東日本大震災から6年の月日が流れましたが、本格復興はまだ先のようです。

大きな被害を受けた福島県南相馬市で「被災地に学ぶ会」のボランティア活動に参加したという無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、現地で目にした「被災地の真の姿」を伝えています。

被災地に学んだこと

日曜日、「被災地に学ぶ会」に参加させてもらってきた。「学んだことを広げる」という使命により、学ばせていただいた内容を一部シェアする。

今回の場所は福島県南相馬市である。前回参加の時と同じく、避難勧告が解除されて帰ってきた方の、個人宅の竹の伐採と敷地整理

黙祷をした後、チェーンソーを使って、竹をどんどん切っていく。チェーンソーも注意だが竹自身も鋭利なため、手袋をして手を切らないように注意しながら作業を進めていく。

竹はしぶとい。切った後の切り株部分も鋭い上に抜けない。農家の知人の方が「竹は放っておくと厄介だから、タケノコどんどん獲ってって」と言っていたのがよくわかる。

逆に考えると、竹の生命力があれば、どんな状況からでも復活できる。竹は、ぐんぐん伸びる。切っても切っても、見えない地下でしっかりと根を張っている。切りながら大変だと思う一方、生命の力強さも感じる。

そして、この竹林整理は、一日十数人の人手ではとても処理しきれない。よってボランティア活動は、リレー形式になる。

一つの場に対しても、前の団体が切った竹を、次の団体が処理する。次の人が運びやすいように、紐で縛る。最終処理しやすいように、竹の長さを揃えて整えておいておく。リレーなのである。

以前宮城県で行った、海岸での遺品発掘作業も同様。他団体とのリレーで、1か所ずつ潰していく。「ここは掘り終わった」という場所を増やしていく。気が遠くなるほど少しずつしか進まない作業だが、人手と時間さえあればいつか辿り着く

正直、やり始める時は、「こんなにあるの!?」とちょっとがっくりくる。

一個人のお宅でこの量があるのに、ボランティア待ちのお宅がまだまだ山ほど控えているのである(そして、「復興したという誤解によって年々ボランティアは減り続け、現地は常に人手不足である)。

しかし、やり進める内に、竹が積み上がり、きれいになっていくのを見ると、達成感がある。仲間内の連帯感も生まれる。

「被災地に学ぶ会」に参加して痛感した、積み重ねの大切さ

お昼のお弁当は、主催者の方が現地のお弁当屋さんに注文してくれている。主催者の方とお弁当屋さんは毎度の注文で顔見知りであり、作業現場まで届けてくださる。お弁当屋さんも、避難して戻ってきた被災者の一人である。

お弁当を食べる前に、この方のお話をいただく。津波はとても波には見えず、巨大な真っ黒い壁が迫ってくる感じだったという。津波は土などを巻き上げて進むため、真っ黒だという。実際の被災者の方の話は、真実味がある

お話の後、地べたに円座して有難くお弁当をいただく。全国チェーン店のお弁当のはずが、特別に美味しく感じる(ちなみに、このお弁当は、「日本を美しくする会」相談役の鍵山秀三郎様からのご提供である)。

もう一品、「からし菜」をいただく。こちらは、依頼主の方が、我々の作業中に庭から摘んで、茹でて作ってくださったものである。これも大変美味である。ちょっとした心遣いが嬉しい。

お昼の後は作業再開。黙々と進める。きれいに切り分けられ、累々と積み上がった竹は、壮観である。

一人で、一回でできる量は、本当に少ない。しかし、それが積み重なり、何十人、何百人、何千人、何万人となれば、話は別である。リレーのように長く長く続けていけば、話は別である

主催者の方は、埼玉県の高校の先生である。震災の後、何かしたくてとにかく現地に向かったという。そして、被災地の被害を目の当たりにし、「これは仲間がいないとどうにもならない」と思ったという。

その後、仲間を集めて足を運ぶこと数十回。教え子も参加し、高校生だけでも延べ数百人は参加したという。その中の三人が今回も参加していた。「先生に出会って人生が変わった」という。教育の究極は、感化・影響。まさに教育者である。

現地でも学べたが、参加者からも学べた。現地でどんどん動く他の参加者の背を見て、自分の力のなさも痛感した。しかし「ハチドリのひとしずく」のように、小さくてもやれることをやるしかない

メルマガを用いて発信できるのが、私の唯一の強みである。お陰で、メルマガの中の一人の同志が参加してくれた。これを読んで、何かしようと思ってくれる人がまた一人でも増えていってくれたらこの上なくうれしい。

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