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幼い子供をもつ親たちにとって、外出の際の移動手段は頭を悩ませるもの。バスや電車など、密閉された公共の場で子供が泣き出したり騒ぎ出したりするのは珍しいことではなく、周囲の目が気になる親は多いだろう。

ただでさえ、ベビーカーや子供の荷物などで親は身軽な状況ではないため、そこで子供が泣き出したり落ち着きなく動き出したりしたら、とにかく焦る。マイカー移動が基本の家族もあるだろうが、筆者の住む東京都内では少数派だと思う。

子供にとってもいつもと違う環境や、人がひしめいている窮屈な場所というのは居心地が良いものではないだろうしストレスに感じるであろうことも心配のひとつ。

子供が安心して落ち着いた状態で移動時間を過ごせるように、親はお気に入りのおもちゃや絵本、お菓子、動画などを駆使する。しかしそれでも、子供を思い通りに操れることなんてない。

些細なことでも敏感に感じ取り、いつもとちょっと違う環境なだけで大泣きしたり大声を出したりする子供は珍しくない。

小さな子供は当然「大声を出せば周囲に迷惑がかかる」なんてことは分かっていないわけだから、決して他人への攻撃としてやっているわけではないのだが、子供の泣き声や癇癪を起こした時の叫び声などは、大人にとって決して心地良い「音」ではないのも事実で、そこの温度差をうまく調整するのが親に課せられた役割というわけだ。

子供好きではなかった私

私は元々「子供」という存在が苦手だった。

ところ構わず泣くわぐずるわ…スーパーなどでしゃがみこんで大泣き、癇癪を起こしてる小さな子供を見ると、「私は絶対母親になんてなれない」とその都度思ったものだった。

しかも、子供には理屈が通用しないし(当たり前だけど)、大人たちがいくら向き合って話し合おうにも、なかなかそうはいかない。

自分の思いのままにただただ自由にしているように見える(それを許される傾向にある、とも見える)「子供」という存在に、嫌悪感を抱いていたのも事実だ。

子供が全員そうだというわけではないし、泣くと手が付けられなくなるような子供だって泣いてないときは可愛かったり、他の人に思いやりを持って接することができる時はあるだろう。

おもちゃを譲ってあげたり、大人に「どーじょ」とお菓子をくれたりとか。

でもやっぱり、街中で見かける(というか目が行く)他人の子供の姿というのは、親の手を煩わせ、自我を目いっぱい発揮している場面が多かったりして、私はずっと子供嫌いな大人だった。

「子供は煩くても仕方ない」を、周囲の波長と合わせるには?

子供が泣いたりするのは致し方ないことだが、その泣き声や癇癪を起こした時の「キーー」という何ともいえない耳をつんざく“爆音”は、聞いていて不快になる。同じように感じる人は少なくないだろう。

「公共の場では人様に迷惑をかけてはいけない」という認識は、常識ある大人なら誰だって持っている。

だからきっと多くの親は、「仕方ないこと」と分かってはいても公共の場(交通機関など)で子供がそうなれば、少しでも大人しくできるように最大限の配慮をしているはずだ。

それでもダメなら一時その場から離れる(途中下車など)もやむをえないかもしれない。

ただ、まれに「泣く」「わめく」「騒ぐ」がまるで普通かのような顔をしている親も中にはいる。いわゆる“迷惑親”だ。

子供がレストランなどで走り回ったり、他客の席と連動しているようなソファーでバンバンと跳ねたり物をあちこちに投げたりして、明らかに度を越した迷惑をかけているのに、親同士はその子供を放置して楽しくおしゃべり…なんてパターンを、たまに見かける。

まだ息子を出産していなかった独身時代の私は、子供たちのふるまい以上に、こういった親たちの行動に憤りを感じていた。

皆が皆、私のように「迷惑だ」と思っているわけではなく、こういった光景をたまに「元気で良いわね~」と微笑ましそうに見ている人もいる。

大学生がヘッドフォンで大音量で音楽を聴いていても、中年女性グループがギャハハハと大声で盛り上がっていても「若くて良いわね~」「仲良しで良いわね~」とはならないわけだから、“煩い”を許容される(こともある)子供という存在は社会の“常識”の範疇を超えて特別な存在なのかもしれない。

しかし、どうなのだろう。その子供を連れている親たちは大の大人であり、「うるさくすれば他人に迷惑がかかる」ということを十分に認識しているハズの人たち。だから、明らかに迷惑行為を放置しているような親は、容認できないと思う。

私は昔から子供嫌いだったこともあり、公共の場などに子供がいるとつい神経がそちらに行ってしまう。

子供が周囲に迷惑となるような行動を取ると、「迷惑になるからやめなさい!」と叱り、周囲になんらかの被害が及んだ場合は子供に「ごめんなさい」を言わせ親も丁寧に謝罪する、というケースもあれば、苦情を申し入れられても詫びを入れず、子供に対し「ほら、怒られるからやめなさい」と告げるケースも見た。

何が「親として正しい姿」なのかを明確にしたいわけではないが、「子供はおりこうにできなくて当たり前」という認識が「それは迷惑行為ではない」に直結した考えを持っている(というかそもそも気にならないのか)親もいるだろうな、ということだ。

それは私はやっぱり、許容できない。だからこそ自分自身が親になった今、めちゃくちゃ配慮を重ねているのだが、子供の溢れんばかりの「表現」と、周囲が抱くであろう不快感の両方をある程度視野に入れて行動することが必要となり、これがまた大変だ。

新鮮な経験をたくさんさせたい

昨年母親になり、この問題が客観視できなくなった。子供に自由に表現させてあげたい、無理に抑え込んでしまいたくはない。でもそれによって他人に与えてしまう迷惑も気がかり…。となれば、公共の施設に行かなければ早い話なのだが、そうはいかない。

子供を産むまでは、「そもそもこんな“じっとしていられないであろう場所”に連れてくるから親も大変だし、周囲も迷惑になるんだ」と考えていた。

移動手段である電車やバスなどは仕方ないにしても、ファミレスなどは親の都合でムリに連れてこなくても…と考えていたのだが、親になった今となっては、やはり手がかかることはわかっていても色んな場所に子供を連れて行きたいという願望がある。

どこかプレイパークへ連れて行ったりすれば、ランチが外食にもなる。入りやすいのはファミレス、といった具合だ。

子供が小さいのは今だけで、子供が見せる表情や成長を様々な場面で見ていたい。家にこもっていれば誰にも迷惑をかけないだろうが、「初めてのもの」「新鮮なもの」を目の当たりにした時の子供の目の輝きようはすごいものだ。

先日、親子三人で大型スーパー内にあるレストランに食事しに行ったが、休日ということもあり人がごった返していて、これは周囲に全く迷惑をかけないなんて不可避だろうというのは最初から分かっていた。

夫と二人がかりで抱っこしたりあやしたり何とか間をつないでいたのだが、子供がこの日初めて“お子さまランチデビュー”をし、カレーとデザートを完食し嬉しそうに拍手(意味はないだろうが)している姿を見たら、たかがこんな事がこの世のものとは思えないほどの喜びで包まれて、その時の私と夫の表情を他人が見たら完全にだたの親バカだっただろう。

だから今となっては、小さな子連れの親たちが、いかに手がかかろうとも「色んな所に連れて行きたい」「色んな感動の経験をさせてあげたい」と思う気持ちは理解しているつもりだ。

そのほかにも、こういった飲食店は家で食事を用意する時間がない時など、子供に適量&内容の食事を手早く提供してくれるとても便利な場所であり、ササッと食事を済ませて帰るために利用する人も多いだろう。

ただでさえ育児の膨大な仕事量に日々追われている親たち、これが「うるさいから子連れは来るな」という風潮になってしまうと、とっても子育てがしづらくなり、少子化だって深刻化していくんじゃないだろうか。

子連れでの外出を少しでも楽にするために

「どんなに大変でも色んな所に子供を連れて行きたい」「様々な施設を利用したい」こういった心理は、親になった今、よく理解できる。しかし未婚時代に「子供の行動が迷惑」とさんざん考えてきただけに、その想いも頭から片時も離れることはない。

実母や夫からは「気にしすぎだ」と言われることもあるが、やはりあの「不快さ」を他者に与える側でありたくはないし、それに自分の子が可愛いだけに他者から「迷惑な子供だ」と不快な顔を向けられてしまうのも親として何だか本意ではない。

しかし、まだ1歳にもならない息子に、「こういう場ではお行儀よく」なんていうしつけが通用するわけもなく、当然あちこちで泣いたり大声を出したり、実際「うるさいな~」と他者に不快感を与えてしまったことはきっとゼロではないと思う。

これは極端なケースだろうが、「子供を連れている」だけで非難の目を向けられ、嫌な気持ちになったこともあった。エレベーター前でベビーカーに乗った子供と二人で待っていた時のこと。

降車する人がいたので十分なスペースを作ったのだが、ドアが開くなり「邪魔だ、通れねえよ」とばかりに迷惑そうな顔でその場に立ち尽くす中年男性がいた。

また、夫とスーパーのチャイルドシートに初めて子供を乗せ、ちゃんとつかまって乗れた事の喜びを語り合っていたところ「そういうのやめてもらえます~?」とため息交じりの文句を吐き捨てた中年女性がいた。

私たちや子供が彼らに直接迷惑行為をしたわけではないものの、さも幸福そうに振る舞っている家族の構図だったり、そもそも子連れというだけで気に食わなかったり、はたまた「子供は無条件にかわいいもの」というようなイメージが大嫌いだったりするのかもしれない。

あるいはたまたまムシのいどころが悪かったとか。元々やたら心配性なうえ、子供が他者に迷惑をかけてしまうことに敏感になっている私だから、こういう極端な経験である種の警戒モードに拍車がかかってしまっている。

私は「子供そのもの」ではなく「うるさい子供」に嫌悪感を抱いていたわけだが、その心理としてはやはり「堂々とうるさい」そして「それを容認されている」ように見えたからだった。

子供の泣き声や奇声などが不快であることはいかなる時も変わらなかったが、その親がそれを必死に制止しようと励んでいるのを見ると、「大変だなぁ」と親に対する労いにも似た気持ちにシフトしていった。

とはいえ、親がどんなに力を尽くそうと、子供の“初期段階”の行動を静止するのはほぼ不可能であり(突発的にあらゆることをし出すのが子供だ)、つまり他者に一切の迷惑をかけないというのも子連れで出かけている以上難しい。

それこそ「一切外出しない」とかでない限り不可避だ。

結論から言えば、TPOも何も理解していない子供を連れて出かける際に「一切他者に迷惑をかけない方法」なんてものはないに等しいだろう。

しかし、子供の荷物やベビーカーを抱えて子供に常に気を配りながら外出している親たちはただでさえ「身軽」ではない。

だからせめて身が縮こまるような思いは少しでも回避したいし、当事者にとってもその他の大人たちに取っても双方がバランスを取れるような方法を追求したいものだ。

じゃあ、どうすれば私たち子連れ親たちと、その他の大人たちの間でWin-Winの関係が築けるのだろう?

あるwebサイトにこんな記事を見つけた。外国の話なのだが、とある子連れの夫婦が飛行機に搭乗した際、周囲の乗客らに小さな袋に入ったキャンディーを配ったそうだ。そこには小さな手紙が添えられていた。

『こんにちは!ぼくたちは生まれて14週間の双子の兄弟です。飛行機に乗るのは今日が初めて。お行儀よくするように頑張るけど、もしも落ち着かなくなったり怖くなったり耳が痛くなったりして迷惑かけたらごめんなさい。ママとパパ(別名:歩くミルクマシーンとおむつ交換機)が耳栓を用意しています。ぼくたちは20Eと20Fの席にいるから必要な時はいつでもどうぞ。みなさんにとって素敵な旅になりますように!』

このユーモア溢れるエピソードにネットユーザーたちが賞賛の声を寄せていた。一方で、「こういうことをしなければ機内の乗客は赤ちゃんが泣くのを許せないということならそれはすごく悲しいこと」という意見もあった。

ともかくも、「親として配慮してますんで、ご勘弁ください」という姿勢があるとないとで、周囲の捉え方は大きく変わるという一例だ。

小さな子供を連れているだけでビクビクしたり、周囲に引け目を感じなければならないとしたらすごく悲しいことだ。そもそも子供が発する騒音などをどこまで許容できるかは人それぞれだし、初見でそれがわかるハズもない。

そして、騒音自体を「完全回避することができない」以上は、親たちが少しでも安心して過ごせる土台のようなものを作っておくしかないだろう。

冒頭にも述べたように、中には子供が騒ごうが暴れようが気負わず快適に過ごせるという親だっているだろうが、私には不可能だし、そういう親たちの心理を理解することも難しい。

極端に心配性の私だが、必ず実行していることと言えば、交通機関やレストランの座席に座るときには、周囲の人に「すみません」に似たような会釈程度の挨拶をする。

これは、周囲への配慮をするつもりでいますという意思を示して、相手にも安心してもらいたいという表れなのだが、それが伝わっているか、または伝わっていた所で迷惑は迷惑だと感じる人もいるかもしれない。

しかし少なくとも、私自身がこれをすることで少し安心して子供と過ごすことができている。

間もなく迎える息子の1歳の誕生日は家族で初めての1泊旅行を予定している。予約の際はなるべく周りが空室になりやすい部屋を用意してもらい、もし当日宿泊客が居れば一言挨拶をしておくつもりだ。

ホテルのバイキングは交代制で行き、少しでも子供が「大勢の中に居る」時間を減らす。これが「子連れ親の正解」と言いたいのではない。これをすることで、私自身が少しは安心・快適に過ごせるという保険のようなものなのだ。

子供が公共の場で大人しく過ごしていられたらそれが親にとっても周囲にとっても一番だ。そのために、睡眠薬を飲ませるという少々強引な方法もあるようだが、その安全性が保障されていないことからもあまり望ましくはなさそうだ。

何度も繰り返すが子供は「泣くもの」「騒ぐもの」これはもう仕方ない。そして、それを見ている側の許容の度合いも違うのだから「これをすれば万全」なんて策はない。

だったら、やっぱり親自身が必要以上に気負わなくて済むような方法を模索するしかないだろう。

私は自分の子供にたくさんの経験をさせ豊かな心を育てたい。それに「今」しか見れない子供の成長に立ち会いたいと願っている。

公共機関や施設で周囲の目を気にするあまり、子供と過ごせる喜びが半減してしまう、またはそれらを恐れるあまりなかなか思うように外出できず小さくなっていなければならないのは、とても残念なことだ。

全ての人に「子供に対し寛容な気持ちで」と求めることは傲慢だと思うが、余計な摩擦は減らしたい。親と周囲の人間の双方が気負わずに過ごせる場面が1つでも多くあることを願う。

小出 愛

1981年生まれ、学生時代から10年以上スポーツ一本、卒業後はスポーツトレーナーとして第一線を志すも、いろいろあってパチ屋店員に。

そこで旦那と出会い、結婚、2016年に第一子出産。プロレスは知らないけど猪木が好き。ママ友ヒエラルキーには入りません。

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