出典 http://www.titan-net.co.jp

お笑い芸人爆笑問題の太田光さんの母・瑠智子さんが享年83歳で、肺気腫による呼吸不全のため都内の病院で亡くなられました。

太田さんが発表したコメント

生涯、一度も弱い部分を見せたことのない母でした。
病院嫌いで熱が出ても熱い風呂に入り自力で治すような人でした。
最後も荒い呼吸の中、「苦しい?」と聞くと、大きく首を横に振りました。
最期は静かで綺麗で鮮やかな死に様でした。
不肖の息子にとって憧れの格好いい母です。生んでくれて感謝。育ててくれて感謝です。
長年における御高配、母に代わり感謝いたします。

出典 http://www.tokyo-sports.co.jp

太田さんのコメントからは我慢強く、たくましいお母様だったことが伝わってきますね。

葬儀は11/14に東京都内でしめやかに営まれ、喪主である太田さんが挨拶をされたことが話題となっています。

息子として、芸人として母の最期にどんな言葉を贈られたのでしょうか?

「本日はお忙しい中ご参列くださり、ありがとうございました。ドナルド・トランプです。」と最愛の母へ渾身のギャグ。そばにいた田中が小声で突っ込み、コンビの掛け合いを最後に母に届けた。

出典 http://www.daily.co.jp

と、アメリカの大統領選挙で勝利したドナルド・トランプさんをネタにするという、太田さんらしい笑い溢れるギャグで、笑いを誘いました。

お母様の最期の様子は・・

コーラスが好きだったことから、闘病中に越路吹雪さんの「愛の讃歌」「バラ色の人生」を良く聞いており、亡くなる直前にも太田が2曲をイヤホンで聞かせた。

「聞き終わった瞬間に心臓の数値がゼロになりまして、息子ながら惚れ惚れするようなきれいな死に様だなと。1時間遅ければ僕は死に目に会えなかったので、分かってて合わせてくれたのかな。こうやって死ぬんだよと、そういうことまで教えられた。」

出典 http://news.tv-asahi.co.jp

仕事へ向かう時間の1時間ほど前に息を引き取ったというお母様。太田さんがそばに居られる時間を選んで旅立って行かれたように感じずにはいられません。大好きなお母様の最期を看取ることが出来て、素敵な時間を親子で過ごせたということは、何よりの親孝行となったことでしょう。

「どうもドナルド・トランプでした」と、最後にもう一度ジョークで締めるという、太田さんらしい挨拶でした。

しんみりと送り出すのではなく、笑いで送り出せる素敵な息子さんを持ち、息子の漫才を見ることが出来て、芸人の母として、誇りに思えるような最期だったのではないでしょうか。

芸能人の方の弔事、お別れの言葉はその方の人柄や、言葉を贈る方との関係の深さを感じることができますが、過去には話題となった言葉をご紹介します。

タモリさんの伝説の弔事とは?

出典 http://www.tanabe-agency.co.jp

2008年に漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなった際に、親交の深かったタモリさんが弔事を読み、話題となりました。

私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。

私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。しかしいまお礼を言わさしていただきます。赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品のひとつです。合掌。

出典 http://www.j-cast.com

タモリさんが売れない時代から支えてくれていたという赤塚さんとは、肉親以上の関係であったことも語られました。

そんな7分56秒にも及んだ赤塚さんへの想いが綴られた紙は、白紙だったのではないか?と話題になりましたが、実際にタモリさんが持っていたのは、勧進帳だったようです。

白紙の弔辞の真相とは?

やはり白紙を手にした勧進帳だったのだそうだ。タモリによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたそうだ。

出典 http://www.j-cast.com

「勧進帳」は、山伏姿の義経一行を関所から逃げのびさせるため、弁慶が「本物」と思わせるよう白紙の勧進帳を読み上げるなどして危機を脱する話で、このとき関所の通過を許すのが富樫(トガシ)左衛門という名前なのですが、タモリさんのマネージャーが「トガシさん」という繋がりで、勧進帳を選んだようです。

しんみりさせるのではなく、「ギャグ」で見送りたいというタモリさんの想いが込められました。

「これでいいのだ」

そして、赤塚さんの作品である「天才バカボン」の名セリフ、『これでいいのだ』という言葉が赤塚さんの人柄そのものだった事も明かしています。

「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。」そんな器の大きい赤塚さんだからこそ、多くの方に愛される「天才バカボン」が誕生したのですね。

台本がない中、言葉を詰まらせることなく最後まで弔辞を読み上げたタモリさん。人生の恩人の赤塚さんに対する想いを、長年「笑っていいとも」で司会を務め、喋りのプロであるタモリさんだからこそ、素敵な言葉でまとめ、赤塚さんを送り出すことができたのでしょう。

カンニング竹山さんが「カンニング」を名乗る理由とは?

カンニングは、2人組のお笑いタレントでしたが、2006年に中島 忠幸さんが白血病により亡くなられました。中島さん亡き後も、竹山さんは一人で「カンニング竹山」を名乗り、芸能活動を続けています。

「カンニング」はコンビ名でしたが、2人で活動をしている時も“カンニング竹山”“カンニング中島”と名乗っていたことから、知名度も考慮して使い続けているというのです。

ピンで活動をされていても、コンビの名残が残るので、ファンにとっては嬉しいですね。そんなカンニングの中島さんが亡くなった際に竹山さんが読まれた弔辞はこちらです。

竹山さんの弔辞

みんな見にきてくれて凄い事になっとる。お前と2人でコンビ組んで、漫才やれて、お笑い芸人やれて本当に幸せやった。ありがと。いつも通り別れる。ほなな・・・・・・。

出典 http://www.dclog.jp

中島さんの葬儀には、竹山さんが葬儀の前日にラジオで呼びかけたおかげで3000人ものファンが駆けつけて見送られました。ファンの多さに、天国の中島さんも驚かれたのではないでしょうか?

今年で丸10年が経ちますが、竹山さんの葬儀の呼びかけや弔辞は今でも色あせることなく、多くの方の心に刻まれているのですね。

大切な人との別れというのは、前に進む力になるんですね、きっとね。ものすごい悲しいことだけど、この人の分まで頑張ろうとか、この人に負けないように頑張ろうと思って、そういう思いをパワーに変えて、人は前に進んでいく。僕はそうやって生きてきたし、これからも生きていくのかなと思っていますね。

出典 http://www.ohtabooks.com

中島さんの存在があったからこそ、心強いパワーを手に入れることが出来て、竹山さんはこれからも芸人として輝き続けていくことでしょう。

太田さんもタモリさんも、竹山さんも、大切な方への想いが溢れる素敵なエピソードですね。

大切な人が亡くなるということは、どうしようもない寂しさが込み上げてきますが、それ以上に出会えたことの幸せを感じることが出来ますし、会えなくても心の中で生き続けてくれると感じずにはいられませんね。

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