報道の現場は厳しい。取材を重ねて事実を丁寧にまとめても注目されるような内容でなければ仕事にはならない。それゆえにウソや過剰に盛られた内容が事実とかけ離れたままに世に出てしまうという、あってはならないことが起こってしまう場合がある。

そんな偽りの報道に感覚を鈍らせられた受け手である私たちは、自分の想像を超えた過酷な事実を見ても時に素直に受け取ることができず、どうせ大げさに言っているのだろうと軽視してしまうこともある。

昨今さまざまな報道で貧困問題が取り上げられ、虐待や片親家庭の増加と相まって子どもの貧困がピックアップされる中、報道の在り方にも注目が集まっている。

その報道は事実そのままであるのか、作り上げられたものなのか。虚偽の報道が発覚する度に情報を受ける側として真実の有無の判断に戸惑ってしまう人もいるだろう。

子どもの貧困の現状が数多くの媒体で伝えられている中、「ただ自分は真実が知りたい」、そんな想いを持っている人におすすめの1冊がある。『貧困 子供のSOS-記者が聞いた、小さな叫び』(読売新聞社会部/中央公論新社)だ。

貧困に苦しむ子どもたちの実状を追い大きな反響を呼んだ新聞の連載をあらためてまとめた本である。

記者たちが記事となることを望みながらも新聞連載では紹介することができなかったエピソードや記事に関わった人たちの苦悩や葛藤、取材の裏話なども書き著されている。

本書では冒頭で各記事を担当した8人の記者たちのプロフィールが名前と共に掲載され、本文中には各記者の率直な想いが紹介されている。

担当記者の経歴、簡単な人となりを知り、その上で取材に対する想いや記事を見ると、よりリアルに身近に“貧困”という現状が感じられることだろう。

6人に1人と言われている貧困にあえぐ子どもたち。

ある12歳の少女は近隣の男性に怒鳴られる中で汲んできた公園の水道水とたった1個のおにぎりでクリスマスの日を過ごした。

小学生の姉妹は塩を掛けたティッシュで空腹をしのぐ。17歳の少年は夜になると凍り付いた小川のほとりで両足を抱えて眠る。

ある女性は大学生活を諦め、介護を要する祖母を便器に座らせ1時間弱を便器の脇で祖母に寄り添うように座って過ごす。

譲り受けた古びた参考書で勉強し成績はトップクラスだが、なんとなく進学するクラスメイトをよそに、夢を持ちながらも希望する進路に進むことができない子どももいる。

「誰にも構ってもらえないよりはマシ」と援助交際で偽りの人の温もりと食費を手に入れようとする女子高生もいる。

貧困家庭で育つことで自身の努力や才能、我慢だけではどうにもならないことを知り、夢を諦め、見ようとさえしなくなる子どもたち。

彼ら彼女らと直接会って話す中で記者たちは現代日本にいまだ存在する想像をはるかに超えて深刻な実状にぶち当たるのである。さまざまな事故現場での経験で冷静さを得意としていた記者が子どもたちの話に涙したこともあるという。

各章で見られる生身の人間らしいそれぞれの想いは、報道のプロが作った新聞記事とは異なった姿として、頭にだけではなく心に重い何かを突きつけてくる。

そして記者の顔が見えるレポート、取材対象となった子どもたちとの出会いの様子などの取材過程やリアルな現場の様子が著された本文から、記事内容に対するより高い信頼を覚えずにはいられなくなるのである。

本書では現実の話であるがゆえにハッピーエンドでは終えることができないエピソードが当然ある。

そのような中で救いのひとつとなっているのが少ないながらに確実に存在している子どもたちに差し伸べられる周囲の大人たちの手だ。

貧困ゆえに学べない子どもたちを支援する無料学習塾や十分な食事をとることができない子どもたちの心と体を支えるこども食堂、生活保護や奨学金などの制度といった支援体制だけではなく、貧困により犯罪に手を染めてしまった子どもの更生を信じ続けて雇用を続けるガソリンスタンドの男性、仕事の枠を超えて生徒のために行動を起こす教師など、たった1人の大人が1人の子どもを救っているケースもある。

本書で子どもの貧困の実状を知り、今まで意識することがなかった小さな叫びに耳を傾けることで自分なりの手の差し伸べ方について一度考えてみてはいかがだろうか。

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