記事提供:しらべぇ

日本人にとっての最大の祝祭日は、やはり元日だろう。

中国と違い、現代日本人はカトリック由来のグレゴリオ暦1月1日を元日と見なして盛大に祝う。文化人類学の研究対象になりそうな要素だが、ともかく我々が正月に対して特別な情熱を持っていることは事実だ。

だから、それに水を差すことは絶対にしたがらない。たとえば元日に酔って暴れて逮捕されたという人間を見ると、「正月早々バカなことをやって」と誰もが考える。

そして「正月に事を起こすバカ」には一切同情しないという性格も、日本人は持ち合わせているようだ。

■佐野宗綱という男が!

16世紀後半、現在の栃木県佐野市にあった唐沢山城を支配していたのは佐野宗綱という大名だった。

宗綱は、当時の北関東の諸侯と比較しても先進的な人物である。甲斐武田氏が健在だったうちから織田信長に接近し、鉄砲と火薬を取り寄せたほどだ。

当時、火薬を製造するのに必要な硝石の供給ルートは信長が握っていたから、鉄砲隊編成のためには第六天魔王の手下になる必要があった。

つまり佐野宗綱は決してバカ殿ではないのだが、ひとつだけ欠点があった。それは「短気」である。

天正12年(1584年)の時点で、佐野氏は隣接する足利長尾氏と対立。佐野氏は先述のように信長の配下となり、滝川一益を受け入れて関東の支配者・北条氏と戦っていた。そして長尾氏は北条方で、必然的に佐野氏と敵対するようになる。

その争いを一刻も早く終わらせたい。短気な宗綱が考えた戦略は「元旦奇襲」。

■短気な大名の浅はかな計画

宗綱の計画はこうだ。元日の朝、すなわち元旦になれば長尾方の将兵も休みを取っているだろうから、その隙に長尾方の本拠地である彦間へ攻め入ってしまおうというもの。

ところが、それを聞いた家臣が止めに入る。「殿、元旦の戦はこちらの兵の士気も下がってしまいます。寒いし雪も積もっていますから、我が方の勝利は有り得ません」。

それに対して宗綱は、「たしかにその通りかもしれないが、やってみなければ分からない」という無茶な理屈で合戦を強行。嫌がる将兵を引き連れ、彦間に乗り込もうとした。

だが案の定、宗綱以外の者は足軽に至るまでまったくやる気がなく、単騎で飛び出す主君に誰もついていかない。こうなった時点で合戦など成立しないのだが、宗綱はたったひとり元気よく敵陣に足を踏み入れた。

■元旦に首をはねられる

もちろん、そのような猪武者が大した戦果を立てられるはずもない。

結局、宗綱は長尾方の鉄砲に胸を撃ち抜かれて落馬し、首をはねられる最期を遂げた。この合戦の戦死者は1名、しかも攻撃を仕掛けた側の総大将という、日本戦争史上他に例のない結果に終わったのだ。

正月に何か大きな行動を起こすことは、やはり注意が必要である。日本人はこの時期になると、「静かに過ごしたい」心理が強く働く。たとえ自分ひとりが乗り気でも、周囲がまったく同調しない可能性が高い。

また、正月だからこそ「周囲に余計な迷惑をかけない」自粛の心が求められる。

権利侵害申告はこちら