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(文禄堂高円寺店にて)

片方の親が子どもを連れて去っていき、どうにか子どもと会おうとしても、「あなたをお子さんに会わせるわけにはいきません」と警察や行政機関や弁護士などから告げられてしまい、苦しみ悩む親たちがいる。

そのような“わが子に会えない”父親たちの生の声を集めた本が西牟田靖さんの『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)だ。

西牟田さんが本書を書く契機になったのは、まさに西牟田さん自身が、「離婚後に、わが子に会えない父親」になってしまったからだった。

西牟田「幼い娘に会えなくなったときは、まるで自分自身の両手両足がもがれたような気持ちになりました。自分の身体の一部分がどこか欠損してしまったような…。辛くて辛くて、体重も一挙に10キロ程落ちましたし、ショックからか、未だにその頃の記憶が部分的に消えているほどです」

西牟田さんは、「わが子に会えない親たち」の集う「交流会」の存在を知り、参加する。そこには「なぜ、自分の子どもに会うことが許されないんだ?なぜこんな理不尽がまかり通っているのか」と訴える多くの親たちがいた。

そしてその多く――8割から9割は「父親」だった。

この状況に違和感を覚えた西牟田さんは、2年半の年月をかけ、わが子に会えなくなってしまった多くの父親たちを取材し、『わが子に会えない』を書き上げた。

同書の中で、「わが子に会えない」理由として最も多く父親たちが語っているのは「DVえん罪」の問題だ。

DVとは「ドメスティック・バイオレンス/家庭内暴力」のことである。DVには直接的な暴力行為だけでなく、精神的暴力や経済的暴力(=生活費を渡さない、ギャンブルや酒等に生活費を浪費する等)も含まれる。

『わが子に~』の記述にもあるが、『配偶者暴力支援センター』に寄せられたDVの件数は2015年度において11万1630件あり、相談者の99.5%が女性である。

つまりDV被害者のほとんどが女性であり、加害者が男性であるとされるのが、現在の日本での現状認識といえる。

DVは被害者の心身を深く傷つける、決して許されない行為だ。その実状を踏まえたうえで、同書の取材を受けた父親たちが訴えているのは「我々はDV加害者ではない」ということだ。

彼らは離婚に際し、身に覚えのないDV行為を妻側に捏造され、それを理由に離婚後の父子面会を拒否されていると主張する。本には次のような父親たちの言葉が生々しく記されている。

「DV夫だとか、そういったありもしないウソを実名入りで、弁護士会や警察、子どもらが通っている保育園や役所にばらまいたりするんです」(二戸敦さん/仮名/44歳)

「そのころ妻は私をDV夫として仕立て上げるべく様々な準備を行っていたことが後になってわかりました。DV等支援措置の申請相談書類を見たんですが、そこには陳述書と同様にありもしないことが書き連ねてありました。肉体的DV、精神的DVに経済的DVといった具合にDVのフルコースです。妻は保健所や警察署に相談に行き、ありもしない被害を口にしていたんです」

「『暴力を受けた』と言った者勝ちなんです」

「裁判でDVの認定が却下されたというのに、行政や警察は妻のいうことをすべて鵜呑みにして」

「本当に私が暴力を振るったんなら刑事事件として立件すればいいんですよ!」(長谷川圭佑さん/仮名/44歳)

その他、元妻の親が絡むケースや、宗教団体が背後にいるケースもあった。

西牟田「父親に子どもを会わせない側の意見としては、『DVを振るう男、養育費を払わない男に子どもを会わせるなんてとんでもない!』というものがあります。それはわかりますが、一方でそうじゃない男が罪をでっち上げられて“会えない”状況もある。

DVはしていない、養育費も払っている、けれど子どもに会えていない父親/男性というのも、確かにいるんです。

本の取材を受けてくれたのは、『なぜ自分の子どもなのに会えないんだ!』『この理不尽さを聞いてほしい!』という社会的意義・怒り・意識を強く持っている父親たちです。

でも彼らの本心を突きつめれば、やはり『とにかく、わが子に会いたい!』の一心なんです」

離婚後三カ月で再会を果たしたブラピ

3月1日、『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』の刊行を記念し、東京都杉並区にある文禄堂高円寺店でトークイベントが開かれた。

西牟田さんと対談したのは、この13年、「わが子に会いたい」と様々な作品でしたためてきた歌人の枡野浩一さんだ。

枡野さんの場合、子どもが3歳のときに離婚が成立し、その後14年間会えない状態が続いている。

これまで『結婚失格』『あるきかたがただしくない』などの著作や、雑誌連載『離婚男』などでもこの問題について書き続け、さらに昨年発売された最新作『愛のことはもう仕方ない』においても、未だに子どもに会えないことへの苦しみを赤裸々に告白している。

離婚の経緯はこうだ。枡野さん夫婦に息子さんが生まれたのは、結婚してすぐのことだった。

漫画家である奥さんには3歳(結婚時)の娘さん(連れ子)がいて、忙しい奥さんに代わって枡野さんは自分の仕事を減らし、ふたりの幼い子供たちの世話をしていた。

しかしそのような生活をしていたある日、奥さんから「枡野くんがいると漫画が描けない」と言われ、枡野さんは別にアパートを借りて住むこととなり、週末だけ自宅に帰る「週末婚」状態となる。

だが数カ月後、自宅の鍵が勝手に変更されてしまった。ある日、忘れ物を返してほしくて自宅の前で待っていたら、帰宅して激憤した奥さんから頭を何度も叩かれたあげく、警察に通報された。

その後、奥さんの代理人弁護士から「奥さんはあなたが暴力をふるうと訴えている」と、身に覚えのない「DV加害」の罪を着せられた。

その後、奥さんから離婚を求められ、離婚調停を経て、離婚裁判となる。裁判で奥さん側は枡野さんに、「血のつながった息子への暴力」などを根拠に「慰謝料300万円」を請求。

対する枡野さん側は「一切DVなどはしていない」と詳細に反論し、結果、奥さん側は「ならば、こちらから『和解金』200万円を支払う」と態度を反転させたという。

最終的に枡野さん側が「和解金」200万円を受け取り、息子さんの親権は母親が持つことで、離婚は成立した。

離婚後の父子の交流に関しては、「月に2度の面会(裁判では“面接”と呼称した)」「息子が小学生になった以降は、泊まり込みの面会もできるようにする」などを、家庭裁判所裁判長および双方弁護士の下、公正証書を作成し取り決めた。

しかし、裁判中に試みとして1回だけ面会したものの、離婚成立後に面会の誓約が守られたのは、最初の1回だけだった。2度めの面会予定日に息子さんと面会立会人は現れなかった。

すでに母親側は自宅を転居しており、弁護士を通じても連絡が一切とれなくなり、面会交流の誓約は全て一方的に破られた。そして14年が過ぎた。

枡野「この本を読んで、僕のケースは珍しくなく、多くの人が同じような目にあっているんだなと思いました。僕自身も裁判になったとき、家庭裁判所の裁判長が『あ、またですか…』って態度だったんですよ。

『またDVえん罪ですか』みたいな。そんなのダメじゃないですか?裁判長がそういうこと(父親からの「DVなどしてません」という訴え)を聞いたとき、『またですか』っていうような状況じゃダメだと思うんです。

(それは逆に)本当のDVに苦しんでいる人(母親/女性)たちが信じてもらえなくなっちゃうから。DVに関していえば、DVに本当にあっている人と、そうじゃない人を、丁寧に峻別していく以外、解決策はないんじゃないかと思います」

前述したように、『配偶者暴力支援センター』にDV被害の相談を寄せる人の99.5%が女性である。そこには、男性がDV被害を訴えることの難しさも隠れていると西牟田さんは言う。

西牟田「やっていないのにDVだと言われたり、男性側が逆に暴力を受けているのにDVとは認められなかったり」

枡野「僕は(担当してくれた)裁判長の方に、DVに関して『全く身に覚えがない』って怒ったんですけど、『旦那さんね、世の中には罪もないのに訴えられてる人はいっぱいいるんですよ』って。

だから最終的に子どもに会えなくなったとき、その裁判長に手紙書いちゃいましたもん。<裁判長様、お世話になりましたけど、結局は逃げられてしまい、(息子には)会えませんでした>って。

そんなもの貰っても向こうは困るでしょうけど、どうしても伝えたくて。

僕としては、両方の弁護士も裁判長も立ち会って、書類いっぱい作って、月2回会えるとか、小学生になったら泊まり込みもOKとか、いろんな取り決めをしたのに、(母親側が)一切守らなくなっても何の罰則もなく、逃げ勝ちみたいになっている状況が想像もできなかったから…。

『いくらなんでもないよ、それはッ!』と思いましたよ」

西牟田「でも、『わが子に会えない』を読んでもらうとわかりますけど、それが普通にあるんですよね」

父親と同時に作家としてもこの問題を考えてきた枡野さんと西牟田さんは、「母親側の気持ちや立場」について、複雑な心境を吐露する。

枡野「ただ僕自身、こういう問題は十数年に渡って書いてきて、それに対して反論もされてきているので、『もう、どうとでも言えるな…』と。どっちの立場の意見も言えるんですよ。子どもを父親に会わせたくない母親の意見も聞いてきた。あるいは、離婚家庭に育った子ども側の話も聞きました。どんな立場もあり得て、どんな事も言えるから、何が正解なのかがわからなくなっちゃってるんです」

西牟田「僕もシングルマザーの方から、『元旦那と子どもを絶対会わせたくない。普段なんのサポートもしてくれないのに、会いたいときだけ連絡してくるなんてふざけている』なんて意見も聞きますし、会わせたくない母親たちの視点に立った特集記事を書いたり、離婚家庭に育った子供たちの取材もしたので、確かになかなか“父親に子どもを会わせるべきだ”に焦点が結ばないというのはあります」

連れ去り親の「会わせたくない心情」もわかる。連れ去られた親の「本来ならば会えるはずなのに、会えない」悔しさもわかる。子ども側も当然、複雑な心境のはずだ。この状況をどう打開すれば良いのか。

枡野さんは、父親側が本音を隠し、「子どもにとっては父親に会える方がいい、会うべきだ!」と理論武装しているのではないかと分析する。

一方、西牟田さんは、日本とアメリカの離婚後行政のシステムを比較し、トークは「共同親権か、単独親権か」の問題に。

枡野「父親はもっと“ただ、ただ会いたい!”っていうのを本音で言うべきじゃないかと。僕も反省しています」

西牟田「でも、親の“会いたい”“会わせたくない”っていう感情と、離婚後の行政のシステムはまた別問題だと思うんです。アメリカだと、たとえ離婚した親が犯罪者であっても面会させるというシステムもあるくらいですから」

枡野「アメリカといえばブラッド・ピットとアンジョリーナ・ジョリーの(離婚と親権争いの)ニュースがありましたね」

西牟田「あの報道で『アメリカの離婚行政はすごいな!』と思ったのは、離婚成立後わずか3カ月で、ブラピがカウンセリングを終えた時点で(アンジョリーナ側が反対していたのに行政指導のもとで)子どもたちと再会できていることですね。日本だと夫婦が自力で合意していない限りは、3カ月なんてスピードでは絶対に会えないですよ」

枡野「ただ海外では『共同親権』が主流ですよね」

『共同親権』とは離婚後に両親それぞれが親権を持つ方式で、諸外国でほぼ採用されている。これに対し日本はどちらかの親が親権を得る『単独親権』である。

枡野「日本でも、子どもに会えていない親の会というのが複数あります。“共同親権を実現しよう”って運動をしていて、僕もそう思っていたんですよ。

でも(映画評論家の)町山智浩さんが薦めてくれた『イカとクジラ』というアメリカ映画に『おまえんち、共同親権なのか?最悪だな!』って台詞があるんですね。その映画の世界観では、“共同親権だと子どもが不安定になる”っていう描かれ方をしていて。

その映画を観て、共同親権が普及している国では、子どもがあっち行ったりこっち行ったりで辛い思いをしているかもしれないって、初めて思って。そんな視点、持ったことなかったなって」

西牟田「でもやはり、行政が子どもに会える機会作りをして、それを利用するかどうかは個人が選択できるシステムはあった方がいいと思います。日本の場合、その辺りが野放図というか、何も制度設計されていないんです」

「子ども連れ去り勝ち」という現状

左『愛のことはもう仕方ない』、右『わが子に会えない』

イベントの最後に行われた意見交換では、離婚案件を多く扱っている杉山程彦弁護士からも刺激的な意見が述べられた。

杉山弁護士「今の日本の離婚では、子どもを連れ去られてしまうと圧倒的な力関係ができてしまう、“連れ去り勝ち”という状況です。諸外国だと子どもの連れ去りは場合によっては誘拐犯とかにもなりますが、日本では合法です。さらに離婚裁判や調停をやっても、連れ去った側で子どもが生活するのが普通という前提で話が進んでいきます。つまり、離婚調停の席がおよそ対等ではない。まるで人質交渉になってしまっています。“子どもの連れ去り勝ち”を容認している点において、裁判所も弁護士もおかしい」

ここで、会場から、「『わが子に会いたい』を読むと、母親側が子どもを連れ去る例が殆どですが、実際に“連れ去り”は母親側が多いのでしょうか?」という質問があり、さらに杉山弁護士が踏み込こんで答えてくれた。

杉山弁護士「はっきり言ってしまえば、女性の方が(一緒に生活している時間が長いなどの理由から)子どもを連れ去りやすい環境にあると。逆に女性の側で子どもを男性側に連れ去られた例の共通項を見ていくと、全部が全部じゃないですけど、職業を持っている女性(共働き等)が多いです」

つまり専業主婦であったりパート主婦だったりで在宅時間が夫よりも長く、子どもの世話をする時間も長い妻側が、“連れ去り”においては(誤解を恐れずに言えば)有利で、共働きで外で働く妻の場合は物理的にも社会的にも(行方をくらますことが難しいため)“連れ去り”行動を起こしづらいということになるだろうか。

参加者の女性から、次のような意見も出された。

女性参加者「私も、子どもの連れ去りにあってるんです。(連れ去った)うちの夫が残した、弁護士とのやり取りのメモにも、『連れ去った者勝ち』って書いてありました。男性だけじゃなく、離婚後に子どもに会えてない女性もいるんです。会えなくて、辛くて辛くて、死にたいとも思いました。関係する本はすべて読んで、枡野さんの『結婚失格』も読んで、会えない父親の気持ちにとても共感しました」

ただ、この「連れ去り勝ち問題」に関しては、別の側面もある。仮に一律で「子どもの連れ去り禁止」とされてしまうと、配偶者からの暴力被害にあい、緊急避難的に子どもを連れて逃げる決断がしにくくなってしまう懸念がある。

やはり「離婚後の父親がわが子に会えない問題」は、一筋縄ではいかない。一律に制度を整えれば解決するような単純な事象ではなく、多種多様な問題が絡み合っている。

<DV問題>
<DVえん罪の問題>
<DVえん罪の主張がDVの温床になるんじゃないか問題>
<単独親権か、共同親権か、の問題>
<連れ去り勝ちが容認されている問題>
<父親と母親の感情問題>etc

最後に、西牟田さん・枡野さんの、印象に残った意見をそれぞれ紹介して終わりにしたい。まずは西牟田さんの建設的意見と今後の決意から。

西牟田「突きつめて言えば、今の日本はやはり『離婚の制度』が簡単にできすぎていることが問題ですよ。離婚用紙の紙一枚で離婚できてしまうわけですから。ただ、対策を講じる自治体も出てきていて、兵庫県の明石市などでは、強制ではないですけど、離婚時に両方の親に“養育計画書”を書かせるんですね(明石市ホームページ『離婚後のこども養育支援』)。

これらが普及して、その計画を守らなければきちんと罰則を与えるようになっていけばいい。そうしていけば、“子どもに会えない問題”だけじゃなく、シングルマザーの貧困問題の解決などへも繋がっていくのではと思います。

あと、この本を出した後に、『離婚後に子どもに会えてない女性もたくさんいるのに、なぜそのことを書いてくれないんですか!』と何人もの方から言われたんです。

僕自身、子どもに会えていない女性の存在は知っていましたが、まずは、これまで表面に出にくかった父親の問題に釘を打つべきと考えて、敢えて男性のみの本にしたんです。なので今後、『わが子に会えない/母親編』にはぜひ取組みたいと考えています」

枡野「(男女の関係が)恋愛である以上は、本当の暴力はまずいけど、多少暴力的な感じ、ちょっとオラオラだったりとか、グイグイ引っ張ってくれる男が好きっていう女性はどうしてもいるから。

そこで僕が強く主張したいのは、DVを全くしない僕のような男はEDになるんですよ。それを書いたのがこの本(『愛のことはもう仕方ない』)なんです。だからEDとDVどっちがマシかっていう話になっていくとも思うんですね。

そりゃあDVはマズいですよ。でも多少乱暴だったり、多少グイグイくる系だったりなら、求める女性もいますよね。そういう暴力性のない男はEDになるんです。

妻に対してEDになり、セックスレスになり、妻は夫に不満を持つんです。強く主張したい、そこは。

ありとあらゆる結婚も、今、3組のうち1組が離婚するらしいですけど、全組が離婚するのが本当なんですよ。寿命が尽きちゃうから離婚しないで済む人がいるだけ。もし200年生きたら、みんな離婚するんです。それは僕の説なんですけど。

『君の名は。』で出会ったふたりも、いつか別れる。運命の出会いをした人は運命の離婚をするんです。だからみなさん、恋愛結婚をする前に、反面教師として、私の本と『わが子に会えない』を読んでほしいです」

「DVかEDか」という過激な発言は、あくまでも枡野さん自身の経験則からだろう。暴力性を持たず、かつEDでもない男性も当然いるはずだ。

「乱暴や抑圧はゼロ、でもSEXは激しく積極的な男」…というような、それはまるで一昔前のある種の男性たちが「昼は貞淑、夜は娼婦」を理想の女性像に掲げていた如くの、新たなる理想的な男性像かもしれない。

しかしそれもやはり、女性にとって都合の良い幻想ではないだろうか。

「昼は貞淑、夜は娼婦であれ」と望まれても女性がそう振る舞う必要はないし、同時に「昼は草食、夜は肉食」なんて望まれても(ロールキャベツ男子、というらしい)男性が応える必要はない。

現在、「連れ去り禁止」「共同親権への民法改正」等を骨子とした『親子断絶防止法』の法制化運動も一部の国会議員や団体を中心におこなわれているが、これについても賛成/反対の両方の意見がある。

母親/女性側vs父親/男性側というだけなく、より多様な議論を求めたいと思う。

<編集部より>

今回、離婚に際して元妻が子どもを連れ去り、「わが子に会えない」状態になっている父親の立場からのトークイベントレポートをお届けしました。

しかしこの問題は、本文中でも示されている通り、多層構造で非常に複雑化しており、行政や司法が一律の判断をすることは出来ません。私は拝聴しながら、複雑な感情を抱きました。

今年1月28日、長崎県諫早市で、元夫に子どもを面会させようとした元妻が、元夫に刺されて亡くなる事件が起こりました。元夫はその後、自宅で首を吊って死亡しています。子どもは一人取り残されました。

元妻は昨年11月に元夫からのストーカー被害を諫早署に相談していました。署は元夫への警告を出せると提案しましたが、元妻は「報復が怖い」と断っていたそうです。(産経WEST

元夫は離婚成立後、LINEで元妻に危害を加える内容のメッセージを送ったり、電話をしたりしていたそうです。それでも元妻が面会交流の場に現れたのは、やはり「報復が怖い」という心境からだったのでしょうか。

「わが子を元夫に会わせたくない」という元妻側の心理には、「元夫が憎い」「元夫への嫌がらせをしてやる」という憎悪が強いケースももちろんあるでしょうが、そうではなくて、恐怖や怯えがあって、面会交流を拒むケースも多数あると考えます。

そうした恐怖を抱える人間にも面会交流を義務付けることが、「子の福祉のためには大切」なのかどうか、よくよく検討する必要があります。

トークではアメリカの離婚後の面会交流についても話題にのぼりましたが、アメリカやオーストラリアでも、元夫が面会交流中に元妻や子どもの殺害に及ぶ事件が起こっていることを、社会学者の千田有紀さんが指摘しています。

面会交流によって、アメリカでは年間何十人もの子どもが殺されている

「わが子に会えない」父親の多くは、「僕はそんなことをしない」と言うでしょうし、実際にしないと思います。

元妻側の身勝手な行動で苦しい思いをする父と子の存在もあるでしょう。しかし暴力をふるい、殺害に及んでしまう人もいる。その峻別を可能にする方法は海外でもまだ見つかっていないのではないでしょうか。

・和解が不可能なケースについて。
・離婚後も元配偶者への憎悪や恐怖が残り続けてしまうケースのケアについて。
・離婚後の元家族の接触に危険が伴うと考えられるケースの峻別について。
・DVの有無を裁判で証明することが困難であること。
・離婚の際に取り決めた慰謝料や養育費、面会などの遂行義務が曖昧であり罰則もないこと。
・両親が面会に合意していたとしても、子ども側が「会いたくない」と主張するケースについて。

こうしたひとつひとつに対応していく必要があり、性急に結論や解決策を求められる課題ではありません。

ごく私的な話をします。私は数年前に協議離婚し、子どもの親権および養育権は母親(私)側が持つこととなりました。双方に悪いところがあったので争うことなく離婚届を提出しましたが、とはいえ互いに抱える憎しみは相当なものだったと思います。

調停も裁判もしませんでしたが、公正証書は作成しました。

そこには、もうこの件について争わないとか、財産分与とか、慰謝料なしとか、月ごとの養育費をいつまで継続して支払うとか、子どもと父親は月1回以上は面会する(場所や時間はその都度相談)などを記しました。

元夫婦である私たちはこれを守り、お互いにLINEで連絡をとり、面会日を決めて月1~2回の父子の交流を続けてきました。

別に「約束だから守らなければ」という意識で面会交流を継続していたわけではありません。離婚が決定的になったとき、二度と子どもを元夫に会わせたくないとも全く思いませんでした。

むしろ「離婚してもちゃんと子どもと会って欲しい」と伝えていたくらいです。夫婦としてはお互い嫌になったけれど、子どもは父親を嫌いなわけではなかったこと、そして私は子育ての責任を両親双方が負うべきと考えていたことが理由です。

自分の子どもには「パパとママ両方に育てられている」と感じていてほしいと望んでいました。ちなみに離婚について実家の両親に相談はせず事後報告でした(頻繁に電話がかかってくることが予想されて非常に嫌で…)。

子育てのメイン担当者は母親である、という風潮に私は納得していないため、月1~2どころか毎週、平日土日祝を問わず都合のあうときに子どもと父親が交流してくれればいいとさえ思っていました。

私の考える「会う、面会交流する」というのは「遊ぶ」ことではなくて、食事や入浴の世話をすることや場と成長に応じたしつけをすることなども含みます。

子どもにとって、たまに遊んでくれるおじさん、ではなく「パパ」として認識していてほしいからです。面会交流というよりも、育児の分担という意識です。

この状況に、「よく普通に元夫と交流を保てるね」「私だったら絶対に子どもを会わせない」と首を傾げる友人たちもいましたが、父親と一切の交流を断って子どもを過不足なく(溢れ出る母性や愛情でケアして)育てる自信は私にはありませんでした。

それに夫婦関係を清算してからのほうが元夫婦として楽な気持ちで交流が出来るようになった、夫婦としてではなく子の親としての関係を新しく構築しているのだ、と私は認識しています。

現在はかつてのような憎しみもなく、相手を人として信頼して関係性を保っています。そもそも、元夫が子どもを絶対に会わせたくないような暴力性や危険性を持つ人かというと、少なくとも私や子どもの目にうつる範囲でそういう側面は見当たりません。

ですからこの場合、「両親が夫婦でなくなった」ことが「子どもが父と別れる」こととイコールになるのはおかしいことだと考えます。

ただ先に述べたように、これはあくまで私の個人的な経験および意見にすぎません。自分はこうした(出来た)ので貴女もそうしなさい、などと誰かに押し付けることもしません。事情や考え、感じ方はそれぞれに異なるからです。

それに、私自身、いつまでこうしていられるのか正直に言えば先のことはわかりません。いずれまた生活の変化が否応なく訪れるかもしれないことだけは覚悟しています。

これは複雑な問題である、と繰り返しましたが、シンプルな見方をすることも出来ます。「暴力(暴言)をふるわない」「他者の権利を尊重する」ただそれだけのことです。それだけのことを元夫婦同士が遵守できれば。

でも“それだけのこと”すら守れなければ、話し合いもままなりません。まずは元夫婦のためのカウンセリングなどのサポートが、離婚の場に必要かもしれない。今回のトークイベントでそんなことを考えました。

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