記事提供:日刊SPA!

東日本大震災から6年が経過した2017年3月11日土曜日は、全国各地で追悼式典が行われた。

テレビ番組の震災関連特番の本数は昨年よりも少なくなったという報道もあったが、ネットニュースや新聞では震災の記憶を風化させないよう、被災者の今の声を伝える記事が目立った。

だが、実際に被災地を訪れた人や被災地に住む人にとっては、メディアが報じる被災地のトーンと眼前の風景との間に大きなギャップを感じていたかもしれない。

◆被災地は「工事現場」

というのも、震災から6年が経過した今、震災の記憶が刻み込まれている風景の多くが被災地から失われているからだ。津波で被害のあった地域は、例えるならば「更地の工事現場」。

今では被災状況を伝える建物はほとんど残っておらず、先週メディアが報じた被災地の「津波の爪痕」はその地域のほんの一部にすぎないのだ。

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そもそも、一口に「被災地」と言っても現地の状況は場所によって大きく異なる。東北地方という範囲が広いのは言うまでもないが、たとえば福島と宮城でも関心の領域が大きく違う。

震災以降、農業・漁業の復興が最大の関心となっている宮城や岩手に対して、福島は原発事故による放射能の風評被害や避難が解除された地域におけるコミュニティの崩壊が最大の関心事となっている。

また、同じ福島県内でも、福島第一原発から近い避難区域と、それ以外の地域では震災に対する関心や問題意識も大きく異なる。

東日本大震災の報道ラッシュが終わった今、現地の日常の様子から被災地の見えないリアルを紹介しよう。

◆福島県富岡町

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原発事故の影響で多くの住民が避難している富岡町。幹線道路の国道6号線以外は主要道路を除いて立ち入りが禁止されているため、町内を自由に移動することができない。

田畑の広がる農道や民家に通じる道には原則としてすべて鉄柵が設けられ、立ち入ることはできず、避難先から戻ってきた人も出始めているものの、街は全体的に静寂に包まれている。

平日18時をすぎると、富岡町や浪江町を縦に貫く国道6号線は帰宅ラッシュに入る。一列にならぶ観光バスとハイエースが向かうのはここから南のいわき方面。

車の大半は福島第一原発で廃炉作業を行う作業員や出入り業者だ。ここは今の住民の割合から考えても、復興の街というよりも廃炉作業をしている人たちのための街と言える。

富岡町のコンビニエンスストアに入ると、軍手やネックウォーマーなど、現場作業をする人が購入するであろう商品のラインナップが充実しているのが町の状況を如実に表している。

津波で流されたJR常磐線富岡駅周辺は、3年ほど前までは倒壊した家屋や駅舎を見ることができたが、今はすべて更地になり、新たな駅舎を建設すべく急ピッチで工事が進められている。

2017年末には再開予定で、すでに駅前のロータリーはほぼ完成しており、震災の記憶を目で見て確認することは極めて困難になっている。

つまり、富岡町は津波ではなく原発事故の影響を強く感じさせる風景が広がっていると言える。

いっぽう、市全体が再開発事業のように急激な復興を遂げているのが福島第一原発から40kmほど南にあるいわき市だ。

◆いわき市豊間地区

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3月11日、津波被害による犠牲者が出たいわき市豊間地区では、14時46分に追悼式典が行われた。

家族をなくした地域の住民、警察と消防の100人ほどが参列し黙祷が捧げられたが、メディアで報じられている姿と現地では、やや違う空気感があった。

住民たちは終始深刻な表情を浮かべ、言葉も少なく、いまだ癒えぬ震災のショック…とメディアが言いそうな紋切型の光景は広がっておらず、実際は式典の前は雑談と笑い声が飛び交い、住民による甘酒が振る舞われ、ちょっとした町内会の集まりのような雰囲気になっていたのだ。

むろん、その辛さが見えないからと言って被災者の悲しみが癒えているわけではない。だが、「ずっと悲しい表情を浮かべている被災者」というイメージを抱いていたとすれば、それは誤解といってよいだろう。

実はいま、豊間地区は復興の真っ只中。流された家屋があったエリアはいったん更地にし、新たな道路が敷かれている。ここでも、震災当時の状況を思わせる建物はほぼ見られなくなっている。

◆いわき市小名浜地区

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漁港のあるいわき市小名浜地区は、豊間地区以上に復興バブルに沸いている。津波被害にあった水族館「アクアマリンふくしま」の真向かいでは大型ショッピングモールの建設が進んでいる。

周辺には新たな道路が敷かれ、ショッピングモールと水族館、観光客向けの物産館を結ぶデッキも整備され、エリア一帯が大規模な商業地になりつつある。

押し寄せた津波によって海水に浸されたはずのこの地だが、今ではその面影を感じさせる建物はほとんど残っていない。

だが、数少ない震災の記憶が残されている場所もあった。物産館の「いわき・ら・ら・ミュウ」。震災当時津波被害にあったこの施設では、震災を特集した展示が開かれていた。

当時の避難所の様子を再現したブースは特に人気があり、当時の生々しい状況を感じ取ることができた。

◆「店で出される食材は必ずしも福島産とは限りません」

震災以降、東北への関心が高まり観光客も増えている福島県浜通り地方だが、地元の方からは興味深い声を聞くことができる。

「よく誤解されることがあります。福島に来て『食べて応援!』と言っていろんな料理を食べられている方がいますが、店で出される食材は必ずしも福島産とは限りません。

たとえば、いわき名物として出されるあんこう鍋のあんこうは青森のは大間産だし、刺身盛り合わせもマグロ、カツオ、タコ、メヒカリ…それぞれ産地が違います。特に刺身なんて中国など世界中から仕入れています。

これは野菜も同様。もちろん、福島産の食材が放射能の安全基準値を上回っているからそうしているのではなく、お客さんにおいしい食材を提供したいからそうしてるんです」(いわき市湯本で飲食店を営む男性)

彼によると、そもそも震災前から店で出される食材は必ず福島産のものではなかったという。考えてみれば当たり前だ。たとえば、岡山の居酒屋で出される料理の食材がすべて岡山産である確率は低い。

だが、メディアは被災地で採れた食材のみを取り上げ「食べて応援!」と報道する。実際に被災地の居酒屋で出されるのは、東京の店と同様に、料理に合わせた様々な産地の食材。

そこには、東京の人の想像以上に、東京の人と同様の日常が流れている。一概に“不幸”のイメージを流布しがちなメディアに対し、被災地にいると報道と現実とのギャップを感じざるを得ない。

その差異を確認するために、震災当時の風景がほとんど残っていない今こそ被災地を訪れてみるのもよいかもしれない。

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