出典Spotlight編集部撮影

モデル、タレント、俳優として活躍している栗原類さんが、自身の発達障害(ADD 注意欠陥障害)に関する書籍「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」を10月6日に発売しました。

そこで「ソコ行く!?ソレ聞く!?取材班」は、栗原さんにインタビューを敢行。3日連続で公開する記事のはじめは、自分が発達障害とわかってからの日々について語っていただきました。

ニューヨークでわかった発達障害

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栗原:僕が発達障害だとわかったきっかけは、ニューヨークで通っていた学校の担任の先生が「(僕の)行動や言動から発達障害の疑いがある」と、母に検査をすすめたことでした。

アメリカの先生は、自分の受け持った子どもが少しでも発達障害の疑いがあれば、そのことを保護者に話す義務があるんです。実際に検査を受けてみたところ、僕の発達障害がわかりました。

でも、発達障害であるということを僕自身が知ったのは、検査直後ではなく少し先のことでした。ニューヨークの教育委員会も「発達障害であると知っても、すぐに本人に教えなくても良いです。親御さんのタイミングで伝えてあげてください」と母に言っていたので。

実際に伝えられたのは、映画の「ファインディング・ニモ」が公開された時でした。同作に登場するドリーについて、「ドリーってすごく面白いんだね!なんでも忘れちゃうんだね」と母に話したところ、発達障害を伝えるタイミングだと感じたようで「あんたも同じなのよ」と言われました。

この時に、僕は自分が発達障害であることを知ったのです。

保育園の先生が「情緒のない子」と母に言った

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栗原:検査を受けるまでは、僕自身が発達障害を自覚することもなかったし、母も疑うようなことはなかったと思います。

しかし、一般的な子どもに比べたら、できないことや違うところはかなりあったはずです。特に日本の保育園に通っていた頃は、知覚過敏や感覚過敏、音の感覚過敏も顕著でした。

アメリカの歌の授業では音程が外れていたら正しい音を教えてくれました。でも日本では、正しい音程で歌うことよりも元気に歌うことを重要視しているため、怒鳴るような歌い方をする子もいたんです。

音に敏感だった僕は、それに耐えられずしゃがみこんだり、寝込んだり、教室を出て行ったことも何度かありました。そういった行動をする僕のことを先生は「みんなと歌を楽しめない子」「情緒のない子」と母に言ったそうです。

ライブに行く時は耳栓をしていた

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栗原:そこで母は、医師にそのことと聴覚に異常がないかを相談しました。すると医師は「どんな子でも怒鳴るような声は耐えられない。自分も耐えられない。『この子は正常だ』と診断されたことを先生に言いなさい」とアドバイスしてくれたんです。

保育園の先生に、母が医師の言葉をそのまま伝えたところ、何も言われなくなりました。

大きくなってからも大きな音が苦手で、以前はライブに行く時は耳栓をするか耳を塞いだ状態がちょうどよかったくらいです。テレビの音量も一般的な大きさが爆音に聞こえていました。

今は、耳栓をしなくてもライブに行けるようになりましたが、エレベーターなどの密室での会話は苦手なままです。

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明日公開する次回の記事では、日本とアメリカで教育を受けた栗原さんに、その差について語っていただきました。「日本の先生を信用するのはやめました」という栗原さんはいったいどのような経験をされたのでしょうか。

発売中の書籍「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」では、より詳細なエピソードやお母様や主治医の先生のお話も掲載されていますので、ぜひご覧ください。

<取材・文/横田由起 撮影/長谷英史>

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