キューバのカストロ前国家評議会議長」死去というビッグニュースが入ってきました。彼は、世界中の左翼運動に大きな影響を与えたとも言える人物ではなかったのでしょうか。90歳という長命でした。

第45代アメリカ大領領になったトランプ氏もツイート

フィデル・カストロが死去!

フィデル・カストロは、フリーダムファイター 自国のあらゆる場所で自由を見つければ、それに対して戦った。

ローマ教皇との会談では柔和なイメージもあるフィデル・カストロ前国家評議会議長とは?

Licensed by gettyimages ®

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪問してから14年後の2012年3月29日に、キューバのヴァチカン大使館でローマ教皇ベネディクト16世と会談。

普通のカジュアルファッションや白ひげを生やした姿は、自然体で「暴君」、「独裁者」とレッテルを貼られているイメージよりも柔和な感じがしますが、年齢のせいでしょうか。

90歳の長命において、約半世紀は反米の社会主義政権を率いてきカストロ前国家評議会議長。ここにすべてを記載することは難しいですが、どんなことをされた人なのかおおまかにチェックさせていただきました。

父は、スペインのガリシア人移民で野球が得意だった

1926年8月13日生まれのフィデル・カストロ。父は、スペインのガリシア人移民で裕福な農場主アンヘル・カストロ・イ・アルギス。

ハバナの私立小学校コレヒオ・ベレンを始めとするイエズス会の学校で教育を受け野球に熱中し、1944年には最優秀高校スポーツ選手に選ばれました。

ハバナ大学にて法律を学ぶ

1945年にハバナ大学に入学し法律を学びました。大学在学中から政治活動に参加、革命反乱同盟(UTR) に加入。

訪れたコロンビアでボゴタソ(ボゴタ暴動)に突入したため、ボゴタソに参加し政府軍との衝突に加わりましたが、1950年に大学を無事に卒業しました。

弁護士活動

卒業後1950年~1952年まで貧困者のために弁護士として活動。そして、1952年の議会選挙にオルトドクソ(保守)党から立候補しましたが将軍フルヘンシオ・バティスタ率いるクーデターによって選挙の結果は無効に。

その後、憲法裁判所にバティスタを告発しましたが拒絶されたため裁判所を糾弾しました。

武装勢力を組織

1953年7月26日に、130名の仲間とともにモンカダ兵営(サンティアーゴ・デ・クーバ)に対する攻撃を行い、逮捕されました。

裁判では懲役15年が宣告され、獄中ではホセ・マルティなどを愛読し、「歴史は私に無罪を宣告するだろう」を発刊。

1955年5月に恩赦によって釈放され、2カ月後にメキシコに亡命した際、バティスタの意向でメキシコ警察によって逮捕。メキシコ革命で成功した元大統領ラサロ・カルデナスの歎願によって釈放され、後にアメリカに移住して活動を続けました。

キューバ革命

1959年、フルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えたことは世界に大きな影響を与えました。

キューバ革命で、共産党の党首である第一書記の地位にあったため、同国最高指導者となり首相に就任。キューバ共産党による一党独裁体制を確立しました。

農地改革

1959年農地改革を断行し、6月にアメリカの資産を国有化したため、アイゼンハワー大統領は、キューバの最大の産業である砂糖の禁輸措置に踏み切りました。

これに反発し、弟のラウル・カストロにソ連の首都モスクワに派遣するなどし、1960年2月にアナスタス・ミコヤン第一副首相がハバナを訪問した際に、1億ドルの借款供与、砂糖買い付け、武器売り渡しを柱とする経済協力協定を結びました

ピッグス湾事件

1961年4月、在米亡命キューバ人部隊がアメリカ合衆国のCIAの支援の下でキューバに侵攻してフィデル・カストロ政権の打倒を試みた事件が起きました。

この事件は失敗に終わり、同年5月1日のメーデー演説で「社会主義革命であった」と正式に宣言し、正式に社会主義体制・共産党政権の東側諸国と同盟・友好関係を築きました

キューバ危機

1962年夏にソ連とキューバが極秘に軍事協定を結び、核ミサイルの建設が明らかになったことで米ソ全面核戦争寸前の危機が発生。最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わりましたが、歴史上においても一触即発の危険な状況でした。

この危機により、フィデル・カストロは、反米・左翼勢力のシンボル的な人物になったとも言えるかもしれません。

国家評議会議長に

1976年より2008年まで国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)を務めました。前政権の独裁者バティスタと同一視されるのを避けるためか、他の社会主義政権の指導者のような自身の巨大な肖像写真や銅像などを一切作らせていません。

2008年に弟のラウル・カストロが後継

2014年12月17日には、アメリカ合衆国前大統領バラク・オバマとともにラウル・カストロは国交正常化交渉の開始を電撃発表しました。

そして数か月以内に大使館を開設し、銀行や通商関係の正常化を話し合うことでも合意し、2015年7月20日にアメリカとキューバ相互に大使館が再び開設され、1961年以来54年ぶりに国交の正常化が実現。これは「キューバの雪融け」と呼ばれています。

実は親日家としても有名

Licensed by gettyimages ®

1989年の昭和天皇崩御の際には喪に服したり、2003年に来日した際には、外国の要人としては珍しく原爆ドームを視察、慰霊碑に献花・黙祷して人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」とのコメントを残しています。

また、野球人として日本の野球に対して敬意を表しているようです。2006年のWBCの決勝戦で決勝打を放ったイチローを「世界最高の打者」と述べるなど最高の賛辞で讃えていました。

分かれる二つの意見

多くの亡命キューバ人らが住む米フロリダ州マイアミでは、このニュースを知り喜んでいる状況が見られました。

この都市には、革命政権で財産を失ったキューバ人が移り住んでおり、長年祖国に戻れずにカストロ政権を非難していたことによるからです。

キューバ革命の英雄として賞賛する一方で、このような評価もされていることは一つの国で約半世紀も君臨していた人物だったからだと感じます。そして実際に自分が住んでいる国以外の政権を第三者の目でとやかく言うことは難しいはずです。

歴史を大きく動かした偉人であったと言えることは間違いないでしょう。彼のご冥福を改めてお祈りするとともに歴史上の重要人物がまた一人亡くなってしまったいう少しセンチメンタルな気分にもなっていますが、皆さんはどう思われましたか?

余談

長生きの秘訣には食品も関係していたようです。特に摂取していたものが、日本の味噌イタリアのオリーブオイルだったとニュースで報道されていました。やはり、体に良い食べ物は長生きと関係しているのかもしれません。

この記事を書いたユーザー

ピティーB このユーザーの他の記事を見る

海外在住のプラチナユーザー&by.S公式ライターです。主に海外での話題を発信中。どうぞ宜しくお願いいたします。

得意ジャンル
  • グルメ
  • 料理
  • カルチャー
  • ファッション

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス