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子供が産まれて子連れで会うようになった者同士?子供がきっかけで繋がるようになった者同士?

『ママ友』の定義とは何なのだろうか。よく聞くその言葉の意味が私には未だに理解できずにいる。

従来、私が抱いていた『ママ友』のイメージは、子供を公園で遊ばせる際に一緒に見守る母親同士が仲良くなるというパターンだった。公園デビューという言葉があるが、それは「子供にとっての」ではなく、母親にとっての大イベントなのだ。

近隣の母親たちと仲良くなることは、今後の育児生活に大きな影響を及ぼすものだと考えるからこそ、「新米ママ」に取っては“しくじってはならない”緊張の瞬間なのだろう。

知人Uさんは、3歳の男児を持つ母親で、現在は近所に数人、仲の良い『ママ友』がいるという。彼女の「公園デビュー」は子供が生後5カ月の頃だったそうで、Uさんは私にその日のことを振り返り、ママ友を作る極意のようなものを語ってくれた。

『前々から近所の公園を通って、どんなママ達がいるのかしょっちゅう下見してたの。よく見かけるのが3人組のママ達だったけど、それはもうすでに出来上がってる雰囲気っていうか…あの中にいきなり入っていく勇気はなかった。

デビュー当日はドキドキだったけど、まずはとにかく出くわすママに挨拶することから始めて。でもそれだけじゃ親しく会話できる人なんて見つかりっこないし…そこで作戦を練ったのね。

気の良さそうなママの近くにさりげなく寄っていって、気づかぬふりで物を落としたり。

それで「落ちましたよ!」って声をかけてもらえたら、そこからはとにかく会話を広げる。一番のコツは相手の子供を褒めるってこと。“わぁ~カワイイ赤ちゃんですね~!”とか“男の子なんですかぁ?お顔がカワイイから女の子かと思った~!”とかね。

2~3歳の子を連れているお母さんなら、その子が吹いたシャボン玉を自分の子に見せて、相手のお母さんに聞こえるように“キレイだね~!お姉ちゃんシャボン玉上手だね~!”とか言うようにするの。

あくまで、相手の子を褒めるっていうスタンスを忘れちゃダメ』

その成果(?)か、Uさんは月日を重ねてすっかり仲良くなった『ママ友』と今では週1程度でランチしたりお茶したり、昨年はディズニーランドにも行ったそうで、彼女の“公園デビュー”は大成功だったと言えるようだ。

しかし普段、ランチ中などにも子供がすぐに飽きて帰りたがったりするのを宥めたり、多忙で予定を合わせたり長居できないなどのときはやはり不便だそうで、常に気を使う関係であることには違いないらしい。Uさんはこう続ける。

『それでもやっぱりママ友って大事だと思うのね。これから幼稚園に入って小学校に入って…って子供が成長していけばしていくほど、単体ではいられなくなるし、親同士のしがらみとかも出てくるかもしれない。

そうなったときに、味方が一人もいないんじゃ孤立しちゃうじゃない。だから今のうちに地域の親同士の繋がりを大事にしたいんだよね』

ほう。それはつまり、親の人間関係の構築のために子供を道具にする作業ということだろうか…私はそんなふうに捉えてしまった。

確かに子供の年齢が進めば進むほど、幼稚園のイベント係だの小学校のPTAだの、親同士が協力を要請される集団参加行事は増えるだろうが、しかし今からそこまで気を張って準備しなくちゃならないものなんだろうか?うーん…私には全然しっくり来ない。

ママ友は他の友人とどう違うのか?

私の母にも昔『ママ友』がいたそうだ。それこそ『ママ友』なんて固有名詞は存在しなかった時代だけど、母曰く「ママ友を作る一番の良い機会は母親学級」だとのこと。出産前、妊娠中に産院で開かれるアレである。

お腹が大きい者同士、ほぼ同じ頃に産まれるであろう子供のことを語り合い、その楽しみや不安を共有するのは心強く、楽しかったそうだ。

無事出産を終えて入院している間にも、出産日が前後2~3日の、母親学級で知り合った『ママ友』と出産の喜びを共有し、これから母親としてスタートを切る者同士、絆はよりいっそう深まり、退院後も手紙をやり取りしたらしい。

確かに出産や育児は不安の連続だし、そういう中で同じ頃に初めて母親になった者同士話を聞いたり愚痴ったりできるのはとても素敵なことだ。

ほぼ同時期に出産し近隣在住となるとそれからの境遇も似たようなものになるし、会えないのも連絡がなかなか取れないのもお互い違和感がないわけで、最初から同じ温度で関係性を維持できるとしたら魅力的。

ただ温度やスタンスが途中から変わってしまうと、友人関係すら変化してしまうことだってないとは言えない。それに育児のこだわりが強い女性と、そうでもない女性とだと、話が噛み合わなくてこじれたりもする。

本当は、妊娠する前の段階で仲良くしていた気の合う友人たちと、産後も同じように仲良く交流していければ良いのかもしれない。でも片方が母親になれば「付き合い方」が変わるのは必然だ。

長時間外出したり夜間飲みに行ったりできなくなるし、子連れで外食するにしても大人同士の会話に集中することは不可能だ。メールでの連絡だってなかなかスムーズに返せなくなったりして、疎遠になってしまうことはよくあるだろう。

私にも、独身時代からとても仲良くしていた友人Mがいる。Mとは職場が一緒で、毎日のように食事したり飲んだりしていたし、月に数回休みを合わせては買い物したり温泉に行ったりした。

私が結婚し、退職、妊娠してからもスポーツ観戦したり、いよいよ臨月に近づくと私の身体を案じて我が家の近くまでしょっちゅう来てくれていたが、いざ子供が産まれると簡単に外出ができなくなり、連絡もスムーズに返せなくなり、以前のような関わりを持つ時間は激減した。

大切な友人だけに申し訳ない思いでいっぱいだったし、関係性自体が変わっていくことへの不安もあった。

ただ、幸いなことに「私は何も変わらないから」とMはいつも言ってくれ、連絡頻度や会う回数は劇的に減ったものの、弱さや汚い部分さえ晒し合えるMとの関係性は変わらずにいられている。

Mとは当人同士(私とM)が元々心を許せる「友人」だから、共通する環境が何一つなくなっても繋がっていたいと思うわけだが、そういう“産む前からの友達”って、『ママ友』の定義とはまるで逆だ。

『ママ友』は、同じ境遇、志にある立場だからこそ繋がる。その人の元々の考え方や性質、趣味嗜好は二の次。もちろん、子どもを介さない友人関係でも趣味など「一つのこと」を通じて仲良くなる間柄はあるだろう。

「飲み友達」「スノボ友達」「ゲーム友達」「麻雀友達」etc…普通に人間関係を構築できる人なら、誰しもが携帯に一人は「○○友達」なる友人のアドレスが存在するんじゃないだろうか。

じゃあ『ママ友』も、それらと同じように子どもという「一つのこと」を通じて仲良くなり、子ども関係の用事でだけ顔を合わせる間柄でいられるかというと、どうもそうではなく、ややこしいことも多々ありそうだと、実感している。

何がややこしいって、そこではあくまで「ママ」としての自分、でいなきゃならなそうなところだ。

母親学級で話したけれど…

育児は、大変な労力で長い年数継続していかねばならない大仕事だから、そこを共有して分かち合ったり励まし合ったりできる友人がいればそれはうれしいことだと思う。

私も妊娠中、産院での母親学級に一度だけ参加した際、今抱えている不安を共有可能な友人ができるかもしれないとほんの少しだけ期待していた。

私が参加した母親学級では、テーブルごとに6~8人程度の妊婦が座ってグループになり、産院側から出されるクイズの回答を話し合ったり、ディスカッションするという形式を取っていたのだが、見ず知らずの他人同士がこのように話し合ったりする一般的なセミナーなどとは違い、最初から距離感が「柔らかく、近い」という印象を受けた。

誰しもが「ウェルカム」な雰囲気を醸し出し、その上でほぼ最初から予定日や性別などを聞きあったり、体重が増えただのお腹の張りがどうだの親しげに話し合っていた。

不安を感じている時だからこそ群れを成したくなるといったような、人間の本能なのだろうか。

1時間半にも及ぶ母親学級の最後には、次の参加日の約束をしたりLINEの交換をしている人もちらほら見受けられた。

私はと言えば、そんな中で友人を作ろうにも、その人の性質もわからないような段階ではその場限りの会話を交わすことが精いっぱいで、妊娠していようが、やはり「デフォルト通り」の私だったのだ。

出産してからも、他のお母さん(他人)と出会う機会は何度かあったが、やはり自然にできるのは挨拶程度で、連絡先を交換するとか、ましてや友達になるなどハードルが高すぎる。

「ママになる」からといっていきなり社交的にはなれなかった。慎重に相手を見極めようとしてしまう。

しかし前出のUさんは、元々社交性の高い方ではないというのに、さんざん公園の下見をして更には一芝居打ってまで『ママ友』を得ようとしていた。

私もそういう“努力”を講じたほうが良いのだろうか。でも私には『ママ友』なる関係性が、そんなにも価値の高いものなのかどうか、未だに理解できずにいる。

どういうことをするのが『ママ友』なんだろう

子供を共通項目として知り合ったのであろう関係のグループは出産後あちこちで見かける。子連れで出かけられる場所・時間帯はおおむね限られているから、自分が息子と外出すれば必然的にそうした人たちと遭遇するのだ。

つい先日、近所の飲食店で出くわしたのは、どうやら小学生の子を持つらしい『ママ友』の4人組だったのだが、子どもたちはその場にはおらず(小学生なのだから子どもだけで遊びや習い事に言っているのだろう)、ママ友だけで盛り上がっている。

すでに子ども抜きでも場が成立するほど打ち解けているのか、すごいもんだなあ、と思っていたが、会話の内容はやっぱり子どものことがほとんどのようだった。

塾や家庭教師の話題をテーマに、「うちの子は」というフレーズで始まる我が子サゲと、「〇〇ちゃんは△△(褒め言葉)だ」というヨイショの2パターンを繰り返す4人の女性たち。

聞き手は常に同調、褒められた子の母親は「そんなことないよ~」と謙遜するという、受け答えもまたワンパターンだ。

何時間も話し込むほど楽しいとは思えない話題のように思うのだが、それでもUさんの言うように、こうして群れを成すこと自体が小学生の子を持つ親たちの防衛策なのだろうか。楽しいか楽しくないかじゃなくて、母親としてやる“べき”仕事のひとつ?

そうした情景を見るにつけ、『ママ友』が公園で演技してまでも得たいと思えるような関係性には到底思えない。というかそれ以前に、自己の主張が会話内に存在しない時点で、友人と言えるのかどうか疑問に思ってしまう。

彼女たちが、決まったフレーズのみを連打し合い、食事が終わっても長々と単調な会話をしていても楽しいと思うほど、「子育て」という「趣味」に熱狂しているというなら良いのかもしれないが。

私もやがて、ああいった集会に参加しなければならなくなるのだろうか。ホメと謙遜を繰り返して学校行事や地域行事の「間」を持たせる必要が出てくるのだろうか。

私も今生活の中でいちばん没頭していることと言えば「子育て」だし、最近ではベビースイミングを始めたりなど、子供の成長のために費やす時間や労力が増えた。

それだけに、思い通りにいかず辛い思いをしたり、それを乗り越えて子供の成長を目の当たりにできたときの喜びといったら半端じゃない。

そんな、いまの自分の「髄」とも言える部分を共有できる友人ができたらいいなとはと思うが、「とにかく何でもいいからママ友を」という考え方には共感できない。

私も相手の『ママ』も、考えを持った大人同士だし、友達と呼べる関係性を築くにはただ「近所のママだから」というだけでは不十分だ。

将来、具体的にどんなことがあるから味方となる『ママ友』が必要なのかは正直わからないのだが、もし仮に「味方」を得て心強い就学時代を送ったとしても、自分の子の主張や他人の子の称賛を繰り返さなければならず、常に同調しながら何時間もお茶しなければならないとしたら、それは私にとっては安堵できる環境でもなんでもない。

単に大人同士として「この人と気が合うから仲良くなりたい」ではダメなんだろうか。しかし子を持った途端に、それまで存在していたはずの「自分個人」の色、性質、好き嫌いなど認めてもらえなくなるのかもしれない。

<あの人『ママ友』なのに、子供じゃなくて自分のことばっかり話してるよ~>なんて蔑まれる…のかもしれない。

『ママ友』って、あくまで「主役は子供、親は脇役」でいなきゃならない、そういう関係性のように見えるのだ。

母親になったとたんに自分個人の名前で呼ばれることは滅多になくなり、周囲から「〇〇ちゃん(くん)ママ」と呼ばれる場所でしか交流ができなくなるのは寂しいことだし、一人の女性の人間らしさを失わせることにつながっているように思う。

私はやっぱり、ママとしてじゃなくて人として交流できる友人関係が欲しい。「〇〇ちゃん(くん)ママ」と呼び合う同士でつながった所で一体どんな関係性が築けるというのだろう。

あまり深い付き合いをしない、たとえば休日は予定を合わせて会ったりしない、近所でたまたま会っても挨拶だけですれ違う、園や学校の行事で協力する際もそれ以上のこと(作業後にお茶、とか)はしないなどの関係性でも、十分ではないだろうか。

そのうえで「もっとこの人と話したい」と思えるくらいお互いに気が合う相手が偶然見つかったら、「飲みに行こう」「家でお茶しよう」と誘い合ってもいいと思う。

しかし、冒頭のUさんのように、相性もわからない段階で「とりあえず」作った『ママ友』グループと、定期的にランチしたりお茶したり、ディズニーにまで行くとなれば、普通の友達のように楽しむことは出来ないんじゃないだろうか。

やはり自分自身の本質を理解し合える相手とでないとしんどい。

自分の友達、じゃないと無理

学生時代からの大親友・Aちゃんは、私より数年前に出産し現在は二児の母だ。

Aちゃんと会えば互いに子供のことを話すことは当然あるが、元々お互いに好きだから付き合っているのだし、子を産んだからと言って「母親」という役割が1つ加えられた相手と会う、というだけのことなので、育児以外の話でも散々盛り上がれる。

子供に翻弄された生活を送り、話題が自然と子供の話中心になろうともやはり根本的に「Aちゃん」を認めて付き合っているということには変わりない。

つい先日、職場でAちゃん同様二児の母親である同僚女性と「互いの環境が年々変化しようと変わらず付き合える友人は大切だ」という主旨の他愛ない会話をしていたら、その同僚女性が「わかる、イイよね~!ママ友がいるってホント心強いよ!!」と返してきたので、違和感を覚えた。

Aちゃんはママ友じゃなくて、私の友人だ。世間的には「子を持った母親同士」=「ママ友」と見られがちだが、母になろうが祖母になろうが“自分の”友達ぐらい存在してたっていいだろう。元々の友人同士が、それぞれ母親になったというだけの話。

今、頭の中で仮にAちゃんのことを「〇〇くんママ」と呼んでみた。そこにはAちゃんは外側だけ仕上がった母親としての状態で存在していて、私の知っている破天荒で面白い「Aちゃん」は全く存在しなかった。

ここまで『ママ友』に否定的なことをつらつら書いてきたけれど、最初は子供を介した付き合いだったけれど、何度も会って会話していくうちにお互いを好きになって、子供が巣立った後も気の合う大切な友人になっているという『ママ友』関係もきっとあるだろう。

いつか、子供を通じて出会う場所で、私自身が意気投合でき、育児の苦労を同じ温度で分かち合える友人に出会えたら幸せなことだ。

ただ子供うんぬん以前にお互いが好きだから「友」なのであって、私にはやはり『ママ友』を「作る」ことはどうしてもできない。

小出 愛

1981年生まれ、学生時代から10年以上スポーツ一本、卒業後はスポーツトレーナーとして第一線を志すも、いろいろあってパチ屋店員に。

そこで旦那と出会い、結婚、2016年に第一子出産。プロレスは知らないけど猪木が好き。ママ友ヒエラルキーには入りません。

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