出典Spotlgiht編集部

8歳で芸能界デビュー後、テレビドラマ『若葉のころ』や『ちゅらさん』など、立て続けに出演し、十代で同時期に5本のドラマを掛け持つ人気俳優となった小橋賢児さん。

しかし、27歳のとき、意を決して芸能活動の休止を決断。

前回の記事では、2007年に芸能活動を休止した理由や、世界中を旅して気づいたことについて伺いました。今回はそんな小橋賢児さんの現在、そして今後についてお話いただきます。

【2日連続公開】小橋賢児特別インタビュー

【#1】「Have to」に縛られ、僕は芸能界を離れた
【#2】実業家へ転身した現在。そして、父になり“第三の人生”へ

自分の心に忠実に生きる「小橋賢児」の今

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「本当は自由でいたいタイプなので、会社に縛られるのは嫌だと思っていたんです。でも、一度きりの人生だし、自分一人だけではできないことにチャレンジしようと思い、本当に信頼できる仲間と会社を作りました

もともと自分だけでやっていた会社がイベント制作会社だったので、企業のPRイベントやファッションブランドの演出などを行っていたんですよ。ただ、今までは自分一人だったので、大きな規模のものは受け入れることができませんでした。しかし、今回仲間と力を合わせたことで、『ULTRA JAPAN』をはじめとする様々な大型のイベントにもチャレンジできるようになりました」

「今手がけている音楽イベントも“音楽という共通言語を通じて、リアルな場で考え方や価値観が変わっていくことは素晴らしいな”という思いからはじめました。

先ほどまで悲しみに暮れていた人が、その場の出会いによって気づきがあったり、感じたりして価値観が変わっていく。感覚的なことでもいいんです。そしてポジティブな世界に向かっていけるようになったらいいじゃないですか。いろいろな境遇の人が同じ時間を共有して、影響し合える場所を作りたいと思っています。

その他にも、僕独自の目線で北海道のニセコを取材し執筆・出演までする雑誌のお仕事や、僕がインタビューされる側で出演するテレビやトークショーなど講演会のお仕事受けたりしています。

もちろんベースとなるのはイベント制作や演出なのですが、“あなたの職業は?”と問われた時、表面的なものにこだわらなくても良いのではないかと思っていて。何かになろうとするよりも、今この瞬間を生きて楽しむことが一番だと感じています」

「本物を目の前にして、自分が情けなくなった」

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「“楽だからこのままでいいや”とぬるま湯に浸かって、本来の自分の希望をごまかしているなら、やっぱり違うと思います。本物を目の前にすると、怠けていた自分、ごまかしていた自分が透けてみえてしまう感じがして、なんだか情けなくなるんですよね。

20代のころの話ですが、クリエーターの人たちと沖縄に行く機会があって。新月の夜、月明かりもなく街明かりも届かないような入り江でキャンプをして、満点の星空を見ながら音楽を聴き、いろいろな未来を想像しながら、語り合う。そしてハッと思いついたらものを作る。

その数ヶ月後、そのときいっしょだったゲームクリエイターの人にたまたま会った際に、“あのときに発想したアイデアをゲームにしたんだよ”と言われ、世界中で大ヒットするゲームを作っていたんです。衝撃を受けましたね。そして、自分の生き方と比べて愕然としてしまったんです。

人と会うということは新しい価値観に出会うということだから、そこが起点になって自分が変わっていく可能性が大いにありますよね。

ただ、いろいろ価値観に触れられることを旅の良さだとするならば、物理的に日本を飛び出したり、遠くまで行ったりすることばかりが重要ではないとも思います。日常の中にもいろいろな“旅”があります

例えば、普段苦手だと思っていた人に会ってみたり、なかなか話せなかった親と杯を交わしてみたり、新しい自分の価値観に気づくチャンスですよね」

「今後は長く残るものを作っていきたい」

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「今後は、イベント以外のことにも携わっていきたいと思っています。今までは“気づきのきっかけを作りたい”という一心でイベントの場を提供してきたのですが、一年かけて作ってきたものが一日二日で終わるのは儚いな、と(笑)。

例えば、。街全体はなかなか作れないけれど、一個のきっかけとなるコンセプトのお店を出すことによって周りが触発されて変化していくことはありますよね。

かつて表参道は今のようなファッション街でもなく、1960年代なんてほんとまだ何もなかった。そこに今でも残っている、最初の集合型ファッションビルFROM-1ST』(フロムファースト)を作ったことで、洋服を買いに来る人が増えた。

洋服を買ったあとにお茶を飲みたいという人が多く、翌年にヨックモックというカフェが作られた。そしてヨックモックを目当てに来る人は次に何かしたくなるだろう、という風にどんどん街が発展していった。気が付いたらファッション街が出来上がっていたということです」

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「また、まちづくりで有名な建築家・安藤忠雄さんの双子の兄弟、北山創造研究所の北山孝雄さんという方は、渋谷のラブホテル街を単一の街から多目的の街へと変化させていきました。ちょっと陰湿な雰囲気が漂っていたラブホテル街に『Shibuya O-EAST』(渋谷オーイースト)というライブハウスを作ったんです。

ライブが好きならラブホテル街でも行きますよね。多くの人が堂々とそのラブホテル街にも足を運べるようになったんです。その後、ライブ帰りの人たちを狙って飲食店が増え、その後にバーやクラブができて…。まちづくりは街全体というより、1つの価値観を作っていくんですよね。

まだ具体的なことは言えませんが、僕も今後は、そんな風に長く残るものを作っていきたいです。提供する価値観に触発されて、お客さんの価値観が変化したり、周りの人たちがそこに不随する何かを作ろうと思えたり。そんな“きっかけ”を生む仕事をしていきたいと思っています。一つ一つ、楽しんでいきたいですね」

来年には父に。守るものができた「第三の人生」

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僕、結婚しているんですけど、実は来年赤ちゃんが生まれるんですよ。今までは自分勝手に生きられたけれど、そういうわけにはいかなくなりますね(笑)。子どもって血のつながりがあって、どんなことがあっても絶対離れないじゃないですか。たとえ肉体的に離れることがあったとしても、魂の世界では永遠に繋がっている。そういう存在ができるということは、僕にとって非常に意味のあることですね。

絶対守らなくてはならない存在ができたとき、何かあったら、駆けつけて常にそばにいなければならない。そういう意味では、新しい自分のはじまりだとも感じています。

僕の中で、第一の変化が子どものころに芸能界に入ったことだとしたら、第二の変化は芸能界を辞めて今に至ることです。そして第三の変化は、子どもができて、家族という中で生きていくことだと感じています。これはとても大きい変化ですよね。まだ未知の存在なので分かりませんが、子どもが生まれることでこれからの人生がますます楽しみになりましたね」

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2017年には待望のお子さんが誕生し、“第三の人生”に突入するという小橋さん。俳優をしていた若き日々は自分を見失い、葛藤も多かったようですが、その経験があるからこそ、今があります。

「辛いことやトラブルも俯瞰することで、その感覚は消えていく」「心のトレーニングでそのトラブルさえも楽しめるようになる」とは、自身の経験から出た真実の言葉。旅で培ったタフさと新しい価値観で、過去のご自身が感化されたような、“新しい価値観に気づく場所”をきっと提供し続けてくれることでしょう。これが、小橋さんの人生から紡がれた使命だったのかもしれません。

【小橋賢児(こはしけんじ)プロフィール】
1979年8月19日生まれ。東京都出身。8才で芸能界デビュー、以後数々のドラマや映画、舞台に出演するも2007年に俳優活動を休業。その後世界中を旅しながらインスパイアをうけ映画やイベント製作を始める。2012年、長編映画「DON'T STOP!」で映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。またULTRA JAPAN、 Dîner en Blancなど世界規模のイベントの立ち上げから関わり、それぞれのディレクターも務める。

Text / 齊藤カオリ Photo / 梅田直子
Hair&Make / 竹川紗矢香(WEST FURIE) Location / STUDIO EASE目黒

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