子供の感情に寄り添うことは子育ての基本ですが、度を越して子の感情に配慮しすぎるのは避けたほうがいいようです。

無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』の著者・真井花さんは、一般社会で通用するのは「論理だけ」であって、子供の感情に付き合いすぎる親は、子供が自ら「判断基準を感情から論理に移行させる」ことを妨げかねないと記しています。

感情からリクツへ

さて、本日はだんだんオトナになるお話。

大人の集まりでは、頻繁に子供の話になるものです。そんな中で驚いたのが、「現代国語の問題」のお話でした。中間テストとか期末テストとかありますよね。それ以外にも国語の読解ドリルとかなんとか。その設問の多くが、

「●●の場合の主人公の気持ちを●字以内で書きなさい」

という、登場人物の気持ちを推測させるものであることです。まあ、データを取ったわけじゃないんですが、確かにリアル書店で国語のドリルを見ると、この手の設問が多いですね。

…でね。コレがコレだけなら、へーそーなんだふーんでオシマイなんですよ。ところが私、あることに気がついちゃったんです。近所のママたちや親戚の子供話を聞いているウチに。

・あの子があんなに泣くなんて、よっぽど欲しかったのかな
・●●って言われて悲しかったらしいの
・×××なんて怒っているんだと思う
・あの子の気持ちをちゃんと聞かないと

…ま、あくまで例なんですが、なんていうんでしょうか、こう、子供の感情に付き合いすぎじゃないですかね。

感情にばかり目を向けると「論理」を育てられない

人間には何かを決定したり判断したりするときに、要素になるものがありますよね。代表格はなんといっても「感情」です。好きかキライか、やりたいかやりたくないか。こういう気分でモノを決めること、大人にもありますよね。

大人はこれ以外にもモノサシを持っているものです。それが「論理」です。適法か違法か、トクかソンか、多いか少ないか、有利か不利か。こういうモノサシです。これはたいてい、数字や文字で表現できるので、社会ではとても重宝されるモノサシですよね。

…って、ハッキリ言えば、社会や会社で通用するのは「論理だけ」です。好きだからとかやりたくないからとかいう理由で他者を説得できることは、まずありません。そんな理由を忖度してくれるのはママくらいなモンです。

もっと言えば、ママ以外の人間に自分の考えや意見を通そうとするとき、感情以外のモノサシがないと、返り討ち!!ってことです。だよね?

なので、ある意味でオトナになるとは、

・判断基準が感情から論理に移行すること

と言い換えられるのかもしれません。件の国語の問題は、どうして感情にばかりフォーカスさせる設問が多いのでしょうか。

ひょっとしたら、感情が無視されすぎたときがあったのかもしれませんが、現在はそれを通り越して論理が無視されすぎていると感じます。

子供の感情に配慮するのはホドホドに。感情だけにフォーカスするクセがついて、いつまでも大人の判断基準が育ちませんよ。

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