記事提供:日刊SPA!

18年の付き合いであるという棚橋弘至と、トレーナーの芳原雅司氏(右)

「100年に一人の逸材」として新日本プロレスを支え、牽引してきた棚橋弘至。「疲れない、落ち込まない、あきらめない」をモットーに、華麗なる戦いを披露してきた彼だが、近年はケガにも悩まされてきた。

そんな棚橋がメンテナンスにおいて絶大な信頼を寄せているのが、芳原雅司氏の施す「忍者マッサージ」だ。

忍者マッサージとは、古くは甲賀流忍者が用いていた秘術で、日本酒を用いて全身のツボを正しくさすることで疲労や不調を短時間に回復させるというもの。

その確かな効果は、棚橋のみならず、吉田沙保里、伊調馨、小原日登美など女子レスリング五輪金メダリストや新日本プロレスの各選手たちもこぞって推薦している。

そんな忍者マッサージとメンテナンスについて年初、棚橋と芳原氏が行なった対談を公開する。

◆ぎっくり腰が一日で改善。翌日の試合でメインを張れた

芳原:僕と棚橋選手の出会いは、名古屋の「千代田治療院」で僕が師匠の右近克敏先生の弟子をやっていた頃でしたね。

棚橋:もうダメかと思うほどの痛手を負っても、一晩で試合ができるようになる。そんな素晴らしい治療院でした。

芳原:そうでしたね。右近先生は53歳の若さで逝去されましたけど、僕は今でも日本一の治療家だと思っています。

棚橋:僕がプロレス界に入って今年で18年。芳原先生とのお付き合いは最初からですから…長いですね(笑)。

芳原:巡業で名古屋に来ると、右近先生の治療院に来ていましたよね。その頃僕はまだ「下揉み」のみをやっていて、棚橋選手の背中をほぐしていましたっけ。

棚橋:僕が初めてチャンピオンになった'06年に先生が上京されて、現在は東京の治療院ではもちろん、大きな試合の時には会場でも試合前のコンディション調整をしていただいて感謝しています。

僕だけでなく、他の選手たちも先生が会場にいらっしゃると「やった!ラッキー!」という感じで治療に詰め寄りますからね(笑)。

◆「プロレスラーは止まったら負け、疲れた時が死ぬ時」

棚橋:はい。あの時は翌日の試合に出られるかどうかというほどひどかった。でも先生の治療院で「忍者マッサージ」をグリグリッとやっていただいたらすっかりよくなって、翌日のメインイベントで活躍することができました。

芳原:かなり重症だったので、酒粕パックで患部の熱を取り、「忍者マッサージ」で炎症を引かせたんですよ。

棚橋:僕の場合は筋肉を傷めてぎっくり腰になるパターンが多いんです。あとは膝のじん帯が切れていることからくる慢性的な痛みの改善、職業病である首の不具合も正しい位置に戻してもらえる。

先生自身がかつてレスリングをやられていたので、筋肉をどう使うかなど、選手の悪い状態をイメージしてもらえるのがいいんですよね。どうすれば本番で力を出しやすくなるか、瞬時に判断して的確な治療をして下さるので助かります!

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芳原:プロレスは危険な技も多いので、みなさん鍛えていい体に仕上がってはいるけれど、それでも筋肉の柔軟性が失われてしまうことがある。

実はそれこそが最も危険なことなんです。そこで忍者マッサージの施術をすると、筋肉の柔軟性を取り戻すことができるんですよ。

棚橋選手はすごく頑張りがきいて、新日本プロレスでもトップレベルの鍛え込んだ筋肉を持っていますが、本当に休まない。行くところまで行くのがポリシーなので、その代償がじん帯、ひざ、腰にくるんですよね。

棚橋:おっしゃるとおりです。でも僕、プロレスラーは止まったら負け、疲れた時は死ぬときだと思っているので休みませんし、疲れません。試合を終えて帰宅したら家族分の洗濯をして、それを干してから寝ますからね。

芳原:年間130試合以上をこなしている人とは思えない発言ですね(笑)。

扶桑社書籍「忍者マッサージ」誌面では、自分でできる忍者マッサージの手法をDVD付きで詳細に解説したほか、“忍者小顔マッサージ”でますますイケメンになった棚橋のビフォアーアフターも掲載!

【棚橋弘至】

1976年生まれ。岐阜県大垣市出身。立命館大学法学部卒業後、新日本プロレスへ入団。キャッチフレーズは「100年に一人の逸材」。IWGPヘビー級王座 通算最多防衛記録、連続防衛記録、最多戴冠記録保持者。Twitterは@tanahashi1_100

【芳原雅司】

1972年生まれ。岐阜県飛騨古川出身。指圧師、芳原治療院院長。2001年、中京女子大学レスリング部トレーナーとして吉田沙保里、伊調馨らのメンテナンスを担当するほか、各種スポーツ選手の治療に携わる。

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