今から39年前、昭和52年(1977年)11月15日。
ある少女が、日本海に面したある町から忽然と姿を消しました。

彼女の名前は、横田めぐみ。当時、13歳でした。

▼横田めぐみさん(当時13歳)

出典 http://www.rachi.go.jp

いつものように中学校に行った横田めぐみさん。部活の練習を終えて帰ってくるはずの時間になっても帰宅しませんでした。警察も、誘拐や事故、家出、自殺などあらゆることを想定して捜査を進めましたが、何も手がかりは残っていませんでした。

横田めぐみさんが北朝鮮で生きているということが判明したのは20年後、1997年のことでした。このとき、多くの日本人が「拉致被害」によって北朝鮮に軟禁されている状態であることが判明したのです。

北朝鮮による「拉致問題」とは。

1970年代から1980年代にかけ、多くの日本人が不自然な形で行方不明となったが、日本の当局による捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言により、これらの事件の多くは北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった

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日本人をスパイとして利用したり、北朝鮮のスパイに日本について教える講師として利用しようとして拉致を繰り返したと考えられています。

日本政府は、機会あるごとに北朝鮮に対して拉致問題を提起していましたが、北朝鮮側は頑なに否定しつづけました。2002年9月、北朝鮮はようやく日本人拉致を認め、同年10月に被害者が帰国しました。

帰国した5人の今は…

北朝鮮拉致問題の被害者で、日本への帰国を果たしたのは2002年に帰国した5名だけです。彼らの拉致時の状況、そして現在の日本での様子をご紹介します。

≫≫結納を交わした2人が突然の失踪

1978年。拉致された当時、地村保志さん(当時23歳)、浜本富貴恵さん(当時22歳)は当時交際中で、9日前に結納を交わしたばかりでした。

連行された北朝鮮で富貴恵さんは、現地の北朝鮮人と結婚させられそうになりましたが、必死に拒否。拉致から1年後に地村さんと結婚、3人の子どもをもうけていました。

▼地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻

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2002年10月に帰国後、市嘱託職員を経て、06年に正職員となった。富貴恵さんは03年に県嘱託職員に採用され、04年5月には3人の子どもも帰国した。

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保志さんは今年3月、勤務していた市役所を定年退職されました。富貴恵さんは今も嘱託職員として勤務を続けています。
帰国した3人のお子さんも、いまでは30歳前後。信用金庫やメーカーでの技術開発など、それぞれ独立して仕事をもち、充実した生活をおくっているようです。

≫≫大学生時代、デート途中に袋詰めにされて…

1978年、中央大学の学生だった蓮池薫さん(当時20歳)。帰省中の新潟県で、恋人だった奥土祐木子さん(当時22歳)と、浜辺を散策していたところを見知らぬ男性たちに体を拘束されました。布の袋に体をつつまれ、工作船で北朝鮮まで運ばれたそうです。

北朝鮮では、山中の隔離施設で軟禁され、体の自由を奪われる生活が続きました。そんななか、恋人だった奥土さんと現地で結婚。2人の子どもをもうけました。しかし、北朝鮮の工作員にしたくないという気持ちから、子ども達には日本語をあえて教えず、朝鮮人として育てていたそうです。

▼蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻

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2002年10月に夫妻は帰国。子どもを連れて帰ることは許されず、子どもたちには旅行に行くとしか告げることが出来ませんでした。1年半後、長女と長男が無事に日本に帰国することができたときには「子どもたちが日本に来た日が私たちにとって本当の帰国日です」とコメントを残しています。

帰国後、1年間の市役所勤務を経て、新潟産業大学嘱託職員・非常勤講師として働くかたわら、中央大学に復学。

出典 https://www.city.kyotango.lg.jp

蓮池さんのご両親は、蓮池さんが失踪後も「絶対に息子は帰ってくるはず」と、ずっと中央大学に学費を払い続けていました。消息不明のまま8年目に除籍となりましたが、帰国後に多くのサポートを受けて中央大学に復学しました。

翻訳者としての仕事をこなしながら勉学に励み、2008年3月に中央大学を卒業。

現在、新潟産業大学経済学部特任講師。

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蓮池さんのお子さん達も今では親元を離れ、それぞれ自立した生活を送っているそうです。

≫≫母と帰宅途中、男性3人に襲われて…

1978年、新潟県真野町(現佐渡市)で准看護師だった曽我ひとみさん(当時19歳)は、母親ミヨシさんと買い物に出かけた帰り道で拉致されました。北朝鮮に到着後は母親と離ればなれになり、その後の消息は分かっていません。

北朝鮮で元アメリカ兵チャールズ・ジェンキンスと結婚。2人の娘を出産しています。

▼曽我ひとみ・チャールズ・ジェンキンス夫妻

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2002年に曽我ひとみさん単独で帰国。2004年には夫ジェンキンス氏と娘2人が帰国を果たしました。

帰国後は、かつて働いていた准看護師の資格を生かして、佐渡の老人介護施設で介護士として働いています。2008年にはジェンキンス氏も永住権を獲得し、いまも家族で佐渡で暮らしていることを、インタビューでも語っています。

ジェンキンスさんは現在、曽我さんと長女美花さん(31)、次女ブリンダさん(28)の4人で暮らしており、自身は観光施設の売店で働いている。来日当初の体重は48キロだったが、現在は75キロ。健康状態は良好という。「もし北朝鮮にいたら、私は生きていなかったと思う」「佐渡に来て良かった。不満は何一つない」などと語った。

出典 http://www.yomiuri.co.jp

あまり公の場で語らない、その真意は。

帰国した5名は、ときにバッシングを受けることもあり、公の場で拉致問題について主張することは控えてきていました。そこには、北朝鮮に今も残る被害者に対する配慮があったといいます。

北朝鮮に残る被害者への悪影響を恐れ、5人は公の場での主張を抑えてきた。だが、支援組織「救う会」の西岡力会長は「発言を我慢しきれないほど事態は切迫してきた」と語る。家族は多くが高齢化し、亡くなる人も出ている。北朝鮮の過酷な暮らしを誰よりも知る5人だけに「被害者や家族のことを心から心配している」(西岡氏)という。

出典 http://www.sankei.com

拉致被害者5名の帰国からも14年がたちました。北朝鮮に残る被害者のことを考え、だからこそ「早く解決しなければならない」と蓮池薫さんもインタビューで答えています。

蓮池薫「はるかにつらい、耐え難いもの」

「我々が日本に帰ってきたことを、いろいろな形で(北朝鮮に)残されている人たちは知らないはずはない。
それもかなり早い段階で知っている。
子どもまで帰ってる。
一緒に生活している。
それを知った段階でプツンと何か切れてしまうと思うんです。
もう帰ってる人いるんじゃないか。
なんで我々がって、その思いっていうのは我々の思っているその気持ちよりも、はるかにつらいもの、耐え難いものじゃないかなとそう思うんですよね。
だからそれを思うと、こちらに残されて高齢になっている家族の皆さんの思いと合わせて考えた時に、もうこれは猶予できない問題。
もう、すぐにでも本当に早く解決しなきゃならない問題でしょと。

出典 http://www.nhk.or.jp

蓮池さん自身も、北朝鮮で翻訳の仕事をしていたときに、日本の新聞で自身の父親が拉致被害者「家族会」として活動していることを知ったと言います。まだ北朝鮮に住む被害者の方々が、希望を失わないために、生きて帰ってこられるために、もう時間はあまり残されていないのではないでしょうか。

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