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『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子/太田出版)

沖縄の女性たちが暴力をうけ、そこから逃げ、自分の居場所を作り上げていくまでの記録を綴った『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子/太田出版)。

同書に登場する女性たちの身に起こった、貧困や暴力といった問題の根本的な部分には「米軍基地」の存在があると著者の上間陽子氏は説明する。

「私が書いたのは、沖縄内部の暴力です。ただ、その内部の暴力には外野がいる、と思っています。占領軍と暮らす日々ということがどのようなものか、どこを歩いても基地のフェンスがあるという風景に育ち、それを見続けて大人になるということはどういう意味があるのか。これまでに調査した女性たちは、暴力をうけた場所から逃げ出して、米軍基地のフェンスのそばをひとりで逃げていました。私は、沖縄の女性たちがこのような場所にいることを、変えたいと思っています」(上間氏、以下同)

実は筆者も沖縄出身の人間で、本書に登場する女性たちと同じく、基地の街に育った。同書を読むと、同じ学校にいたあの子は今どうしているだろう、と幾人の同級生の顔がよぎる。

他の地域でも言えることかもしれないが、高校に行かず中学でドロップアウトした子と、それ以外の子のコミュニティは徐々に断絶されていく。同書に登場する女性たちは、沖縄の中でも問題が可視化されにくい層だろう。

それでも、この本を読めばあの街特有のそこはかとない暴力の気配がよみがえってくるし、確かに私たちは同じ場所にいたと感じることができるのである。そして筆者は今、沖縄を出て東京で働いているが、だからこそ沖縄とここは地続きだと実感している。

沖縄というのはある意味特殊な場所だ。沖縄のおかれた状況を説明する上で、上間氏が指摘するような基地問題や、土地特有の文化に触れないわけにはいかないだろう。

しかしそれは時に支援・対策といった目的から飛躍し、イデオロギーや政治的な問題を論じる場になったりする。それを同じ沖縄県人の筆者は悔しく、もどかしく思っている。

一方、『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』では、著者である上間氏がなにかを糾弾したり、提言したりするわけではない。本文のほとんどは女性たちが過ごす風景描写や会話で構成されている。

たとえば、恋人に暴力をうけながらも、警察に保護してもらえず、子どもを病院に預けたまま街をさまよい歩く日々を送っていた女性は、自分が受けたDVの様子をこう語る。

――怖くなかった?

怖さはあるけど、人間、何回もなぐられてきたら、どんどんジンブン(=知恵が)ついてきて。なんていうの、自分がアホな、頭のアホなかんじにしたら、相手がびっくりして、とめるんですよ(笑)。

――どういう意味?

相手にやられて、私もいい返すから、余計やってくるから。自分で自分をもう、なんていうのかな、自分で自分の髪の毛引っ張ったりとか。こんなだったら、相手はびっくりして、とまるんですよ。

――自分のほうが逆上してみせるってかんじ?

そうそう!自分が自分に対してね、逆上して、とまる。「こいつ大丈夫か?」ってなるんだ。

出典『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』 (上間陽子/太田出版)

いたたまれない出来事でも、それを冗談で済ますような話しぶりには筆者もなんだか覚えがある。一見カラッとした口調だが、今思えばあれは、あの島特有の悲しみの表現だったのではないか。

会話では彼女たちが喋った言葉がそのまま書き起こされており、読みにくい部分もあるかもしれない。だが、血肉の通った言葉に読者は彼女たちを身近に感じることができるだろう。

「まだ年若い彼女たちの身体が、暴力をうけて、あるいは過度な責任をおわされて、どのように生きることを強いられているのか、それを体感してもらいたい。そうすればこのような世界を生きる理不尽さをひとは考えてくれるのではないかと考えました」

貧困や暴力の連鎖については、様々なデータで裏付けがされている。また、その構造についても多くの有識者が意見を述べている。

だが、本当の意味で暴力を止めるには「当事者でない方が、他者に対する想像力を持つことができるかどうか」だと上間氏は語る。だからこそ、上間氏は分析せず、批評せず、女性たちの日常を綴る。

「平和な地平は、自分の日常を守ることだけではなく、他者の日常を守ろうとするところに生まれると思っています。ここでいう他者とは、あなたの隣のひとでもあり、沖縄でもあると思います。私はまだ見ぬ読者の想像力を信じます」

登場する人たちは「遠い島のかわいそうな女性たち」だろうか。同書を読めばそれとはまた違った感情になるかもしれない。

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