まずはじめに言っておきたいのは、私はガッキーも星野源も大好きだということです。

毎年冬はメルティーキッスCMのガッキーに女ながら胸を焦がしているし、

星野源に至ってはネットの情報を漁り、アルバムを買い、エッセイを読み、いよいよ舞台にまで手を出しかけている順調なハマり様。

もちろん毎週火曜は19時くらいからデスクでそわそわし始めて、

(とはいえ22時には帰れないのでそわそわするだけ)

録画機能が正常に作動していることを祈りながら残業をこなし、

小躍りで帰宅してTVの前で枕を握りしめ、

よくわからない声を発しながら観るくらいには逃げ恥が好きです。


いいですよね逃げ恥。


かわいいガッキーとかわいい星野源が二人並んでいる画だけでもうほくほく幸せになれますよね。



しかし誤解を恐れずに言えば、逃げ恥のヒットはガッキーのおかげでも星野源のおかげでもないと思っています。


ではなにがこんなに火曜日の私達の心を満たしてくれているのか?


私は「逃げの肯定」だと思ってます。



みんな「逃げ恥逃げ恥」ゆうて忘れてるかもしれないけど、たまに「逃げるが勝ちだが役に立つ」って言ってる人いるけど、

このドラマ(漫画)のタイトル「逃げるは恥だが役に立つ」だよ?


ガッキーと星野源の可愛さとか、恋ダンスとか、色んなパロディーとか、ムズキュンがどうとかに埋もれちゃってないがしろにされがちな気がするけど、

このタイトルが本当に言い得て妙で、全部を言い表してると思います。


というのも、主要な登場人物たちはみんな何かから「逃げ」てるんですよね。



みくりはいわゆる普通の就職や交際から逃げてるし、

平匡と風見さんは考え方は真逆だけど二人ともいわゆる普通の恋愛・結婚から逃げてるし、

百合ちゃんはいわゆる普通の女の幸せから逃げてるし、

やっさんは浮気ばっかりする旦那から逃げてるし、、、


みんな、世間の「こうあるべき」の像から逃げてる人たちなんだと思うんです。

逃げてるけど、だけどそこで自分なりにしっくりくる生き方(契約結婚とか、離婚とか、仕事に生きるとか)を模索して、頑張って楽しく生きようとしてる人たちなんだと思うんです。


毎日生きてるといつのまにか見えない誰かの「こうあるべき」みたいな声に左右されて、どこにも逃げられない、後がないって苦しくなったりするんだけど、

誰かが言った「こうあるべき」像から離れたって、自分の思うように生きていいんだよ
って

そういう意味の「逃げるは恥だが役に立つ」だと私は解釈しています。


そしてそんな風に「逃げの肯定」をしてくれる逃げ恥のさらに最高なところは、「逃げてない側も否定しない」こと。

平匡の両親は亭主関白気味で、いわゆる「こうあるべき」夫婦の典型。平匡は小さい頃の両親との思い出にあまり良い印象がなかった描写がありました。

しかし、母は母で、父は父でお互いを思いあっていたこと、素敵な思い出があったことが後にわかるのです。

幸せの形は誰にも決められなくて、それは当人たちが決めることで、他の何かを否定して確かめるものではないこと。

そういうメッセージがあるのではないかと思ってます。

だから逃げ恥には「悪い人」が出てこないんだね。だってみんなそれぞれに頑張って生きてるから。

そしてそれは現実世界でも一緒なんだよね。


不寛容な時代とか言われてるけど、ほんとにそうだと思います。自分と違う人を叩かないと自分の生き方に安心できない。

だけど、いわゆる普通と違う生き方をしたっていいし、自分と違う人を否定しなくてもあなたの価値は失われないよって、そう言ってくれてるドラマだからみんなの心を掴んだのではと過大解釈しています。

ほんとにいいドラマだよね。ガッキーかわいいし。恋ダンス楽しいし。


ちなみに、マイベスト台詞は9話でバグ対応後に帰宅した平匡さんの「つかれた」です。

20回くらい巻き戻して観ました。4文字でここまで心掴んでくる星野源の破壊力は底知れない。

あと2話?ですが、まだ進化3段階くらい残してることが予想されます。


ではでは皆様、逃げ恥ロスとインフルエンザにはお気をつけてお過ごしください。

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