日本文化の玄関たる『京都』の、そのド真ん中に建っている『京都駅』が分かりやすい例だと思うけれど、コンクリむきだし&全面ガラス張りで、“90年代の近代的”や“無国籍”をやっちゃっているもんだから、もちろん外国人観光客は完全にスルー。

「こんな感じの駅は、ワタシの地元にもあるダヨ」と、せっかくの日本の玄関口が日本の顔として機能していないわけだ。

京都駅を宮大工さんが作って、旧国鉄の大社駅の超巨大版になっていたら、世界中に広まっていただろうなぁと京都駅を通る度、毎度思う。

「グローバル化だー!」

とジジイが叫んで久しいが、これだけITインフラが整うと、外に向かうよりも、内に向かった方が、てっとり早い。

わざわざ海の外に持ち出さなくても、持ち帰ってもらったらいいんだもん。

そうなってくると、海外の人達が“自国に持ち帰りたくなるような日本”が好ましい。

だからといって、侍チョンマゲ、手裏剣、えいヤーを再現しろという話ではなく、日本の歴史の文脈を、上手く利用して欲しいなぁと36歳の中年は思うのである。

たとえば、瓦屋根の京都駅に新幹線が入っていくような、日本にしか作ることができないそんな景色を。

そういえば、同じ理由で、以前、遊び半分で東京五輪のエンブレムを作ってみたが、あれは結構、気に入っている。

4枚の羽+胴体(=五大陸)が力を合わせて一つになることで飛ぶことができる蝶をデザインしてみた。羽の柄は江戸漆器である。

(※詳しくはキンコン西野のInstagramまで)

話を戻します。

グローバル化という視点で見た時に、主体的に世界と接触できている日本のエンタメは、まぁアニメもそうなのかもしれないけれど、その他は江戸時代に発展したものが多い。

歌舞伎や浮世絵や春画の反応は本当に良くて、家にある上方浮世絵の本をあらためて読み返してみると、たとえば着物の色の合わせ方一つとっても、今じゃ考えられない。

赤に青と緑を合わせて、柄を二つぐらいブチ込んで、それでいてカッコイイ。

サプールもビックリである。

江戸時代の意見が入ってきていたら、こうはならなかっただろうな、と思う。

何が言いたいかというと、極端な文化を育むには集中して内側に向くことができる一種の鎖国性が必要で、そして、そこで育まれたものは主体的に外の世界と接触できるものになりうるということ。

これを受けて身近な話をする。

SNSをどのように使い分けるか、ここがものすごく重要だと僕は思っていて、とりあえずTwitterは辞めた。

議論を生み、拡散させる為の装置として、今もインフォメーションとして残しているけれど、あくまでそれは完成したものを広める為のものであり、いろんな人の意見が入ってきてしまうTwitterは『ゼロ→1』の作業は不向きで、極端なモノが生まれないと判断した。

自分が考えていることはFacebookや、このブログに書くとして、核となる部分、つまり『ゼロ→1』の作業は、たとえば「青色に赤色を合わせるのは変だよ」といった外の声が一切入ってこない、外の声が一切反映されない、超クローズドな鎖国空間でやろうと思って、オンラインサロンを始めた。

ちなみに、『えんとつ町のプペル』の無料公開は、このオンラインサロンの中で決めた。

それぞれの立場があるので賛否両論あっていいと思うけれど、少なくともオンラインサロンの中では満場一致でGO!だったのだ。

極端で面白いと思った。

僕はこのスタイルにしてからの方が活動しやすくなったんだけど、皆はどうやって使い分けているのかな?

人の意見を聞くというのは大切なことだけれど、一方で、人の意見を聞きすぎた結果が『京都駅』だから、考えもんだよね。

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