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ゆずの北川悠仁(左)「人の心に残る普遍的なものを作り続けたい」

ゆずの岩沢厚治をして「今やゆずより有名」という楽曲『栄光の架橋』。

2004年にNHKのアテネオリンピック放送テーマ曲に使われたこの歌は、ゆずの想像を超えて多くの人々に影響を与えている。4月27日に放送されたNHK『SONGS』では、デビュー20周年を迎えるゆずを取り上げた。

アテネオリンピックで2連覇を逃したばかりか敗者復活戦でも敗れ、メダルを手に出来なかった柔道の井上康生選手

現在は男子柔道の監督を務める彼が「心が折れて負けてしまった。あの時ほど悔いている試合はない」と当時を振り返り、『栄光の架橋』について「どれだけ我々を励まし、刺激になったか計り知れない」と語る。

彼は2012年に柔道日本代表男子の監督に就任するが、それを決断するには相当な勇気と覚悟が必要だっただろう。

実はアテネで敗退した時よりも監督になってからさらに『栄光の架橋』に救われた。

「あの歌を聴いてアテネ五輪のことを思い出し“屈辱は最大のエネルギー”ではないが『よし!』という気持ちになる」ことで監督として選手たちに「絶対にあの思いをさせたくない。必ず金メダルを獲らせるんだ」と気合が入るという。

2016年のリオオリンピックでは日本勢が大活躍するなか、柔道男子も2大会ぶりの金メダル、そして全階級でメダルを獲得した。インタビューで「よく選手たちが頑張りました」と涙ながらに話す井上監督の姿が思い出される。

「オリンピック界では伝説の歌の1つと言って過言ではない」と『栄光の架橋』を評する井上監督。「スポーツ界だけでなく人生を通したうえで伝えた言葉だ」とも話した。

VTRで井上監督のインタビューを見た北川悠仁は「ちょっと胸がいっぱい」と目を潤ませる。

彼自身、『栄光の架橋』は「勝者の歌はやめよう、敗者が聞いた時にもう一度立ち上がれる歌がいい」と思って書いたという。井上監督が『栄光の架橋』をきっかけにその通りの体験をしたことが北川の胸に迫ったのだ。

2011年3月11日に東日本大震災が起きて音楽活動も自粛する状況となった。その夏の8月8日、ゆずは岩手県陸前高田市を訪れ弾き語りライブを行い『栄光の架橋』を歌った。

岩沢はその歌が「いろいろな場所で歌われ励ましになり皆頑張っている」と後で耳にしたという。北川は「人の心に残る普遍的なものを作り続けたい。『栄光の架橋』はその第一歩かもしれない。オリンピックを飛び越えて…」と感慨深げだ。

当初の思いよりも大きく成長したことを「曲を作る冥利、一番嬉しいですね」と喜んでいた。

この日の『SONGS』では北川が敬愛するX JAPANのYOSHIKIからもメッセージが届き、ゆずの作品について「素敵なメロディーはどこかに毒を持っていると思う。人の背中を押す楽曲にも、実は生みの苦しみがあるもの」という趣旨が語られた。

北川が「僕らの曲はよく“前向きで元気になる”と言われるが、そこに辿り着くまでには別に前向きじゃない時もある。そういうものが言葉とかメロディーの中に潜んでいるっていうか…」とYOSHIKIの言葉に共感すれば、岩沢はYOSHIKIが“毒”と表現したことに驚きを隠せない。

ゆずも「このアルバムのここに“毒”を盛ろう」という風に使うという。その“毒”が「いい意味でフックになる」からだ。

少し前に別の番組で北川は『栄光の架橋』についてX JAPANの『ENDLESS RAIN』のようなものを作ろうと考えたと明かしている。やはり両者には通じるものがあるのだろう。

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