記事提供:キングコング西野 オフィシャルダイアリー

毎度お騒がせしております。

キングコング西野です。

昨日、私の絵本最新作『えんとつ町のプペル』をインターネット上で無料公開しましたところ、

「安売りするな!」

「クリエイターにお金が回らなくなる!」

「そんなことより西野嫌い!」

と様々な御意見をいただきましたが、この記事のタイトルそのまま、誰でも無料で読めるようにした途端、Amazonの売り上げがグイグイ伸びて、ついに書籍総合ランキングで1位になりました。

ちなみに、楽天でも1位になりました。

無料なのにです。

わざわざ買わなくても、ネットで最後まで見れるのにです。

面白い事件だなぁと思いました。

そして、一旦立ち止まって、冷静に考えるべき案件だと思いました。

こんな声が上がった一方で、

こんな声が上がりました。

この一件を、ビジネス的な観点から切り取ると、

「人は確認作業で動く」

「人は知っているモノを買う」

と言えるでしょう。

旅行が良い例だと思います。

グランドキャニオンしかり、万里の長城しかり…。

僕らが旅行をする時は、テレビやネットやパンフレットで、すでに(ほぼ)知っている場所に《お金を払って》行きます。

逆に、旅行会社の人に「10万円払ってくれたら、最高の場所に連れてってあげるよ」と言われても、なかなか動きません。

人が行動する動機は往々にして『確認作業』で、つまり《入り口を無料化する=価値を下げる》ではないということ。

入り口でお金を徴収することで失ってしまう仕事があるということ。

どうしてもネットニュースになると、その部分か切り取られてしまうのですが、昨日のブログでもキチンとお伝えしましたが、僕は「すべてのモノを無料化しろ!」とは1ミリも思っていません。

僕自身、入り口でお金をいただかないと回らなくなる仕事をたくさん抱えているからです。

ただ、もしかしたら、『本』は…もっと言うと『絵本』は、「お金を払って買いたい人は本を買って、無料で読みたい人はネットで無料で読めるモノ」になれるかも、と思いました。

無料で提供したところで価値は下がらないし、たくさんの人に知られてさえいれば、マネタイズは後からいくらでもできると思いました。

特に『えんとつ町のプペル』はスタッフと何度も衝突して死ぬ気で作り上げた自信作なので、無料で読み終わった後に「買って、手元に置いておこう」と考える人が出てきてくれるかもしれない思いました。

ちなみに、僕は今、自分のライブを有料で運営しているのですが、どこかの誰かがハイパフォーマンスのライブを無料で提供しはじめても、文句は言いません。

実力の世界ですから、淘汰されるのは当然なので、その時はその時で、対抗できる新しい表現を、作品を作ります。僕はクリエイターなので。

ちなみにちなみに、誤解されている方が多いので補足しておきますと、今回の『えんとつ町のプペル』の制作スタッフには、一番最初の段階でお給料を全額お支払いしております。

もし万が一、今回の無料化で売り上げが止まったとしたら、ダメージがあるのは本の印税が給料になっている僕と出版社です。

そして、出版社には今回の件の許可はとっております。

なにより、「『えんとつ町のプペル』を無料公開しまーす」の記事を担当編集者が率先してシェアしておりました。

僕たちは「それでいい」と判断したし、「その方がいい」と判断しました。

ちなみに、コンセプトデザインなど、スタッフの中心となって動いてくださった六七質さんのツイートがコチラ。

僕らは無料公開が損失だとは考えていません。

お金を取ることを辞めたからといって、売り上げが下がるとは思っていません。

絵本『えんとつ町のプペル』は出版社側にかなり無理を言って、最後に2ページを増やして、スタッフクレジットを入れています。

制作に携わった全スタッフの名前を入れています。

皆で作った本だし、この作品が一冊でも多く届くことで、一緒に汗を流したスタッフの皆様に次の仕事がいくといいなぁという判断から。

これに対して、

「だったら表紙にスタッフの名前を載せろ!」だとか、

「ネットに無料公開した時にも載せろ!」

といった声も届くのですが、僕は売れることを考えています。このスタッフの皆さんの名前が、一人でも多くの人に見つかることを考えています。

その時、スタッフの名前だらけの表紙の絵本は売れませんし、スタッフの名前だらけのネット記事はバズりません。

お客さんからすると、まずそこは知ったこっちゃない部分なので。

大切なのは、このページを一人でも多くの人に見られることだと僕は考えます。

僕たちは『お金』の正体について、今一度考えなければならない。

お金とは「信用を数値化したもの」で、つまり、「信用の面積を広げないことには、お金化できない」ということ。

そして、今、クラウドファンディングだったり、オンラインサロンだったり、信用をお金化する為の装置が揃ってきているので、昔、爺ちゃんや婆ちゃんに言われた「困った人がいたら、助けてあげなさいよ。いつか、アンタも救われるから」という《情けは人の為ならず》に真実味が増し、理屈で説明できる時代になりました。

それは人の好みですから、《お金稼ぎ》をしたい人は《お金稼ぎ》をすればいい。

ただ僕は、《信用稼ぎ》をしようと思います。

たとえ返ってこなくてもいいから、まずは自分から与えようと思います。

作品の無料化と、近年、問題になっているクリエイターに適切な対価が支払われない(倫理的・法的)問題は、まったく別次元の話。

そこを同列に語り出したら、有名アーティストがYouTubeにPVをアップした時点でアウトじゃないか。

見たことあるでしょYouTubeを。無料で。

「まずは知ってもらって、ライブに足を運んでもらう」という、収益モデルがCDからライブに移行した音楽の世界では、すでに当たり前のように行われていることです。

「これだけ働いたんだから、いくらよこせ!」というギブ&テイクが当たり前になってしまって、『労働の対価=お金』が正義になり、お金が人間を支配してしてしまっている部分に疑問を持ち、

「これは入り口で『お金』をいただいた方が良いけど、ただ、これは『お金』を貰わない方が、長いスパンで見た時に利得だから、ここは貰わないでおこうよ」という、『お金はそもそも信用交換のツール』だと再認識し、本来そうであったハズの《人間がお金を使う未来》が来てもいいんじゃないかなぁと今回強く思いました。

…と、ここまではビジネス的な観点から切り取った話。下世話な言い方をすると「最終的にコッチの方が得するんじゃね?」という話。

「10人に立ち読みされることを許して(得と考えて)いるんだったら、国民全員に立ち読みしてもらった方がいいんじゃね?」という話。

そして、ここからは、人としての話。

2017年。

僕らはもっと人を信用していい。

自分から与えていっていい。

見返りがない場合もあるかもしれないけれど、それも問題ない。

なぜならインターネットによって分母が増えたから。

無視する人がどれだけいても『ゼロ』で、計上されるのは「ありがとう。お礼に、コレを…」と言ってくれる人の数だ。

今回、『えんとつ町のプペル』を無料公開したのに売り上げが伸びて、Amazonランキングが1位になったことがそれを証明している。

去年の11月。

『えんとつ町のプペル展』の会場に、『クソおみくじ』というハズレしか入っていない《ボッタクリおみくじ》を設置していたんです。

皆、100円でハズレおみくじを引いて、「畜生!っざけんな!(笑)」と言っている最中、一人のチビッコが「本を買いたいけれど、今、お金が無くて…」と呟いたんだよね。

その直後、その場にいた大人が次々にクソおみくじの賽銭箱に100円を入れて、そして、全員が口を揃えて「賽銭を盗んじゃえ」と言ったんです。

(※クソおみくじの所有者は僕ね)

「欲しいモノが貰えるのは当たり前じゃねえからな。皆に『ありがとう』って言いな」と言ったら、チビッコは、その場にいた大人に何度も何度も頭を下げた。

それで終わりかと思っていたら、2週間後に、あの時のチビッコが再び個展会場にやってきて、「こないだはありがとうございました!」と言って、必死にお小遣いを貯めて買った『駄菓子の詰め合わせ』をプレゼントしてくれた。

泣きそうになったよ。

毎日のように流れてくる決して許されるべきではない不当労働のニュースで、僕らは見失いつつある。

人が人を信用するときに、必ずしもお金が必要だろうか?

必要な場合もある。

ただ、そうでない場合だってある。

人は自動販売機じゃないんだから。

いつから僕らはこうなったんだ?

人はこんなにも優しい。

時に裏切られることがあるかもしれないけれど、まずはコッチから信用しないことには始まらない。

今回は、それがインターネット上で行われたのだと思いました。

とてもいい勉強になりました。

いつもありがとうございます。

『えんとつ町のプペル』無料公開はコチラ。

権利侵害申告はこちら