いは、多分ここにある。

本書を読んで尻込みしてしまうくらいなら、子どもを産むという「選択」をもう一度考え直した方がいいかもしれない。

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