記事提供:日刊大衆

4月20日放送の『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)に“デヴィ夫人”ことデヴィ・スカルノ(77)が出演。大統領夫人になる前の知られざる壮絶な過去を明かした。

1962年にインドネシアのスカルノ大統領と22歳で結婚したデヴィ夫人だが、そもそも根本七保子という生っ粋の日本人。結婚前は「舞台を新橋の演舞場で観て、すごく舞台女優に憧れて、女優になる夢を見て」エキストラをしていたという。

「私が16歳。浅丘ルリ子さんも16歳。彼女はもうスターだったんですよ」と、同年代の浅丘ルリ子(76)を意識していたことを打ち明け、浅丘と一緒に写った写真も披露した。

15歳でエキストラ女優として映画に出演するも、その後、なかなか売れなかったデヴィ夫人。母と弟との3人きりの貧しい母子家庭の長女として、どうしてもお金を稼がなければならなかった。

昼間は千代田生命で働き、夜は三田高校の定時制に通いながら、赤坂のサパークラブで働く忙しい青春時代を送ったという。

デヴィ夫人が働いていたサパークラブは外国人セレブ御用達の高級店で「東京での随一の社交場だった」という。

『マイウェイ』で有名な歌手フランク・シナトラが3600万円のギャラで招かれ、生歌を披露するような店だった。その当時18歳のデヴィ夫人は、大卒初任給が1万円だった時代に、一晩で1万5000円稼いでいた、と明かした。

そんなデヴィ夫人がスカルノ大統領と出会ったのは、彼女が19歳のとき。当時、来日していた大統領が帝国ホテルでティーパーティを開いていて、たまたま帝国ホテルの近くで友達と待ち合わせしていたデヴィ夫人を見初めたのがきっかけだった。

偶然、彼女の近くを大統領一行が通りかかり、副官の一人に「どうぞどうぞ」とティーパーティに誘われたのだという。

英語が話せたため、すぐに大統領と意気投合したデヴィ夫人は、数日後に再び招かれる。

大統領が日本の歴史に詳しかったことに感銘を受け、お互いの貧しかった幼少時代を語り合うなどして親密に。そして出会いから3年後、22歳で大統領夫人になったという。

「デヴィ夫人はスカルノ元大統領の失脚後、フランスに亡命し、社交界で活躍。その頃にフランス人映画俳優のアラン・ドロン(81)をはじめ、多数のセレブと交際していたことを明かしています。若い頃の写真を見れば、それも納得の美しさですよ」(芸能誌記者)

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