出典 https://twitter.com

お笑い芸人のカンニング竹山さんが、12月20日午前10時40分、Twitterを更新しました。この日は、2006年に亡くなった相方・中島忠幸さん10回目の命日。竹山さんは、命日に合わせ、相方の中島さんへ感謝の思いを綴りました。

今年もこの日を迎える。もう10年。早いようで長いようで…と、中島さんへの思いを語る竹山さん。10年という歳月を噛み締めるような投稿。今でも竹山さんの相方は中島さんただ一人。唯一無二の存在であることが伝わってきます。

中島さんは、2004年に急性リンパ腫を発症し2006年12月20日、ウイルス性肺炎のため35歳という若さで亡くなられました。闘病中もそして、ピンになった今も「カンニング」というコンビ名を名乗り続ける竹山さん。きっと、中島さんを忘れて欲しくないという気持ちが込められているのではないでしょうか。

出典 https://twitter.com

ピンで活動することになって10年。慣れないことも、苦労することも多かったと思いますが中島さんと歩んできた道を今も「カンニング」として守り続ける竹山さん。これまでも毎年、中島さんへ向けメッセージを贈り続けています。

僕は一度だけ、相方の死で泣きました。泣き崩れるとは、こういうことだ、というくらい泣きました。

出典 http://numbers2007.blog123.fc2.com

中島さんが入院中の2004年、竹山さんは一人、大晦日のエンタの神様スペシャルに出演しました。そこで、「戻ってこい中島!」とテレビ画面を通し中島さんに叫び続けました。「戻ってこい中島!戻ってこい!」どんな思いで、どんな気持ちで叫び続けたのか。

中島さんが亡くなった夜、泣き崩れた竹山さん。一人になった時、正直どうしようと思った。しかし、別れのない人生はない。と別れを糧に前に進む。大切な人の別れは前へ進む力になると、中島さんとの思いを胸に今もひたむきに前へ前へ進んでいます。

“漫才師”竹山の人生は、僕は終わったと思っている

出典「Quick Japan Vol.70」(太田出版)2007年2月9日発売

ピンになった竹山さんは言葉通り、今は漫才師・カンニング竹山で舞台に立つことがなくなりました。それは、芸人・カンニング竹山の誕生でもあったのです。舞台からテレビへ生きる道を模索した竹山さんですが、芸人としての立ち位置を見失いそうになったことがあったそうです。そこで、始めたのが、「放送禁止」という単独ライブ。

このライブは年に1回、放送作家の鈴木おさむさんとカンニング竹山さんが行っているライブで、“テレビでは堂々とやることのできない”内容が人気、すべて自費で行われています。

このステージで“七回忌に当たる5回目まで中島の話はしない”と決めていたという竹山さん、そして、『放送禁止2012』で初めて2時間にわたり、相方・中島さんの死をネタにした漫談を披露したことは大きな話題になりました。

出典 http://www.sunmusic.org

竹山さんと中島さんは、小学校からの同級生ということもあり、中島さんを失った喪失感、悲しみは計り知れません。けれど、それをすべてパワーに変え前へ進む竹山さんには、ネット上からもたくさんのエールが、そして中島さんを偲ぶツイートが寄せられています。

「(中島は)芸人として名前は残せたと思うんですよね。例えばのちに芸人年表ができたとしたら、2006年12月の欄に『カンニング中島死去』って多分載ると思うんです。(略)

それだけでも幸せなことだと思う。載れずにやめていく人間がほとんどですから、せめてもの救いはそこかなって」

出典「Quick Japan Vol.70」(太田出版)2007年2月9日発売

芸人として確かに名前を残せた中島さん。多くの人が彼を思い、彼を偲びました。10年もの月日が経った今でも色あせることのない二人の絆。

これからもカンニング・竹山として活躍し続けてくれるであろう彼の胸の中で、中島さんは共に生き続けているのではないでしょうか。

オススメ記事も合わせてどうぞ♪

この記事を書いたユーザー

パトリシア このユーザーの他の記事を見る

よろしくお願い致します。

得意ジャンル
  • 話題
  • 動物
  • 社会問題
  • ライフハック
  • おでかけ
  • グルメ
  • 料理
  • おもしろ

権利侵害申告はこちら