出典Spotlgiht編集部

8歳で芸能界デビュー後、テレビドラマ『若葉のころ』や『ちゅらさん』など、立て続けに出演し、十代で同時期に5本のドラマを掛け持つ人気俳優となった小橋賢児さん。

外からは順風満帆に見えましたが、27歳のとき、意を決して芸能活動の休止を決断。

現在ではイベント制作会社を立ち上げ、実業家に転身。都市型巨大ダンスフェスティバル「ULTRA JAPAN」の開催や、ファッションブランドの演出を手がける小橋賢児さんにSpotlight編集部が独占インタビューを敢行!今までとこれから、様々なお話を伺ってきました。

【2日連続公開】小橋賢児特別インタビュー

【#1】「Have to」に縛られ、僕は芸能界を離れた
【#2】実業家へ転身した現在。そして、父になり“第三の人生”へ

「オーディションで選ばれたくて、自分でたくさんのはがきを送った」

出典Spotlgiht編集部

「8歳の時、自分でバラエティー番組の観覧希望と間違えてオーディションに応募したんです。千何百人の中から受かった15人ほどが、1人1人テレビに出てアピールをして、そこから人気投票で決まるのですが、進んでいくうちにすっかりやる気になって。どうやったら選ばれるかずっと考えていました。

それで、人気投票ということは“はがきをいっぱい書けばいいんだ!”と思い、親に頼んではがきをいっぱい買ってもらって。送り主の欄にいろいろな友達の名前で書いていたけれど、だんだん友達の名前もつきて、想像力がないから、武田信玄や織田信長など歴史の人物の名前ではがきを出しました。消印が全部一緒なので、大人からしたら一人の人間がやっているというのがバレバレです(笑)。

毎日ADさんに電話をして、“今はどういう状況ですか?”と聞いては、はがきをバンバン送りまくっていました」

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「最終的に“おまえがやったことは全部わかっている。だけどそんなに頑張らなくても人気投票1位だったから、大丈夫だよ”といわれました。

大人ならそんなことをやってバレたら恥ずかしい、失敗したらどうしようとマイナスから考えてしまう。しかし、子どもは純粋だから、とにかく出たい、出るためにははがきをいっぱい書こう…と思ったんです。もちろん社会のルールは破るって意味ではないですが、大人になっても、そういう素直な発想で動くことは大事なことだと思います」

「なぜ自分は俳優をしているのか」が分からなくなっていた

出典Spotlgiht編集部

「以前の僕は“なぜ俳優をやっているのか”を見失ってしまったことがありました。その時は、観念に縛られていたように思います。『俳優だからこれはできない』『俳優だからこうしてなければいけない』とマイナスから考えていましたね。そういうことを繰り返していると、自分の判断基準や心が分からなくなってしまう

同世代の俳優仲間は楽しそうに仕事をしていたけれど、“自分は彼らと同じことをしているのに何で全然楽しくないんだろう”と思っていました。それは自分の中で『Want to』(~したい)ではなく、『Have to』(~しなければならない)になっていたからなんですね。ただ、そのときは気づかない。自分に嘘をついている感じでした」

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「30代を見据えたとき、このまま俳優という仕事にしがみついていたら、それなりの人生やそれなりのポジション、それなりのお金はあるかもしれない。けれど、それが“自分の人生”だと思ったら急に不安になってしまって。“本当にそれが自分の生きたい人生なのか?”と疑問に思ったんです。そして、少しずつ環境を変えていこうと決めました。

実際、俳優をしていた時は精神状態も限界を超えていたと思います(笑)。不感症のロボットような状態が何年も続き、“もう無理だ”と思って、2007年に芸能活動を休止しました

その時の経験から学んだことですが、大人になるといろいろなことを知るので、マイナスから物事を考えてしまいがちです。しかし、そういう時こそ自分を俯瞰して、1つのことにハマりすぎないことが大切だと気づきました。

例えば僕は、『ULTRA JAPAN』のようなド派手なイベントをやったあとは携帯も入らないようなパプアニューギニアの島へ行って自然の中で誰とも連絡を取らずに10日間過ごしたり、インドに3ヶ月行ったりもしました。両極を経験することによって本質を知る。僕はこの“中道”という考えを大切にしています」

気づかされた「Want to」の大切さ

「休業中には、いろいろなことを感じながら世界中を旅していました。多くの人に出会い、たくさんの価値観に触れて、いろいろな景色を見て。心のリハビリ期間だったと思います。そこで気づかされたのは、やはり自分の思い『Want to』(~したい)
が大切なのだ
ということ。

自分は映像を作る仕事もしていますが、それは世界中を旅してきて、それを表現したくなったのが理由です。たくさんの人に会ってきて、たくさんの景色を見てきて。そのときの感動とか想いを伝えたくて。これも“想い”から行動していったものが、気付いたら仕事になっていたんです。

現在の“何かをしたいから、何かを伝えたいから、これをする”という考え方は旅の中で身についた価値観だったと思います。旅では、全然知らない国に行って、危険があるかもしれないし、どこかで命を張りながら、一日一日を生きなくてはならないですよね。そんな中でも『Want to』が必ずあって、あの景色を見たいから、あの人に会いたいから、行動を起こす。これが原点なのだと感じています」

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明日公開する記事では、実業家へ転身した現在、そして今後の展望について語っていただきます。来年にはお子さんが生まれる予定で「守るものができた」という小橋さんの心境についても伺いました。小橋さんが語る“第三の人生”とは…

【2日連続公開】小橋賢児特別インタビュー

【#1】「Have to」に縛られ、僕は芸能界を離れた
【#2】実業家へ転身した現在。そして、父になり“第三の人生”へ

【小橋賢児(こはしけんじ)プロフィール】
1979年8月19日生まれ。東京都出身。8才で芸能界デビュー、以後数々のドラマや映画、舞台に出演するも2007年に俳優活動を休業。その後世界中を旅しながらインスパイアをうけ映画やイベント製作を始める。2012年、長編映画「DON'T STOP!」で映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。またULTRA JAPAN、 Dîner en Blancなど世界規模のイベントの立ち上げから関わり、それぞれのディレクターも務める。

Text / 齊藤カオリ Photo / 梅田直子
Hair&Make / 竹川紗矢香(WEST FURIE) Location / STUDIO EASE目黒

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