「おばさん」。そう呼ばれて自然に受け入れられるようになるのは何歳からだろうか。口では「わたし、もうおばさんだから」なんて言ってみたりしていても心から自分がおばさんであることを認めている人はどれだけいるのだろう。

女性なら誰しもいつかは訪れる「おばさん」期。

かつて図々しく恥じらいを知らない強烈な個性を持つ中年女性を描いた「オバタリアン」が流行ったが、あれから20年以上経っている今でもある年齢層の人の中には「おばさん」と分類されることにいいイメージを持っていない人も少なくないのではなかろうか。

そんなおばさんを見つめ直し、おばさんが日常で対面するさまざまな場面の出来事を紹介することで、おばさんの魅力を掘り起こした本がある。おばさん生態エッセイ『おばさん百科』(小川有里/毎日新聞出版)だ。

地方紙でおばさんについて書かれた14年目を迎える連載エッセイをまとめた本である。

「今さら、おばさんの生態について知ったってどうなるんだ」などと思ってはいけない。

赤ちゃんからおばあちゃん、おじいちゃんまで人間にはさまざまな種類があってそれぞれに魅力はあるけれど、おばさんほど喜怒哀楽がわかりやすく感情的で、いや、感情豊かでドラマチックな存在は貴重なのだから。

著者の周囲にいるおばさん友達に最近多い不平。原因はずばり嫁だ。息子が会社から帰って毎日風呂洗いしていたり、休日にお昼を作ったりしていることを耳にして涙が出たと語るおばさん。

家事なんかさせたことがない大事な息子が嫁により変貌していくことが歯がゆいと悩む友に著者はズバリいう。「あなたたちだってご主人に風呂洗いや家事をやらせているじゃないの」と。

しかし、それに対するおばさんの言葉は「息子は夫のような目にあわせたくないのよ」。明快なまでに身勝手な愛に、もう誰が言葉をかけられよう。

あなたは日常的に「でもね」という言葉を使ってはいないか。心当たりがあるならおばさんの仲間入りかもしれない。夫からペンダントとイヤリングのセットをプレゼントされたおばさんが、つい言ってしまった一言。

「ありがとう。でもね、いいもの一個のほうがよかったかな」。

そんなおばさんも女性ならではの悩みを持つこともある。マンションのエレベーターに乗り合わせたおばあさんに「あらぁ、おめでたですかぁ」と言われたおばさん。

妊婦さんと見間違うほど若いと思われたことを喜ぶべきか、お腹が出すぎであると気にするべきかと複雑な乙女心を悩ませる。

時に過剰に他人の領域に入ってくるおばさん。しかし、そんな“おばさん力”こそ、至る所で人に安心感を与えていることも忘れてはいけない。

話し相手がいなくて社会から孤立しているような想いに公園で悩む若いママに「あら、かわいい。何カ月?」などと気軽に声をかけるのは、おばさんだ。

車内でぐずる子どもに不安を覚えるお母さんの隣から、見ず知らずの関係でありながらまるで連れであるかのように子どもに声を掛けお母さんの不安を取り除いてくれるような人も、おばさんくらいだろう。

図々しいとか、自己中だなんて思われることもあるその行動や社交性が実はいろいろな場で人に安心感を与えていたりしている。そう、おばさんはこの社会で唯一無二の必要不可欠な存在であり、魅力ある生態を持つ生き物なのだ。

欧米、とりわけフランスでは女性は年齢を重ねるごとに魅力的になるという考え方がある。しかし日本では、“いかに若そうに見えるか”が女性にとってひとつの争点となる。

ゆえにか、その努力を否定されるように感じておばさん扱いされることをネガティブに感じる人もいるのかもしれない。

これはもう日本特有の考えのひとつであるから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが、本書を読んで若者にもおじさんにもないおばさんの魅力を知ると、あの個性的な態度も感情むき出しのところもとっても人間らしく感じて、「ちょっといいじゃない、おばさん」って思えてくるのだ。

著者がいう「おばさんには外見や体形からは想像しにくい愛らしさや慎ましさがある」ことに気付くと、おばさんの仲間入りへの入り口がぐっと広くなるように感じ、生き生きと過ごせそうなおばさん期が楽しみになりそう。

本書を読んだ後、ふと後ろから「おばさん」と声を掛けられた時に今までとは違う気持ちで穏やかに自ら振り返ることができる…かも!?

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