どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』。今回は、映画『男はつらいよ』の寅さんによる口上でもお馴染み、今やお祭りやイベントでしか見られなくなってしまった「バナナの叩き売り」について。

メルマガ著者のUNCLE TELLさんが、その発祥の謎、そして現在は廃れてしまった理由について迫っています。

バナナの叩き売り

バナナといえば、バナナの叩き売りを思い出す人も多かろう。このバナナの叩き売りが全国的に有名になったのは映画男はつらいよの影響のようだ、と以前書いた。ではということで、バナナの叩き売り、その由来などネットで調べてみた。

バナナの叩き売り(バナナのたたきうり)とは、かつて八百屋、露天商、的屋などが行う、独特の口上を述べながら客を引き寄せて露天で売る手法である。ポンポンと威勢のいいことば、歯切れのいいことばで引き込むいわゆる啖呵売(たんかうり)。

大正時代初期に、福岡県は北九州市門司区の門司港周辺で行われたのが元祖とか。門司港がバナナの叩き売りが有名なのは、バナナを神戸に運ぶためにその過程で悪くなったバナナをいち早くさばくため。

また、当時、鉄道の九州の玄関口が門司港だったこと。バナナだけでなくて物資を運ぶためには、当時輸送は鉄道が主で、九州の玄関口が門司港だったためであるなどと、ウィキペディアにあった。

バナナの叩き売りは、なぜ始まり、なぜ廃れたのか

バナナは明治時代後期、日清戦争後、台湾の日本への編入などにより大量に輸入されるようになった。だが、バナナは完全に熟していない青いうちに収穫して運ばれ、問屋(室と呼ばれていた)で熟成させて各地に出荷された。

しかし輸送中の船内で熟成が進みすぎたり傷がついたものは商品価値が大きく落ちる。現在ではそのようなバナナは、菓子やジュースなどの加工品として利用することができるが、当時は技術がないため廃棄されていた。

傷む前に門司港につながる桟橋通で売っていたのがバナナの叩き売りの始まりとされている。時代を経て、物流の発達などによりバナナがごく安価になり、バナナ自体が珍重されなくなってきたため、バナナの叩き売りは廃れていった。

今では大道芸として、お祭りのイベントの一つとして行われることがある。発祥の地、門司などでは「バナナ叩き売り保存会」が設立され、叩き売りの継承に努めていると聞く。

郷愁のバナナ物語

今の若い人たちにはとうてい理解しがたいことかもしれないが、バナナは、かつて、団塊の世代以上には一種、あこがれ的な果物であった。

そして高価な果物の印象が強かったが、今はもう「な~んだ…バナナか!」的存在になってしまっている。一房、5~6本ついたもので200円以下。最も安い部類の果物である。

昔々、入院見舞い土産などに、たいそうな果物篭に詰め合わせて持って行って、喜ばれたものである。その篭の中でもバナナは主人公であった。今は実際のところ土産に持って行く人はいないだろう。

おいしく、栄養価も高いバナナ。それ自身は少しも悪くないのに、この相対的価値・ありがたみの低落はどうだろう。

今のこどもにおじいさん(もうお父さんではない)のこどものころの“あのバナナを腹いっぱい食べたい”というバナナへの思いを、いくら説明してもそれは無理かもしれない。

昔々、仕事かなんかで久しぶりで東京へ出て来たお父さん、バナナをかばんにつめられるだけつめ家族へのお土産に。東京上野界隈ではそんな風景が良く見られたのだろう。

普段は、一本のバナナを人数分に切って食べたり、病気の時、一本丸ごと食べさせてもらったなどと言う記憶がある。そうやって食べた時のおいしさは格別だったと、ネットで述懐している人も。

また、昔のテレビのギャグで、歩いていてバナナの皮を踏んで滑るというのを良く見かけたものだ。さすがに今ではみかけないが、それもバナナが貴重で、人気があったからだろうと…。

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