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見ず知らずの他人との「ある一定の距離」を超えたコミュニケーションが苦手だ。店で店員に何かを尋ねたり、交番で道を聞いたりするのは全く抵抗なくスムーズにコミュニケーションできる。

それは「今必要な情報を、然るべき人間に尋ねている」という何だか正当な事実があるからだ。

しかし、バスに乗っている時に隣に座った人同士が、初対面にもかかわらず「今日は良い天気ですね~」とか何気ないやり取りをしている場面を見ると、凄いな、自分にはできないな、と思ってしまう。

私は「ごきげんよう文化」と呼んでいるのだが、子供を連れて歩くようになってからというもの、このごきげんよう文化に出くわす確率がいきなりアップして困惑している。

子供というのは時として存在そのものが「コミュニケーション取りましょう」のプラカードのようだ。特にまだ言葉を話せない(まだ自力じゃ何もできない)新生児期~1歳数カ月の子供には、微笑ましそうな表情で優しく笑いかけてくれる大人も少なくない。

子連れ外出は邪魔扱いされることもあれば、微笑ましい良い光景として見られることもあるわけだ。

しかし私自身は初対面の他人とのコミュニケーションが苦手なものだから、子連れだからといっていきなり話しかけられるとフリーズしてしまう。

しかも、我が子のほうから他人に「ニコッ」っと愛想を振りまいたりすることもあって、そうなったらこちらも避けるわけにはいかない。

「あら~何カ月?」とか「人見知りはするの?」とか聞かれて、「ろ、六カ月です」「はぁ、ちょっとしますね~」と答える。赤の他人といきなり「会話」を始めることが苦手な私でも、問いかけられたことに返すくらいならそこまででもない。

しかし「ボク、ママとお出かけ良かったわね~」とか、子供に向けて話しかけられると一転、「はわわわ」となってしまう。え、子供はその言葉に返事ができないけど、私が代わりに息子になりきって返せばいいのか?と。

こういうとき、何て返すのが正解なのかわからない。

何で対象が幼子になるだけで、今まであったハズの「人と人の間にある壁」が取っ払われるのだろう?本当ならそれ自体がとても微笑ましい光景であるハズのことなのだろうが、私にはとても大きな、必要な壁。

他のお母さんたちはこんな時、どうやり取りしているのだろう?

求められるコミュニケーション能力

ある日、バスの待ち時間にたまたま、子連れのお母さんと中年女性が会話をしているのを聞いた。中年女性が「あら~今日はお出かけなの?どこ行くの?」と、ベビーカーに乗せられた赤ちゃんを覗き込んで話しかける。

母親は少し声を高くして「今日はお花見にいくの!」と“返し”た。子供のセリフを代弁しているのだ。すごい、まるで神田うののブログみたいだ!(※神田うのはブログで娘「こうのちゃん」になりきって文章を書くことが多々ある)

見ず知らずの他人にこれができるって、私にとっては物凄くレベルの高いこと。尊敬のまなざしで見ていたのだが、母親は子供のセリフと自分自身のセリフを見事に使い分け、中年女性と会話していた。

私が勝手にすごいと思っているだけで、傍から見たらどこにでもある微笑ましい光景であるし、その場の空気になじみきっている。どこにも違和感が存在せず、ただ時間や空気が流れるままに身を任せている様子が本当に羨ましかった。

一瞬でも「自分以外」の人間になり切って、赤の他人とコミュニケーションを取るだなんて…演技力というか、対応力というか、私には到底できっこない。

スーパーで買い物をしていると、わりと高頻度で他人から子供に話しかけられそうになるのだが、相手の話しかけそうな気配(子供に対して)が分かるので、そうなると私はつい興味もない商品を手に取ったりして相手の視線に気づかないふりをしてしまう。

そして、相手と子供がコミュニケーションを“取り終えた”頃合いを見計らって「どうも~」程度に微笑んで去っていくのが私のやり方だ。

ただし、少し離れた場所から子供に手を振ってくれたりした場合、まず目線をどこにやったら良いのかが分からず混乱してしまう。他のお母さんたちは、またお父さんたちは、こんなことで困惑したりしないのだろうか。

こんな母の心境を知ってか知らずか、もうすぐ一歳になる息子は、最近見ず知らずの他人に愛想を振りまくことが本当に多い。一瞬で通り過ぎるような場面でなら良いが、その場にとどまるしかできない空間でそれをされると私はたちまち困ってしまう。

よくあるのはエレベーター内だ。ただでさえ人と人の会話がほぼ存在しない密空間で、大人たちの顔を見上げてはニコーッと笑いかけるものだから、ヒヤヒヤしてしまう。

皆が皆他人同士だから、静かな中「あら~!」なんて言い出せる切り込み隊長はなかなかいないのだが…1分にも満たないわずかな時間でありながら、つい緊張する一時だ。

息子を抱きかかえながらバスの優先席に座っていた時のこと。息子は、後ろに座った女性の顔を見てたちまち笑顔になり、相手の女性が笑ってくれると照れたようにうつむき、また見て笑顔…を繰り返していた。

そんな「赤ちゃんの大正解」みたいな行動は親戚とかにやってくれれば良いものの、こんな場で他人様にされてはこちらがどうして良いか分からない。

目的地が終点だった私たちの後ろには、入れ替わり立ち代わり違う乗客が座ることとなり、女性の次はカップルの若い男女、その次はサラリーマン風の若い男性二人組が息子の「相手役」になった(ならざるをえなかった)。

もし後ろに座った人が私のようなタイプの人間だったら、息子の行動は迷惑でしかないだろう…と気が気ではない。そりゃ私だってニコニコしている幼子に「何だよこの赤ん坊。迷惑だな~」なんて思うわけではないが、リアクションに困るということだ。

その乗客は本を読んだりスマホをいじったり音楽を聴いたりしたいかもしれないのに、「赤ちゃんを無視しちゃ悪かろう」と気を遣っているのではないか、と心苦しくなる。申し訳なく、早く終点来ないかな…と願っていた。

こんな時「上手なお母さん」だったら、自分もそこのやり取りにさりげなく参加し、大人同士の会話にまで持っていくのだろうか?

キッズランドという試練

さらに、小さな子を育て中の身として、ささやかな悩みとなっているのは、「見ず知らずの親子」とのコミュニケーションだ。

よく行く大型スーパー内のキッズランドは、子供が自由に遊べる広々としたスペースやおもちゃ、アスレチックなどがあり、0歳児~小学生ぐらいまでの子供と同伴の親で溢れ返る賑やかな場所だ。

小学生くらいになれば「他人」をしっかり区別でき、自分のテリトリー内で遊ぶことができるが、0歳児の息子は自分の興味の対象にまっしぐらになり、他の子が遊んでいる輪の中にも平気でズケズケ入っていく。

この時に私の緊張のバロメーターは振り切ってしまう。

元々昔から子供嫌いだった私は、母親になった今でもよその子とどう向き合って良いのかわからず、コミュニケーションを取るのが容易ではない。

息子は平気で他の子が遊ぶテリトリー内に入り、一緒に遊び始める(時には邪魔する)ので、親の私としてはその子に何らかの言葉をかけなければ不自然だとは思うのだが…。

「ごめんねぇ~」と言ったあとに、息子に対し「ほら、お兄ちゃん(お姉ちゃん)の邪魔しちゃ駄目だよ」と声をかけるのが精いっぱいで、こういう状況が私はものすごーくツライ。

「すみません」と謝って退散できたらずーーーっと楽なのに、相手が子供なもんだからそうはいかない。

私は子供相手に「人見知り」しているんだろうが、相手が子供なぶん、「いかにも大人らしいスマートなよその子への振る舞い」をしなければならない気負いが生まれて、萎縮してしまう。

赤ちゃん言葉を使うなんてもってのほかだけれど、いわゆるタメ語(「××なの~?○○だね~」とか)でよそのお子さんに話しかけるのも非常に苦手だ。

でも不思議なことに、周囲のお母さんは皆、そこら辺上手に“なんてことなく”やっているように見える。

中には私のように、内心大赤面な母親もいるかもしれないが、そんなことは微塵も見せない。見せないだけで皆努力しているのだろうか?

小学生くらいの女の子がたこ焼き屋さんごっこをしていると、息子はそこに歩み寄り、女の子が「焼いている」たこ焼きを次から次へと手に取り、他の場所に置いてしまう。

息子はもちろん意地悪をしているつもりではないのだが、私が女の子に「ごめんね~(汗)」とたどたどしく詫びていると、女の子の母親が慣れた口調で私の息子とコミュニケーションを取り始めた。

「ちっちゃいたこ焼き屋さんだ~上手だねぇ~」

そして女の子に、「ちっちゃいたこ焼き屋さんにも焼かせてあげな~」と、まるで普段の会話ぐらい違和感のない調子で告げている。そのお母さんは子供同士の世界にスッと入っていけてるように見えた。ますます行き場がない私は傍観者に徹する。

ベビースイミングの更衣室にて

私は息子を週1でベビースイミングに通わせている。対象年齢は4カ月~3歳となっているが、今のところ息子が最年少で、同じクラスの子は1~2歳くらいが多い。レッスンは60分、参加人数はその時にもよるが大体7~10人程度。

母親(たまに父親もいる)と子供はセットでレッスンに参加する。

レッスン中は皆、自分の子で手いっぱい(怖がったり泣いたりする時もあるので)だが、レッスンが終わり着替えをする時には親同士、いつも親しげに会話している。

よその子を「〇〇くん(ちゃん)」と親しげに呼び、子供の反応一つで笑いを共有したりしているが、通い始めて半年、私は未だにこの輪に馴染めずにいる。

むしろ、レッスン中は子供同士・親同士コミュニケーションを取るような場面は滅多にないのに、なぜ他の子を愛称で呼ぶほど親しくなれたのだろう?と疑問しかない。

以前に記した「ママ友」みたいな“いかにも”な雰囲気ではないし、ましてやレッスン後ランチを…なんて外部にまで及ぶ付き合いはしてなさそう。

あくまでその場だけでのコミュニティで、今のところ「ボス」がいるわけでもないし、苦手なタイプの人たちではない。なのに馴染めない。その会話に混ざることが出来ない。

なぜなら、更衣室での会話は全部、母A→母Bではなくて、子A=母A→子B=母B、という形式になっているから。つまり、どうしても私がやれないタイプのコミュニケーションで成立しているからだ。

子供を着替えさせ、その後自分たちも着替え、髪を乾かし、ロッカールームを出るまではおおよそ30分程度だが、その間に「ウチの旦那がさぁ~」とか「最近仕事でさぁ~」とかいうフレーズは聞いたことがないし、それどころか“共通の話題”であるハズのスイミングコーチの話題すら出ない。

“何を話していた”と記憶していないくらい、その場で起こっている(子供の)ことを実況するように話して、その30分をスムーズに流している。

女性同士のコミュニティにありがちな「陰口」が存在しないことは良い側面だろう。そもそも最初から、子供の言動・行動にスポットを当てた会話(付き合い)しかしていないのだから、ネガティブなワードは全然出ない。いつも場は穏やかで明るい。

1~2歳といえば心身の成長著しく、先週はできなかったことが今週は上手になっている、なんてこともしばしば。

たとえば自分で身体を拭くようになった、自分でパンツを履くようになった、など…それらを誰かが「わぁ~!〇〇ちゃん(くん)上手じゃ~ん!」とホメ、褒められた子の親は「今日はやる気があるみたい(笑)」とか「〇〇くん(ちゃん)にかっこいいとこ見せたいんだよ~」と返す。

よその子供に「ごめんねぇ~」と言うことすら抵抗がある私は入り込めない。

息子がニコニコ笑っているのを見て、「笑ってくれるの~ありがとう~」とか「今日ボール遊び上手にできてたね~」とか声をかけてくれるお母さんもいるのだが、他のお母さん同様に子供目線の、柔らかく自然なやり取りを交わすのは私にとってとっても難しい課題。

別にそれをしなくたって、笑顔であいさつを交わすことはできているわけだし、決して悪い関係ではないのだから敢えてどうこうする必要はないのだけれど…。

お母さんの仮面を被れない

もともと子供好きであるとか、子供の扱いが上手い人だけがお母さんになるわけではない。結果として、自分が産んだ子のお母さんになるだけであって、一般的な「お母さん像」の姿に近くなるかどうかは全く別の話だ。

そして私はそういう「お母さん像」に当てはまるタイプの女性ではないと思う。その「お母さん像」に近付きたいとは思わないし、近付く必要もない。

けれど「お母さん像」というか「お母さんの仮面」を被った振る舞いを求められる場面があまりにも多いことで、しばしば息苦しい思いをする。その一例がこうした、子供を介したコミュニケーションだ。

自分みたいな母親って、多くはないかもしれないが、他にもきっといるだろうと思う。

一見くだらないように見えるかもしれないし「そんなことで悩む!?」と思う人も多いだろう。確かに私自身、深刻な悩みというわけではないけれど、いちいち困惑したり緊張したり居心地の悪い思いをしたりするのはイヤだ。

この「ごきげんよう文化」をこなすという課題は、地味に重い。一見なんでもないようなことを上手にやれてるか不安で心で大赤面する、というのは結構なエネルギーを使うものだ。これから長く続く育児生活、少しでも慣れたいとは思っている。

ただ、この葛藤も案外、今だけなのかも、とは思う。

息子がもう少し大きくなり、自分で他者とコミュニケーションを取れるようになれば、コミュニケーションの軸を息子に置くことができ、「私と息子の二人」と「他者」として楽にやり取りができるかもしれない。

こなれて見えるお母さんたちもそうやってソワソワする時期を乗り越えているのかもしれないし、子供が成長すれば、子供目線での他者とのやり取りなど何てことないのかもしれない。

小出 愛

1981年生まれ、学生時代から10年以上スポーツ一本、卒業後はスポーツトレーナーとして第一線を志すも、いろいろあってパチ屋店員に。そこで旦那と出会い、結婚、2016年に第一子出産。プロレスは知らないけど猪木が好き。ママ友ヒエラルキーには入りません。

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