子どもの教育方法の一つに、「子どもの目線に合わせて」というものがある。

子どもの背の高さにしゃがんで話しかける実際の姿勢と、子どもの考え方や気持ちに合わせる対応の姿勢のことなのだが、私はその考え方がどうにも納得できなかった。

その発想がもう、「上から目線」なのではないかと。そして子育てをする歳になり、自分の子どもとの接し方に日々悩んでいるところへ、懐かしい「おじいさん」が帰ってきた。

1970年から20年間にわたってNHK教育番組で放送された児童向けの工作番組『できるかな』に出演していた「ノッポさん」の本、『ノッポさんの「小さい人」となかよくできるかな?:ノッポ流 人生の極意』(高見のっぽ/小学館)が発刊されたのだ。

そして、今年(2016年)82歳になったノッポじいさんは、子どものことを「小さい人」と呼ぶ。

ノッポじいさんの「小さい人」とのつきあい方の流儀は、「長幼の序」なんてものを考えないこと。幼い子であろうとも「敬意を表して」丁寧にと心がけ、「彼らに決めてもらえばいいのです」とさえ云う。

そんなノッポじいさんは、自分が「小さい人」だった頃を目の前の「小さい人」に重ね合わせて、「あの頃の俺だったら、どの位にヘソを曲げていたかねえ」と、無作法の寸法を測るのだそうである。

なるほど確かに、私も子どもを叱る時に、まるで初めから大人として生まれてきたかのように振る舞ってしまうが、己の記憶を手繰ってみるのは必要そうだ。

本書には、「大きい人」とのつき合い方についても語られており、ノッポじいさんの信条は「身内には多少迷惑をかけてもいいが、通りすがりの他人に対しては丁寧に」だそうである。

理由は、「身内には迷惑をかけても挽回ができるけど、通りすがりの人にはそうはいかない」からなのだとか。

例えばノッポじいさんは、電車に乗る時に老人が自分の後ろについたら、優先席に空席があるのを見つけ、その老人の後ろに回り込み「ハイ、左へいくのよ」と肩を押してやる。

そして座席につくことができた老人と、少し離れた場所から目が合い笑顔を交わしたことを、「惜しいことをした。降りる駅が同じだったら、新しい老人の友人ができていたかもしれない」と残念そうに云い、そういう機会を「深ぁい友人関係の出発点かもしれないのです」と述べる。

ノッポじいさんに大きく影響したのは父親らしく、本書によれば「この子は出来る子です」という考えを終生変えることがなかったのだとか。

芸人としてなかなか芽が出ずにくすぶっていた頃も、ガンバレの「ガ」の字も言わず「まだまだ運が向いてきませんねぇ」と言い、父親に銀座の高級靴店に連れられていくと、下手なタップダンスしかできない自分のことを、店員に「この子の足は、商売物だからねぇ」と言い出して、まだ一銭も稼いだことのないノッポじいさんは唖然としたそうだ。

晩年の父親に、「いい仕事をした」と自慢の報告をしたさいには、父親はちょっと怪訝そうな顔をして「あなたなら当然でしょ」と答えたという。

子どもが大人に成長するということが、知恵を得て経験を重ねることだとするのなら、その本質は変わらないのかもしれない。それは、子どもだろうが大人だろうが、成長の途中だということだ。

ノッポじいさんは、依頼された講演のタイトルに「子育て」とあると「一緒に育ちましょう」というタイトルを提案し、「親は自分を基準に子どもを育てる」のだから、「自分自身をどう育てるか」を考えるのが先だと述べている。

子どもの頃、『できるかな』を見ているにもかかわらず、ついぞ自分で何かを作らなかった私に、そんなことが「できるかな」と思っているだけでは成長できないんである。

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