『せいのめざめ』(河出書房新社)

思春期、異性や体の変化を意識し始める一方で、そんなモヤモヤにどう向き合っていいのか分からなかった頃。誰もが勝手な性の妄想で頭がいっぱいになったり、大人からすれば些細なことで思い悩んだりした経験があるだろう。

そして、成長してみると、不思議なことに当時の自分たちがとても愛しく思えてくるものだ。

『せいのめざめ』(河出書房新社)は、そんな思春期の心境について綴られたコミック&エッセイである。イラストレーターの益田ミリとライターの武田砂鉄が、それぞれ女子と男子の「性の目覚め」をテーマに、中高生の頃の淡い思い出を振り返っていく。

あるときは微笑ましく、あるときは切なく、大人になってしまった読者のノスタルジーを揺さぶることだろう。

本書では同一のモチーフについて、益田の愛らしいコミックと武田のエッセイが交互に掲載されていく。たとえば男子の「いちもつ」に関しては、益田が学生の頃、「男子のあそこが大きくなるらしい」という情報を得てから頭を悩ませた日の回想が描かれる。

「大きくなっても曲げようと思えば曲がるという独自のシナリオ」がいつしか完成し、「手をパーにしたときの親指から小指までの長さ」にまで伸びるという友人のデマを本気にしていたエピソードがおかしい。

しかし、それはいつか「いちもつ」を受け入れる側の恐怖でもあったのだ。

一方、武田は男子の側として、中学生時代、授業中に居眠りしただけで大きくなってしまっていた「いちもつ」に関する苦労話を披露する。

大きくなったままで連れションをした際、隣からのぞきこまれないよう小便器の壁にくっつきそうな勢いで用を足していた努力が涙ぐましい。

益田も武田も特に目立った中高生ではなかったようだが、それでも男女交際やセックスには人並みに敏感だった。しかし、表立って口にしてしまうのは恥ずかしい。それに、知ったかぶった態度を取って、深く追及されるのも怖い。

だから、一人で悶々とするしかない。思春期特有の悩める毎日が本書を読むと蘇ってくるようだ。

同じ問題でも女子と男子で捉え方が違っていたのを知るのも楽しい。女子の側は、知らないもの特有の自由な空想で性に向き合っていたようだ。ネットが普及しておらず、簡単に画像や動画が見られない時代では尚更である。

たとえば、かつて益田は「皮がむける」という意味がよく分からなかったため、セミの脱皮のようにズルッと皮がはがれるのだと思い込んでいたという。「痛そうだしかわいそう…」と男子に同情する少女だった益田。

男性からすればその感想は、あながち間違いではないのだが…。

しかし、中学生男子になると、空想では済まされない。

「一皮むける」という言葉のルーツを知らないけれど、中学生男子にとっては、それはどこまでも具体的な課題であった。

出典『せいのめざめ』(河出書房新社)

武田が書くように、思春期の男子は、お互いに「むけてんのか、むけてないのか」が気になって仕方がない時期を迎える。武田の周りでは、やんちゃ者に限ってむけている側に立ち、武田たち地味っ子はおしなべてむけていなかった。

神様なんていないと思う瞬間であった。

出典『せいのめざめ』(河出書房新社)

しかし、とにかく地味だった「林田くん」なる男子が部活の合宿中、お風呂場で下半身を露にしたとき、武田は我が事のように誇らしい気持ちを覚えたという。

たとえ一瞬でもスクールカーストを逆転させてしまう、それほど男子にとって「むけている」ことは重要だったのだ。

本書には思わず笑ってしまうような言い回しもあるが、いわゆる爆笑エピソード集ではなく、あくまで真摯な態度で十代の「性の目覚め」をなぞっていく。

本書の最後で、かつて女子だった女性と、男子だった男性は「淋しい」という感慨を述べる。子供のままでいられなかったこと、子供の気持ちを追体験できないこと、そして大人として生きること。

本書は二度と訪れないからこそ大切にしたい、十代のセンチメンタリズムをやさしくパッケージしている。

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