記事提供:Techinsight

シンガーソングライター・大黒摩季(46)が、6年間の休養期間を終えて、活動を再開した。

90年代に『ら・ら・ら』『熱くなれ』など数々の大ヒット曲を生み出し、日本の音楽シーンの第一線で活躍し続けてきた彼女にとって、6年の休養とはどのような意味を持つのか。

再び我々のもとに帰って来た大黒摩季が現在の思いを胸襟を開いて語ってくれた。

■復帰はすべてが奇跡的、夢なのかな!?

―6年間の休養から復帰を果たして、率直な今のお気持ちはいかがですか。

大黒摩季(以下、大黒):皆さんが好意的にいろいろ受け入れてくれるのが、ちょっと怖いぐらいです(笑)。

本当にすべてが奇跡的で、明日寝て起きたら「全部嘘なんじゃないか?」といまだに思いますね。お腹が痛くて歌えない日もきっと来るんじゃないかと覚悟もしていたけれど(そんなことは)一向になく、いい評価もいただけているのもミラクルで。

15年ひとりでやってきたから、何かトラブルがあっても対応できるように先に覚悟してから臨む癖がついているので、「こんなラッキー続くわけないんだ」ついそう考えてしまうと「これが夢なのかな?」と思っちゃうんです。

■高さ20cmのステージに上がるのが一番の覚悟だった

―すでにライブも何本か終えていますが、ファンの方の反響はいかがですか。

大黒:6年ぶりに初めて歌ったのは、7月9日にファンクラブのイベントで沖縄に行った時で、コアファンの皆さんばかりだからすごかったです。

150人ぐらいの小さいライブハウスなんですけど、つい最近まで普通に生活していたからこそ客席からステージに上がろうと思って、それでコーラスのリフをバンドのみんなで回しながら客席を練り歩いていったら、すごい勢いでファンの皆さんが号泣していたりするから、こちらもつられてしまって「もう歌えないよー」と思いながら、ぐっと涙をこらえていました。

そのライブハウスの舞台の高さがたかだか20cmなんですよ。その20cmの前ですごく怖くなりましたね。「これを上がっちゃったらまた人生がガラッと変わってしまう」と思ったら、なかなか上がれなくて。

メンバーも「早く上がって来いよ」という顔をしながらうるうるしちゃって、すごいイントロの長い曲になってしまいました(笑)。

そこが一番の覚悟でしたね。その20cmは一生忘れないと思いますね。

■ラッキーの連続。揃うときは乗っかった方が絶対いい

―具体的に復帰を決意したのは、いつだったのですか。

大黒:最後の手術(2015年11月)はかなりハードではあったのですが、しばらく安静にした後から驚異的な回復力だったらしくて、3か月経ったら先生にもう腹筋を使ってもいいと言われたんです。

身内のスタッフとは昨年ぐらいから、「いつ頃出ようか」でもメディカルのOKを貰ってからと話はしていたんですが、思いの他早くにGO!がでて具体的に復帰を決めたのは今年の4月ぐらいですかね。

でも、やろうと思ったら会場がとれない。とりあえずホームで、デビュー前からもう一回やり直そう。高校生の時をたどってみようと思ったら、当時ステージに立ったベッシーホール(8月11日)はどうだろう?とピュアなストーリーが出来てきて、そうしてRISING SUN ROCK FESTIVAL(8月13日)が急激に決まっていったりしました。

ニトリ文化ホール(10月16日)は、某テレビ局がイベントで押さえていたのが、「うちね、イベントとんだよ。会場、要る?」って聞かれて、「要るー!」と復帰後初の単独ライブも決まり…。

さも周到なストーリーに見えているかもしれないけど、これラッキーの連続なんです(笑)。追い求めてもカードが揃わないときは無理にやってもダメだけれど、揃うときは乗っかった方が絶対いい。

たぶん、まだいろんな力は少ないんでしょうけれど、引きの強さだけはあったみたいです。

■「私を大黒摩季にしてください」の真意

―そのニトリ文化ホールのライブでは「みんなで私をもう一回大黒摩季にしてください」とファンの皆さんに言っていましたね。

大黒:「私を大黒摩季にしてください」というのは、私、“大黒摩季”ってどういうものか忘れちゃったんですよ(苦笑)。

休業中、音楽専門学校の先生をしてきたんですが、いろいろな歌い方の技術を教えるわけじゃないですか。そうして6年自分の歌い方から離れると、“大黒摩季”の歌い方すら忘れるんですよ。

吉川晃司さんにコーラスに呼ばれたときに、「ここ、大黒くんらしくフェイクしてよ」って言われて、「どういうのが大黒くんでしたっけ?」って聞き返したら、吉川さんが「大黒くんは張りがあってエッジがあってビブラートもかかってて、ちょっとシャウティなの」って逆に教えてもらいました(笑)。

だから、みんなの好きな“大黒摩季”って何だったか、まず教えてね、皆さんの声援でまた力強い“大黒摩季”にしてね…それができるようになったらアップデートされた“ニュー大黒摩季”も出てくるでしょう。

体も病気治療のためいっぱいいじっちゃったので、あの頃とは違うし、歌のポジションも全部変わっちゃったし、だいぶ似せているとは思うんですけど、出している経路も違うので、ひとまず規定ラインまで行こうと。

みんなのニーズに応えているうちに私がやるべき“大黒摩季”になっていくのではないか、それまではみんなの胸を借りようという感じです。

今は目下、それに向かってだいぶ近づいてきたけど、最後のスパイスを練っている感じかな。

■大黒摩季というブランドについて

―すると、大黒摩季さんというのは、ご自身でありつつ、アーティスト・大黒摩季も別にいるような感覚なのですか?

大黒:よく皆さん言うんですけど、本人としてみれば、全部私の一部だし、だけど私だけでもないし。

グッチとかフェンディとかブランドをみんなで作っているイメージなので、あくまでも私は最初の素材であり、最初のデザインの原画を描いた人であり…そのあとに例えばたくさんのミュージシャンの才能を拝借して肉付けをし、色を付けてきた…。

もうデビューして25年というと老舗になりますよね。カレー屋さんか団子屋さんか何屋さんなのか、そういうことで考えたら、「大黒摩季」という「バーニーズ」ではないかなと思います。

ちょっとロックっぽいけど、元気になるグッズがおいてある。ノンジャンルで、「大黒摩季」という人が集めたセレクトショップ…それが“大黒摩季”というブランドなんだと思っています。

だから、実名と芸名の大黒摩季の違いもないし、本人はすごく気楽なものです。比較的私は家にいるとだらんとしているんですが、「よし、やるか」となると音楽の力を借りてヒールを履いてライダースジャケットを着て!、というだけの話です。

■母の介護で生まれた曲

―ところで、休業中にはお母様の介護もなさっていたそうですね。『情熱大陸』(TBS・11月6日放送)では、お母様も出演されていましたね。

大黒:母親のテレビ出演は初です。脳出血して半身麻痺、車椅子の姿を同級生たりとも見せたくないと言って引きこもっていたんで、よく勇気出したなと思います。私の復活劇を見ているから、自分も一緒に上がってきたのかな。

―番組の中で作っていた曲『Mama Forever』はもう歌詞は完成したのですか。

大黒:母を介護のために自分のもとに受け入れたのが4年前で、相方(=夫)にも迷惑かけないからって引き取って。

嫁ぎ先にも迷惑をかけないという意地で、引き取った日から母に対する切ない思いを言える人がいなかったんです。夜中に書くことで(気持ちを)解消していた自分のプロットがいっぱいあったんです。

番組制作のスタッフから「曲を完成する画を撮りたい」と言われて、「4年間書き続けているのを、ここで一回作り上げてみなさい」と何かが言っているのかなと思って、そのプロットを全部出し、この4年間で一貫している気持ちは何だろうとマーカーを引いていったんです。

その日はできないと思っていたんですけど、道産子だからか外で夜風に吹かれたら余計なものがとれて、一気に1コーラスできちゃったんですよ。メロディーが言葉を勝手に選んでくれたみたいで、「あら、できちゃった」って。

まだ1コーラスなんですけど、現状では一番で言いたいことを全部言っていますが、介護に傷んでいらっしゃる方に「こういういいこともあるよ」って、二番で言ってあげたいなという気持ちもあるので、年内に作れたらいいなと思ってます。

■曲作りは「弱い自分と理想を求める自分との対話」

―こちらの歌詞は日記のようなものだったのですね。

大黒:もともと人に何かを伝えたいと思う人間じゃないので、曲作りは根本的に“弱い自分”と“理想を追い求めている自分”との私の中の対話なんです。これを同じような経験をした女性が、共感してくださるだけで。

『Mama Forever』もママに伝えているけど、自分の話じゃないですか。全部自分との対話なんで、立ち位置は変わっていないですよね。自分とって作品は保存しっぱなしの出せなかったメールや、出せなかったラブレターのようなものです。

■休業の6年間で基礎工事からリフォーム済み

―お母様との絆がとても強いように見えましたが。

大黒:一日中お母さんのことはさすがにできませんよ(苦笑)。休業の6年間かけて罪ほろぼしをやっただけなんです。

十何年にもわたって私を突っ走らせてくれた人たち、我慢してくれた人たち、ギリギリのところで立っていた家庭、どれも触れていないと隙間もできたりするじゃないですか。夫婦も家族も仲間も、そのタイミング的にはギリギリだったと思います。

だから6年かけてしっかりリフォームしたという感じです。基礎がガクガクしていて無理矢理建たせていたものを、基礎工事し直して、「次は耐震構造ばっちりの家にしてからスタートしようぜ」、というのがこの6年だったと思います。

■捨てない、あきらめない、置いておく

―では、必要な6年でしたね。

大黒:そうですね。ジャンプ台がしっかりしていれば高くジャンプできますからね。今はみんなが「行ってらっしゃーい」と心からお送り出してくれています。

でもヒット曲やブームとの裏腹に、何か捨てないと何かは手に入らないもので。あきらめの悪い女なので、捨ててはないんですけれど、もう沢山捨てたくないですし、今は犠牲を出してまで要らないです(笑)。

けれど、置いておく技を覚えたんですね。今はできないなら置いておいて、できるようになったら取りに戻って叶えればいい。結局あきらめ“ない”んです(笑)。

捨てない、あきらめない、置いておく。自分の采配で、今をずらすことができる。できないなら後ろに回せばいいじゃん、整ったらやればいいじゃん、ってできるのが大人の特権かなと思いますね。

いま大黒摩季は「シンガーソングライター大黒摩季」に戻る最中だと語る。だが、目の前に座り、包み隠さず淀みなく自身について語るその姿は、我々が想い描き続けた「シンガーソングライター大黒摩季」その人であった。

大黒本人の言葉を借りれば、人生には「関所」があるという。その「関所」で立ち止まるごとに、大黒摩季の歌があり、それは6年という年月の間も絶えず我々の歩む道と伴走していた。

大黒摩季は帰ってきたのではない。常にそこにあり続けている。そしていま「大人の特権」という新たな引力を得て、我々の人生を時に赤裸々に、時に力付けるように歌い続けていくのだろう。

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