記事提供:日刊SPA!

昨年公開されたドキュメンタリー映画『FAKE』(森達也監督)で再び脚光を浴びたゴーストライター騒動。

当初は共同作業者として表舞台にクレジットされていた新垣氏の名はやがて消え、同時に佐村河内氏のセルフプロデュースはエスカレートしていく。

だが、実際の二人の関係性は、「新垣氏を利用する佐村河内氏」という一般的に流布されている安易なストーリーからはほど遠かった。従来のイメージを覆す、その意外な真相にミュージシャンの西寺郷太氏が迫る。

西寺:世間では「佐村河内さんは新垣さんを利用し、世を騙した悪人」というイメージですが、実際の佐村河内さんにいいところはあるんですか?

新垣:うーん、そうですねえ…「一生懸命な」ところですかねえ…この記事(1997年公開の映画『秋桜』の紹介記事)のときも、「自分はこの作品でアカデミー音楽賞を取るんだ!」と一生懸命になっていました。

だから、打ち込みじゃなくてオーケストラをやりたいとなり、そこから私との関係が生まれたんです。

西寺:つまり、最初は佐村河内さんが作曲したものを、新垣さんがオーケストラ用にアレンジするという共同作業だったんですね。それってゴーストライターというより、ある意味、音楽業界では当たり前のことですよ。

僕のバンドの「ノーナ・リーヴス」だって、僕が最初に大まかなデモを作り作詞と作曲のコンセプト、ガイドラインを担当して、それをギターとキーボードの奥田(健介)が細かなアレンジで磨き上げて、ドラマー小松(シゲル)が監督や編集者的な立ち位置でジャッジするのが、基本的なあり方でした。

作詞作曲西寺郷太、アレンジとプロデュースはノーナ・リーヴスとなるし、逆に奥田が作ってきた曲の場合は僕がプラス・アルファの立場に交代する。

その中で、共同作業の分担がある一定のライン、例えば7:3を超えたら共作、それ未満の8:2なら単独名義にしようという形を、自然にとっているわけです。

新垣:なるほど。

西寺:いい曲を作るために最適な手段としてのスキルの交換、これはプロでは当たり前のことなのに、世間では「オーケストラを全部書いてないと作曲家じゃない」、「譜面も書けないのに作曲できるわけない」と思い込まれていますよね。

ビートルズやマイケル・ジャクソンにしても、全てを学術的に譜面に起こしているわけではない。

一昨年、藤井隆さんと一緒に彼のソロ・アルバムを作った時、彼はメロディと歌詞を鼻歌で録音して、その上でこういう曲のリズムでってアレンジのイメージまで考えてきてくれました。

ただ、それを実際の音にするには僕たちプロの力が必要で、彼のイメージを具現化するお手伝いするわけですが、出来上がった作品はどう考えても藤井さんの作曲なんですよ。やはり大切なのはメインのメロディ。

佐村河内さんも、最初は藤井さんのように主メロを作曲していたんですよね。

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新垣:そうです。そして、私のアレンジをすごく褒めてくれる。それが、いつしか「僕が作るより最初から新垣さんが作ったほうがいい」となっていったわけですが…。

西寺:それなら、「さいとうたかをプロダクション」のように共同作業であることを暗に示すという手もありましたよね。

「佐村河内プロジェクト」であることは明白なわけですから。なんで全部自分名義にしたのかな?佐村河内さんは、世間の耳目を集めるというセルフプロデュース能力に長けていたわけですから。

――仮にスキャンダルがなければ、今もコンビを組んでいたと思いますか?

新垣:その可能性はなくはないですが、低いと思います。というのも、スキャンダルが出る以前から、彼の周辺はざわついていました。どう考えてもおかしいと、火種は燻っていたんです。

僕らの業界は狭い世界で、関わっている人は音大なり師匠なりについて勉強しているのが普通です。基本的にクラシックの世界で全くの無名の新人というのはありえないんですよ。

録音のときに私がオーケストラの指揮をしたのですが、奏者に知り合いや同僚がいるわけです。

当然、「なんで新垣君がここにいるの?」となるし、「あの佐村河内さんって人、何者なの?」って聞かれました。

そのときは冷や汗かきながら、「今日は録音なので集中しましょう」と話を逸らして切り抜けましたが、当時から同業者は相当怪しんでいたと思います。

案の定、スキャンダルの前年にひとつふたつ批判記事が出始めたので、私はうやむやにして終わらせたかった。例えば、本人が本などで「耳鳴りが止まない」などと言っているので、「それでもう作曲はできなくなった」などと。

けれど、それは実現しなかった。むしろ逆に「何か都合が悪くなった時には、耳鳴りがひどくなったと言えばいい」と考えていたからこそ、彼は限度を超えてエスカレートしていったのかもしれませんね。

ですから、もしスキャンダルがなかったとしても、いつかはバレて破たんする運命だったんです。状況次第では、私も共犯者として一緒に血祭りに上げられていたと思います。

西寺:僕は佐村河内さんも新垣さんもどちらも違った意味での才能があったと思っているので、早い段階でチーム制に移行するとか、本当にやり方さえ上手くいけば…。

新垣:そうした形に持って行けなかったんです。

西寺:さらに、全聾という佐村河内さんの主張に対する疑惑。この異なる二つ問題が混同されているから、事態がややこしくなってしまった。前者に関しては、先ほど述べたようにチーム制が健全に運営されていれば何ら問題ない部分だったと思います。

新垣:そうですね。実は、18万枚売れた曲にしても、実際に作曲したのは十数年前で、お蔵入りになっていた曲なんです。当時は、私たちのことなんて誰一人知らなかったので、佐村河内氏が前面に出てアピールする役割を頑張っていました。

僕はお手伝いをするくらいの感覚で。その後、彼が自伝と称するフィクションを出版し、注目を浴びたことで、お蔵になった曲が復活して演奏されることになった。そして、その3年後にCD化されて1万枚売れたんです。

これでもクラシック音楽としてはヒットなのですが、さらに2年後に『NHKスペシャル』が放送されたことで、18万枚も売れてしまった。そういう話です。それまでの十数年間は、私たちのことに誰も興味を持っていなかった。本当に小さなことなんです。

西寺:あぁ、なるほど!真相は「新垣さんは20年間ずっと佐村河内さんに抑圧されていた」というストーリーではなく、「頑張っている佐村河内さんをプロの新垣さんがバイト感覚で手伝ってあげていた」みたいな。

新垣:それがいきなり18万枚も売れてしまったので、「しまったな。こんなことになるなんて…」というのが私の実感です。最初のうちは「書いてくれ」と頼まれるので、「じゃあ、どうぞ」と。

もちろん、彼の名義で出すことも承知しており、一定のお金をもらってゴーストライターを請け負っていたわけです。そして、その曲を使って彼は頑張るわけですが、結局どうにもならない。

その状態が何年も続いていて、自分はそれでいいと思っていたんです。逆に「うっかり売れちゃったら大変だぞ」とは思いましたが、「まあ、そんなことには絶対にならないから大丈夫だろう」と高を括っていたんです。

そういう意味で自分はかなり嫌なヤツですね(笑)

西寺:聞きたいんですがそのときは、間違って売れないように手を抜いたりしていたんですか?

新垣:いや、全て本気で書いていました。ただ、クラシックや現代音楽というジャンル自体が売れるものではないので。

西寺:ようやく現場の空気感が分かってきました。

ニュースだけだと、その騒動の大きさに惑わされて、直感的に「なんで新垣さんは20年近くも、そんな不当な待遇に黙ってたんだろう?」とばかり思っていましたが、実際は新垣さんにとってみれば趣味の延長のような、ある種、牧歌的な関係が騒動の直前まで続いていたわけですね。

メディアの描いたストーリーとは異なる二人の関係性は、意外なほど長閑なものだった。

次の最終回では、話題を『FAKE』に戻し、西寺氏がミュージシャンならではの視点からゴーストライター問題の本質に鋭く切り込んでいく。(※「佐村河内とはいつも喫茶店の喫煙ルームで打ち合わせしていた」が近日公開)

・新垣隆(にいがきたかし)

作曲家・ピアニスト。桐朋学園大学音楽学部作曲専攻の非常勤講師時代に佐村河内氏と出会う。後にゴーストライター発覚以降は、自分の名義で精力的に作品を発表している。著書に騒動を受けた自伝『音楽という<真実>』(小学館)がある

・西寺郷太(にしでらごうた)

ポップンソウル・バンド「ノーナ・リーヴス」のメイン・ソングライターであり音楽プロデューサー、MC、作家など幅広い分野で活躍。音楽レーベル「GOTOWN RECORDS」主宰。著書に『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社刊)『プリンス論』(新潮社刊)など。ノーナ・リーヴスの結成20周年記念ベスト盤「POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES」は3月8日発売

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