記事提供:日刊SPA!

事件現場となった三菱重工業東京本社ビル。

2020年の東京五輪・パラリンピックまで3年あまり。

国内ではテロに対する警戒と警備の強化が図られているが、日本で最初の大規模な爆破テロが起こったのは、1974年夏のことだった。8人が命を落とし、重軽傷者は400人近く、白昼の都心が狙われた無差別テロである。

◆三菱重工爆破事件(1974年)大量殺人事件の系譜~第13回~

日本の金融、経済の中心地・丸の内。1974年8月30日、午後0時45分、三菱重工東京本社1階で時限爆弾が爆発した。

昼休み中で人の出入りが多かったエントランスは大破、天井が抜け、窓ガラスは9階まで吹き飛んだ。

周囲1キロ四方のビルや街路樹、通行人にも大きな被害がおよび、空からガラスの破片が雨のように降ってきた。人がバタバタと倒れていく。阿鼻叫喚と化した現場は、戦場の様相を呈していた。

実は爆発の数分前に、三菱重工本社に男の声で犯行を予告する次のような電話が入っていた。

<本社前の道路に時限爆弾を2個仕掛けた。付近の者は、ただちに避難するように。これは冗談ではない>

予告電話の前に2回、同様の電話がかかっていたが、この2回ともイタズラ電話と受取られてしまった。

上記の3回目の予告を三菱重工側が聞いたのは爆発の3~4分前で、事実関係を確認中に大惨事となってしまったのだ。このことが、被害をより大きなものとなった原因とされている。

60年安保から70年安保、そして連合赤軍事件と続いていた時代、この爆弾テロを起こしたのは武闘派左翼「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、“狼”を名乗る20代の青年4人、大道寺将司と益永利明の両死刑囚、佐々木規夫、大道寺死刑囚の妻あや子の両容疑者だった。

容疑者逮捕までには時間がかかった。捜査が難航するうちに、事態は三井物産や間組など11ヶ所が標的にされた「連続企業爆破事件」へと発展していった。その発端がこの事件だったのだ。

彼らが逮捕されたのは、翌1975年5月だった。捜査と取調べが進むにつれ、過激派グループの全貌が次第に明らかになっていく。

爆弾を仕掛けた実行犯は大道寺、益永両死刑囚。2人は殺人と爆発物取締罰則違反などの罪に問われ、1987年に死刑が確定した。佐々木容疑者は爆破予告電話をかけ、あや子容疑者が現場の見張り役だった。

佐々木、あや子両容疑者は逮捕されたものの、日本赤軍の「ダッカ日航機ハイジャック事件」(1977年)に対する「超法規的措置」で釈放され出国し逃亡、現在も海外で活動し、所在がわかっていない。

“狼”の犯行の目的は何だったのか。企業を中心とする戦後の経済成長が、さまざまなひずみを生んでいた時代に、天皇と日本の戦争・戦後責任を追及し、それとともに「大企業によるアジア経済侵略」を阻止しようとしたのが、このテロだった。

“狼”は犯行の約1ヵ月後に、次のような犯行声明を出している。

<三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の途である>

先の戦争を侵略戦争と位置づけていた“狼”は、防衛産業に邁進し積極的な海外進出をしていた三菱重工の「帝国主義性」を指摘、「経済的にアジア侵略を推し進めている」との思想から、爆弾テロに至ったのだ。

前述したように犯行グループは、戦争における天皇の責任にも言及している。実はこの犯行の2週間前、8月14日に決行予定で、別の作戦を企図していたことが、後に判明した。

それは、「虹作戦」と呼ばれる昭和天皇の暗殺作戦だった。これは結局、未遂に終わっている。

このテロ事件の2日前、8月28日には、神奈川県平塚市で「ピアノ騒音殺人事件」が発生した。

原子力船「むつ」が放射能漏れ事故を起こしたのは9月1日だった。庶民の生活の中にピアノが増えることによる弊害、新しいエネルギーがもたらす負の部分などが明らかになった。

そうしたこととともに、企業を中心とする世の中にゆがみが生じていたことは確かであろう。ただ、“狼”の社会を震撼させた行為は、世論の怒りを買った。過ちだったことは他言を待たない――。<取材・文/青柳雄介>

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