浅田真央が現役引退を発表

日本を代表するフィギュアスケート選手の浅田真央さんが10日、自身のブログにて現役を引退することを発表しました。

ご報告致します。

突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。

今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。
ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。

復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。
そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。

このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。
これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。
浅田真央

出典 http://mao-asada.jp

過去最低の12位という結果に終わってしまった昨年の全日本選手権が、引退を決意するきっかけになったと明かした浅田さん。
ソチ五輪後に1年間の休養をとるなど、悩み苦しみながらもただひたすらにフィギュアスケートの道をひた走ってきた姿は、かっこよかった!以外に言葉が浮かびません。

多くのフィギュア関係者から労いの声

引退発表後、ネット上には彼女のこれまでの活躍に感謝する多くのファンの声が寄せられたほか、フィギュア関係者からも続々と労いの声が寄せられています。

織田信成さん

ともにバンクーバーオリンピックに参加した織田信成さんからは、浅田さんへのリスペクトを込めたこんなメッセージが。

村主章枝さん

真央ちゃんの引退。びっくりしたけど、本当によく頑張った。これからの新しい真央ちゃんに期待すると共に彼女が更に輝けるフィールドを提供できるように私も頑張りたい!」

村主章枝さんは、一緒に練習に励む珍しい写真とともに、彼女の今後にエールを送りました。

無良崇人さん

同級生のスケーターであり、数々の国際試合に浅田さんとともに臨んだ経験がある無良崇人さん。性別は違えど、ともに切磋琢磨しあえる良きライバルだったことが伺えます。

吉田沙保里さん

レスリング選手の吉田沙保里さんもすぐさまツイート。
競技は違えども、ともに日の丸を背負った同士としてこれまでの努力を労いました。

元大関・千代大海

相撲界からも、元大関の千代大海からコメントが。
幼い頃からトップアスリートとして活躍してきた浅田選手を讃えました。

“トリプルアクセルの申し子”浅田真央が築いた新時代

浅田さんの代名詞といえば、言わずと知れたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が有名。まるで羽が生えたかのように軽やかに飛ぶトリプルアクセルは、日本のみならず世界中に衝撃を与えたことは間違いありません。

Licensed by gettyimages ®

ほかにも、驚きの柔軟性を活かしたビールマンスピンや美しいスパイラルシークエンスの数々は当時、世界中の誰にも真似できないと評されたほどでした。

そんな浅田さんがシニアに参戦したのは今から12年前!若干14歳の時でした。

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シニア初参戦だった「GPファイナル」では当時絶対女王の名を欲しいままにしていたロシアのスルツカヤ選手を破って初参戦・初優勝!!

ほかの選手よりひと回りもふた回りも小柄な少女が次々と華麗なジャンプを決める姿には、世界中が驚きました。

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その後、誰もが認める日本フィギュア界のエースとなった彼女。

幾度となく世界最高得点を更新し続けただけでなく、2010年バンクーバー五輪での銀メダルや全日本選手権4連覇、世界選手権では3度の優勝を飾るなど、輝かしいばかりの活躍を見せました。

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今や高難易度のジャンプを多数取り入れ、表彰台に上がるには200点以上を叩き出すことが当たり前となったフィギュア新時代を築き上げたのは、ほかならぬ浅田さん自身。

そして、そんな浅田さんの姿に感銘を受けてスケートを始めた選手たちが今のフィギュア界を牽引する存在となっていることも、まぎれもない事実なのです。

不運の末に掴んだオリンピックメダル

シニアデビューを飾ったシーズンに開催されたトリノ五輪へは、国際スケート連盟の定める年齢制限にたった87日足りないために出場することが許されなかった、という不運に見舞われた浅田さん。

しかし、4年後にようやく出場が叶ったバンクーバー五輪では、女子史上初となる3度のトリプルアクセルを成功させて見事銀メダルに輝き、その実績はギネス世界記録にも認定されました。

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さらにその4年後のソチ五輪では、フリープログラムで女子では前人未到の全6種類、計8度の3回転ジャンプを成功させるという快挙を達成。

ショートプログラムの失敗が響いて惜しくも表彰台には上がれなかったものの、その攻め続けるスケーティングが世界中から称賛されました。

母の死を乗り越えて輝き続けたスケート人生

2011年、当時21歳の若さで実の母を病気で亡くすなど、想像を絶するような悲しみも乗り越えて数々の結果を残してきた浅田さん。

改めて彼女の強さに日本中がどれだけ勇気付けられ、笑顔をもらっていたかを痛感させられます。

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彼女がフィギュアスケート界に残した軌跡は、技の難易度や点数、メダルの色だけで表現できるものではありません。

ブログの中で引退は通過点に過ぎないと、前向きなコメントを寄せていた浅田さん。これから歩む第2の人生が、これまで以上に明るいものとなることを願いたいですね。

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