メイドインジャパンの製品は「細部まで手を抜かない職人技が光る上質品」として世界中から珍重されていますが、その一方で、「日本人は真似しかできない。オリジナリティーがない」との声があるのも事実です。

今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では著者の伊勢雅臣さんが、そんな「我が国を見下すような意見」に反論すべく、日本の技術の成り立ちと、先祖から受け継いだ技術をより良いものにするべく生まれた「工夫」について記しています。

日本の技術の底力

幕末にやってきたペリー艦隊は、蒸気船に代表される近代科学技術で日本人を驚かせたが、逆にペリー一行も日本人のもの作りの底力に目を見張った。一行が帰国後にまとめた「ペリー提督日本遠征日記」には、次のような一節がある。

機構製品および一般実用製品において、日本人はたいした手技を示す。彼らが粗末な道具しか使ってなく、機械を使うことに疎いことを考慮すると、彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。

日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。

他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば、日本はすぐに最恵国と同じレベルに到達するだろう。

文明化した国々がこれまでに積み上げてきたものを手に入れたならば、日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう。

出典『日本の技術レベルはなぜ高いのか』風見明/PHP

日本は将来きっと強力な競争国の一つとなる

ペリーらをこのように驚かせた「一般実用品」の一つが、贈与された蒔絵漆の硯箱だった。硯箱のゆがみのない直線、バラツキのない厚み、そしてガタのない嵌めあいは、とても手作業とは思えない高精度の仕上がりであった。

当時アメリカではすでに各種の工作機械が使われていたが、日本人がこれだけの技能でさらに工作機械を使いこなしたら、「最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう」と予測したのも当然であろう。

機構製品」については、茶運び人形を目にしたのかもしれない。

これはからくり人形の一種で、人形の持っている茶台にお茶を入れた茶碗をおくと、人形は前進して客の所に行き、客が茶碗をとれば止まる。飲み終えた茶碗を置くと、180度方向転換をして、元の所に戻る、という動作をする。

鯨のひげで作ったゼンマイを動力源として、歯車や腕木など50個ほどの部品からなるロボットである。

こうした技術に関心の高い日本人は、ペリー一行が持ってきた文明の利器に対しても、強い好奇心を発揮した。

1マイルばかりの電信線を張って、通信ができることを見せると、「日本の役人や人民は、日ごとに寄り来たって、(米人)技師に向かってその使用を懇請し、その機械の動きを飽かず興味をもて眺めていた」。

またミニチュアの蒸気機関車を走らせると、「真面目くさった役人が、寛闊(かんかつ)なる着物を翻しながら1時間20マイルの速力をもて、円を描いて軌道を運転する図は、実に滑稽のいたりであった」(『近世日本国民史 開国日本(3)』徳富蘇峰/講談社)。

こうした「学ぼうとする意欲」から、「日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう」とペリーらは考えたのである。

ペリー来航から半世紀後には日清・日露戦争を経て日本は世界5大国の一つとなり、1世紀後の大東亜戦争ではアメリカと世界最大の航空艦隊決戦を行い、1世紀半後の今日では自動車やエレクトロニクスなどの先端技術製品で世界トップレベルの競争力を持つまでになった。

ペリーらの予言は実に正確なものであった。

伝統技術と現代技術のつながり

この予言から130年後、1983年にボストンで開催された日本の人間国宝展で、彫金の花器を食い入るように見ていたアメリカ人青年は、こう呟いた。

「こんな精巧な伝統技術をバックグラウンドに車を作るのだから、(アメリカは日本に)かなわない」

日本の自動車がアメリカでの地位を確立し始めていた時期であったが、その頃アメリカで流された日本車のTVコマーシャルで記憶に残っているものがいくつかある。

一つは、ボンネットと車体との間の数ミリの隙間にパチンコ球をころころと転がして、「あなたの車でこれができますか?」とアメリカ人が問いかけるというものだった。

もう一つは、休日の早朝、日本人ビジネスマンらしき男性が、ゴルフバッグを持って車に乗り込む。エンジンをかけても、かすかな音しかしない。「しーっ」と人差し指をたてて、近所を起こさないように静かに出かけていく、という場面である。

当初アメリカに輸出された日本の車は小型大衆車が中心だったが、その価格や性能もさることながら、「丹誠込めた作り精巧な出来映え」というイメージが消費者にアピールしたのである。

人間国宝展でアメリカ人青年が日本の「精巧な伝統技術」から、まず車の事を思い浮かべたのも、こうしたイメージのためである。しかし、その直観はあながち間違いではない。

我々日本人は、明治維新や敗戦で歴史が断絶したものと思いこみ、現代の技術と伝統技術の間に何か関係があるなどとは想像だにしないが、実は現代日本の技術力の根底には、ペリーらを驚かせた江戸時代やそれ以前からの蓄積があるのである。

奈良の大仏から、車、パソコンまで

たとえば、自動車はエンジンを始め、主要部品のほとんどは鋳造によって作られる。鋳造は金属を溶かし、鋳型に流しこんで所要の形に造る技術だが、本誌272号で紹介したとおり、今から1,250年も前に作られた奈良東大寺の大仏は鋳造で作られている

高さ16メートル、重量250トンもの世界最大の青銅像だが、当時の日本の鋳造技術は世界的なレベルに達していた。飛鳥、奈良、京都などの古寺に数多く残されている金銅仏(銅に金メッキした仏)では、精密鋳造技術により細やかな芸術表現がなされている。

寺院の鐘や梵鐘は真鍮(銅と亜鉛の合金)の鋳造で作られた。美しい余韻を残すには、形状や肉厚に厳密な仕上がりが必要であった。

江戸時代には庶民層にまで普及した茶道で使う茶の湯釜は鉄の鋳造品で、「重いものに名品なし」と言われるようにぎりぎりの肉厚にして、表面には花鳥風月の精巧な図柄が浮き彫りにされていた。

現代では車の燃費向上のために、軽いアルミ合金の部品が使われるようになっているが、これは融点の低いアルミ合金を鉄製金型に高圧で流し込むダイカスト法という新しい鋳造方法が用いられている。

最近のノートパソコンなどの筐体用に使われだした軽くて強いマグネシウム合金にもこの方法が適用されている。奈良の大仏から、現代の車やパソコンまで、脈々と鋳造技術が継承され発展しているのである。

同様に、江戸後期の伊万里焼などに見られる磁器技術は、現代のセラミック電子部品などにつながり、漆の技術は合成樹脂技術として開花し、磁気テープや半導体封止材料などに適用されている。

伊勢神宮に見る技術の継承・発展のシステム

このように現代日本の誇る先端技術製品は、一朝一夕に開発されたものではなく、長い歴史を通じた技術を基盤として生み出されているのである。

その背景には、一度つかんだ技術は絶対に手放さず、過去の蓄積の上に代々の革新、改良が積み重なっていくという重層的な発展パターンがある。その典型が伊勢神宮に見られる。

よく知られているように、伊勢神宮の建物は式年遷宮と言って20年ごとに新築される。その際に建物だけでなく、装束神宝と呼ばれる700種類、1,500点ほどの装飾品もすべて作り直される。

織機のミニチュアや木彫り馬から、衣服、手箱、硯、刀剣、弓矢、扇などにいたるもので、技術的には織工、木工、刀工、漆工など、伝統工芸技術のほとんどをカバーしている。それらを各分野で日本最高の腕を持つ職人たちが作る

面白いのは、装束神宝には設計図やマニュアルなどが皆無だという点である。職人たちは現物を見て、その寸法を測ったり技法を調べたりして、「見真似」で作る。

大きさや様式は厳重に古式に則っている必要があるが、出来映えは恥ずかしくないものにしなければならない。そこに先人の技術を真似しつつ、自らの創意工夫で技術を積み重ねていく作業が行われる。

これがあらゆる分野の技術で、20年ごとに繰り返されて、千数百年も繰り返されたら、その蓄積はとてつもないものになる。

伊勢神宮の装束神宝の原型は、正倉院の宝物にあったと推定されている。それらのほとんどは唐の時代に、大陸からもたらされたものであった。しかし、今の中国にはそれらのオリジナルはほとんど残っていない

古代の製法は失われてしまったのである。あるのは、近年たまたま遺跡から発掘されたものだという。古代にいくら素晴らしい発明がなされても、その製法が失われて単にものだけしか残っていないのでは生きた技術とも文化とも言えまい

伊勢神宮の式年遷宮というシステムを通じて、各種の製造技術が脈々と受け継がれ、重層的に発展している所に、日本の技術の独自の特徴がある。

オリジナルとコピー

欧米ではオリジナルとコピーの区別がやかましく、少し前までは日本の技術は欧米の猿真似」に過ぎないなどという批判があった。

また、中国や朝鮮でも、日本の文化や芸術は自分たちが伝えたものだ、と主張する輩もいる。しかし、こうした声は技術の発展のプロセスを理解していない所からくる。

たとえば磁器は陶器と違う特別な粘土を用い、より高温で焼成するものであるが、その技術基盤は戦国時代に朝鮮から帰化した李参平によって築かれたものと言われている。

そこから柿右衛門の名で有名な白地に豪華な色彩を施した伊万里焼(有田焼)が作り出され、オランダ東インド会社によってヨーロッパに輸出されるや、たちまちのうちに本場中国の景徳鎮のものを駆逐して、王侯貴族の間で珍重されるに至った。

ヨーロッパでは磁器のイミテーションが作られるようになっていたが、ドイツ国王アウゲストは陶工に命じて、伊万里焼をモデルとして本物の磁器技術を開発させ、柿右衛門風のものを作らせた

これが現在、ヨーロッパ随一となっているマイセン磁器である。この技術がヨーロッパに広まり、西洋人好みの純白で細かい肌合いを持つ磁器を完成させた。

こうした歴史を見れば、技術の源流のみで云々することは意味がないことが分かろう。源流が外にあるから「単なるコピーだ」「意味がない」という事にはならない。

逆にいくら技術の源流と威張ってみても、現時点で優れた価値あるものを生み出せていなければ生きた技術とは言えない

技術とは国境や民族を超えて伝播していくものであり、その過程でどれだけの工夫を積み重ねたかが問題なのである。その積み重ねられた工夫にこそオリジナリティがある。

「学ぶ」は「真似ぶ」

日本語の「学ぶ真似ぶ」、すなわち「真似をする」というのが語源らしい。優れた先達の真似をすることは、技術の発展の最初の基礎となるステップなのであって、なんら恥じることではない。

そのうえにどれだけオリジナルな工夫を積み重ねたかが問われるのである。

伊勢神宮の装束神宝の制作者たちが、先代の作品を「見真似」て、その技法を自分なりに一から捉え直し、さらに先代に負けないような立派な作品を作ろうと努める、というプロセスは、こうした技術の本質を捉えたシステムであると言える。

ペリー一行が、日本人を「他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまう」と記述しているのは、短期間の滞在にもかかわらず、先人の上に新しいオリジナリティを発揮していこうとする日本人の姿勢を鋭く捉えているのである。

先祖に申し訳ない

伊勢神宮に見られる技術の継承・発展のシステムで、もう一つ特徴的な側面は、一度つかんだ技術を大切に継承するという姿勢である。

伝統工芸の職人たちは、「先祖が残してくれたものを絶やしたり、レベルを下げたりしては申し訳ない」という発言をよくする。

これはプロの職人だけのことではなく、最近でも町おこし、村おこしと称して、郷土に根ざした工芸・祭り・芸能などの復活が盛んに試みられている。郷土の先人が残してくれたものを、埋もれたままにしておくのは忍びない、という意識が働くからであろう。

そして、このように従来の技術を消滅したり衰退したりはさせないという無意識の自信が、新しいもの、外国のものでも積極的に「真似び」、自分のものにして行こうという姿勢に結びつく。

こうして伝統技術の蓄積と継承が、新しい技術革新の土台となっているのである。しっかりした土台があるからこそ、高い跳躍も可能となるのである。

「伝統を土台とした革新」

明治維新後、短期間の間に欧米諸国以外で唯一の近代工業国にのし上がり、敗戦後も「奇跡」と呼ばれるほどの経済成長を遂げた日本の底力は、この「伝統を土台とした革新」から生み出されたと言える。

21世紀のグローバル競争の世界で、わが国の生きる道は「技術大国」である、とは衆目の一致する所である。そのためにも、我々は「伝統を土台とした革新」という先祖伝来の底力を意識的に、最大限に発揮していくのが良いであろう。

ちなみに技術力とはもの作りだけではない。金融やサービス産業娯楽産業などにも、それぞれの技術がある。もの作りに比べて、金融分野などで国際競争力がないのは、今まで政府の規制に縛られて、国際競争の場に出るのが遅かったからであろう。

これらの分野においてもペリーらの言った通り「国民の発明力が自由に発揮されるようになったら」、「国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば」、わが国は「覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう」。

グローバリズムといったいたずらな拝外主義を排して、「伝統を土台とした革新という我々自身の底力を発揮していけば。

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