記事提供:messy

いわゆる『妊婦様』と揶揄されての妊婦批判、そして乳幼児子育て中ママが主役の『ベビーカー論争』など、妊婦や子育て中の女性を「自己中心的だ」と批判するトピは発言小町でしばしば盛り上がる。

多くは、こうした女性らを「権利の主張ばかりしている」と見ているためであろう。小町では最近も、妊婦時代の苦い経験を投稿したトピのコメント欄がアツくなっていたので紹介したい。

「子供が出来て生きづらくなった」

トピ主(20代・女性)は一児の母。「皆さんは妊娠中、育児中に赤の他人から何かされて嫌な思いをした事はありますか?」とのっけから問いかける。というのもトピ主には「特に強烈だった出来事」があるからだ。

妊娠8カ月だった頃、通勤中に遅延が発生した満員電車で立っていたところお腹が張ってしまい、前屈みで耐えていた。すると、前に座っていた女性が心配して席を譲ってくれたのだという。

「満員で身動きも取れなかった為申し訳ないながらも有り難く座らせてもらうと、横に立っていた50代位のサラリーマン風男性に『具合悪そうにしてわざと席譲ってもらうなんて、今時の妊婦はせこいな。恥ずかしくないのか。大体、妊婦が電車に乗るな。迷惑だ』という罵声を私が降りるまで10分以上一方的に浴びせられました。毎日お腹を抱えて必死で通勤し、残業を続けていた毎日の中で起きたので、電車を降りてから涙が止まりませんでした」

そしてトピ主は「子どもを授かってからこの国は女性にとって本当に生きにくい国だと感じることが増えました。少子化になるのも当然だと思います。日本人は働きすぎで時間がない。お金もない。そしてなんだか心がとっても貧しくなっていると思います」と嘆き、他人にもっと優しくありたいと綴って締めた。

10分以上も罵声を浴びせ続けるって、その50代くらいのサラリーマン風男性、意地悪とか通り越して変人じゃなかろうか。

トピ主はきっと、元妊婦の女性たちとこうした思いを共有したいのだろうな…と筆者は思ったのだが、書き込まれたコメントはそういったものとはかけ離れていた。

「私なら、前に座っていたら席を譲ります、でも本心は譲りたくないです 内心は『なんでこんなに混んでいる時間に乗るのよ?』って思います 少し時間をずらして、空いている時間に乗車してほしいです」

「トピ主は今まで、席をゆずったことが何回ありますか。もっと優しくありたいとは、具体的になにをするのですか。今、あなたができることは何ですか」

「妊娠してからの通勤が大変なのは分かります。私も経験者なので。ですが、遅延になり満員電車だと分かっていて乗車するトピ主さんにも問題があると思います。会社へ遅延で遅れる旨を連絡し、電車の混雑が収まってから乗車するという考えはなかったのでしょうか」

「そういうケースもあることくらいは、日々暮らしていて接するありふれてる情報の中から分かっていませんでしたか?私の場合は、そもそも自分のライフプランに子供が必要なく、出産子育てに意義も感じないので、作りませんが、社会風潮や他人様に迷惑をかけたくない思いも強くて、それも子供がいらない理由の1つです。色々と承知した上で妊娠したのではないのでしょうか?何もかも知らなかった、こんなはずではなかったと言うなら、何とも世間知らずというかリサーチ不足に思います」

「母になるならもっとたくましく!」

「健康であろうと病気であろうと妊娠中であろうと、他人から文句を言われる事ってあると思います。みんなそれぞれの考えを持っているのですから。それをですね、トピ主さんは『妊娠中』だからと被害者意識が高すぎなんですよ。世の中には迷惑をかけて当然という妊婦さんもいるのです。どちらかといえば、世間は我慢してワガママな妊婦さんを支援していると思いますよ」

「ぜひ、ぎゅうぎゅうの満員で本当は席なんて譲りたくなかった女性への感謝も、忘れないでください」

中には暴言男性を批判しトピ主をねぎらう声もあるが、上記のようなコメントが多いのが興味深い。

妊婦が混雑する時間帯の電車に乗ることへの批判、母は強くなければ務まらないからこの程度のことで凹むべきでない、マタハラが存在することぐらい知ってるだろう…と厳しい論調がどんどん書き込まれていく。要するに、自己責任ということだ。

だがトピ主が混んでいる電車に乗らなければならないのは、会社がそれを求めているからであろう。

ここでトピ主が「電車混んでるんで出社時間を後ろにずらします」と言ったら言ったで会社では『妊婦様』認定されそうである。満員電車に乗るか、会社で妊婦様呼ばわりされるかの究極の二択だ。

望ましいのは、会社側がフレキシブルな勤務体制を採用することだが…。

また、母になるのだからたくましくあれ、というのも、そりゃそうだろうが「何を言われても耐える」ことがイコール「たくましさ」ではないだろう。最後の「世間は我慢してわがままな妊婦さんを支援している」という意見もなんだかなあ。

具体的にどう支援しているのか教えてほしいがそこは書き込まれていなかった。そもそも我慢って何を?

こんな意見もある。

「すでに子どもが育ちあがった世代のものですが、小町で主さんたち世代のこのような言い分を聞くたびに違和感をぬぐえません。

だって、主さんだって『子どもが授かってから女性にとって生き辛い』って気が付いたんでしょ?自分の身に降りかかるまでは判らなかったわけです。それを自分が当事者になったらって、経験のないものにまで理解を求めるのは無理だと思うのです。

それよりも怖いのは、周囲の人。誰も庇ってくれなかったのでしょうか?私だったら、即座にそのオジサンに抗議するけれどなあ。場合によっては妊婦さんに暴言吐いている人がいます!と駅員さんに通報するかな。

そういう男性優位な人間は一回痛い目に遭わないとわからないからね。

しかしこういう子育ての話になると、しばしば話の規模が『国』レベルになるのが不思議です。妊婦さんや小さいお子さんをお持ちの方に多いような気がします。

たまたま自分に降りかかったある一件だけを取り上げて、『だからこの国は…』等と急に憂国の士に変身する心理は一体何なのかある意味興味深いです」

確かに、自分の遭遇した経験ひとつで『国』レベルの話にしてしまうのは飛躍的である。

一方で、ベビーカー論争やらマタハラやらがメディアで取り上げられる機会は多く、そうした事案と自分の経験とを重ね合わせたら『この国って…』と憂えてしまう気持ちもわかる。

色々な意見はあるが、トピ主が妊娠中に具合が悪くなってしまったことは事実であり、そりゃ具合が悪くなれば座りたいだろう。優先席はそのためにある。だって最悪の場合、早産で母子死亡の危険性もあるのだ。

そしてどの妊婦も、いつ具合が悪くなるかなんてわからない。「妊娠は病気ではない」のも確かだが、一方で、どれだけ体調管理に気を配っていても、突然何かトラブルが起こる可能性はある。

順調な経過を辿っていたのに、いきなり出血してしまったり、流産や死産ということはあり得るのだ。だからといって、妊娠が判明した瞬間からずっと仕事を休んで自宅で安静に…というのが正解でもない。

体調には当たり前だが個人差があるし、経済的にも精神的にも仕事を継続したほうが良い女性はたくさんいる。

トピ主は誰かと共感したかったのだ。「譲ってくれた人への感謝」はそりゃしているだろうし、そのうえで「罵倒された、つらい」と。このトピを出産前に読んだら「うわぁ…やっぱ子供作るのやめとこ」となるな。

妊娠や育児で赤の他人にいきなり罵倒されるなんて、怖すぎる。最終的には少子化が進みこの国の財政が傾くのである。国レベルの話にして申し訳ないがやはりそういうことだ。

トピ主はレスでお礼を述べつつ、「私が“生きにくい”と感じた理由が他にもあります」として、かつて独身の頃産休に入る女性を『迷惑』と言っている同僚がいたこと、産後に職場で役職が外されたこと、保育園には入れなそう、そんなことが重なって「子持ちの女は働くなというのか…そう考えた時に妊婦時代の嫌な経験が蘇り、子供が出来た途端に社会全体から冷たくされているような気持ちになり、皆さんの意見が聞きたくなって投稿しました」という。

どこまでも他人に厳しい社会である。子供というのは、大人と比較して圧倒的に弱者だ。その弱者を抱える親や妊婦に「支援が必要」なことは、明らかではないか?なぜそれを「甘え」と断罪できるのかがわからない。

紹介したコメントで「社会風潮や他人様に迷惑をかけたくない思いも強くて、それも子供がいらない理由の1つです。色々と承知した上で妊娠したのではないのでしょうか?何もかも知らなかった、こんなはずではなかったと言うなら、何とも世間知らずというかリサーチ不足に思います」というものがあったが、「世間は甘くないんだから!」という共通認識を皆さんお持ちなのだろう。

なんだかなあ…「世間」がみんなにもっと甘く、優しくすればいいんじゃないの?そしてその「世間」を作っているのは、私たち一人ひとりだし、その意見を左右するメディアだし、政治や行政だ。

上記コメント主が「自分は子供いらない」と断言しているように、「この世知辛い世の中で、子育てする覚悟がない。承知できない」から「産まない」選択をする女性、少なくないんじゃなかろうか。おそらくもう、絶対に少子化は食い止められないだろう。

ブログウォッチャー京子

1970年代生まれのライター。2年前に男児を出産。日課はインスタウォッチ。子供を寝かしつけながらうっかり自分も寝落ちしてしまうため、いつも明け方に目覚めて原稿を書いています。

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