恋愛、友だちへの見栄、性の目覚め…。多感な時期の少年少女は、誰にも打ち明けたくない秘密で心がいっぱいだ。

だから、家に帰ると自分の部屋に篭り悶々とするしかない日もある。しかし、繊細で傷つきやすい少年少女に今日もどこかで母親という名の魔の手が忍び寄る。せめて入る前にノックしてくれたら、あんなことにはならなかったのに…。

『ババァ、ノックしろよ!』(リトル・モア)はTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」内の人気コーナーに寄せられた投稿をまとめた一冊だ。

本書では「母性という名の無神経=母シズム」によって、プライバシーをズタズタにされた投稿者たちの哀しい思い出がもりだくさんで、読者も爆笑と同情を禁じえない。

生んでくれたこと、育ててくれたことの恩をもってしても思わず「ババァ!」と心で叫ばずにはいられなかった気持ちは、誰もが察してあまりあることだろう。

そんな私が母から悪意なき屈辱を受けたのは中学生の頃でした。

出典『ババァ、ノックしろよ!』(リトル・モア)

二児の父である私には、今なお続く呪いにも似た、母シズム案件があります。

出典『ババァ、ノックしろよ!』(リトル・モア)

デリカシーなき母親(あるいは周囲の大人たち)の行動によって消えないトラウマを背負った投稿の数々は、出だしからして只事ではなく、怨念が渦巻いている。

圧倒的に多いパターンは、やはりエロ絡みである。その中でも本書のタイトル通り「ノックレス」によって引き起こされた悲劇が印象的だ。

部屋にズカズカと入ってきてアダルトビデオの入った紙袋を破く母、彼氏を自室に連れ込みコソコソ行為に及ぶ娘の姿をふすまの隙間から無言で見つめる母、女子高生の娘がケツ毛を気にして鏡で確認している姿を目撃してしまう母…。

また、男子が抱きがちな友だちの前でのプライドを「母シズム」が粉々に打ち砕くパターンも目立つ。

特に、幼少の頃ドブ川に落っこちてから帰宅すると、仲良しグループの面前で母から素っ裸にされてホースで犬のように洗われた、という投稿は「いたたまれない」の一言。

“First Blood”(映画『ランボー』の原題。全裸のランボーが保安官から放水される拷問まがいのシーンがある)というタイトルも絶妙である。

いずれも聞いているだけでは笑い話だが、自分の身に置き換えるとホラー映画以上にゾッとする投稿ばかりだ。

そして、本書を読み進めることで読者のトラウマも掘り起こされ、後悔と恥辱が蘇るという無限のサイクルが始まる。誰もが一つや二つ、あるいはもっとたくさんの「母シズム」エピソードを持っているに違いないからだ。

どうしてこんなにも母親という生き物は無神経なのか?ある投稿者の文章がその理由の一端を説明してくれる。

女子高生時代、母親から男性向け写真週刊誌を買ってきてくれるよう頼まれたのが恥ずかしかったという投稿だが、投稿者は当時の母の年齢に近づいたことで母の行動を理解できるようになったという。

それは、ババァになると、大抵のことが恥ずかしくなくなるから。

出典『ババァ、ノックしろよ!』(リトル・モア)

母親に限らず、父親や祖父母、学校の先生でさえ、年齢を重ねると羞恥心が失われていく。そして、自分の物差しで多感な少年少女と接してしまうから「ノックレス問題」に代表される悲劇が起こってしまうのである。

きっとこんなトラウマの連鎖は、この世に家族がある限り半永久的に続いていくのだろう。

そして、「母シズム」の被害を訴える投稿者たちも、いつかは「母シズム」の加害者になってしまうのだ。「母シズム」とは愛情の裏返しでもあるわけで、憎めない普遍的な家族の姿を本書は教えてくれる。

しかし、美しく記事をまとめようとしても、宇多丸氏が「一、二を争う悪質さ」とコメントした投稿「卒業文集にて」の強烈さだけは拭い去れない。まさか卒業文集の親コーナーにあんなことを書くなんて…。「母シズム」恐るべし。

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