2010年以降、全国の自治体が次々に暴力団排除条例を施行するようになった。それらの条文で共通しているのは、暴力団の排除を都民、県民の「責務」としていることだ。

つまり、これまでは暴力団を排除するのは警察の仕事だったが、これからは地域住民が自主的に暴力団と向き合い、対策を取らなければいけなくなったのである。

しかし、こんな状況になっても人々は暴力団について正しい認識を持っているといえるだろうか?自信を持って、人が暴力団に惹かれるのを防ぎ、暴力団から離脱するサポートを的確に行えると言える人がどれくらいいるのだろうか?

ヤクザになる理由』(廣末 登/新潮社)は、様々な側面から人が暴力団構成員=ヤクザになる要素を分析した一冊である。似たような本はこれまでにも発表されてきたが、本書がこれまでの研究と大きく異なる二つのポイントがある。

まず、本書が学術的な引用だけに留まらず本物の元ヤクザ7名にインタビューを行い、彼らの実体験を基にして理論を展開していること。

そして犯罪社会学者である著者自身が元不良でありヤクザやアウトローの言葉に深い共感ができる立場であるということだ。既存の研究では見落とされていたヤクザの心理は、一般市民がヤクザを深く知るためのきっかけとなるだろう。

著者は不良ではあったが、ある時期から就職したり大学に通ったりして不良を「卒業」している。

多くの不良少年たちは一定の時期を過ぎると著者のように社会生活へと取り込まれ、一般人への道を歩んでいく。しかし、不良を「卒業」できず、一般社会に背を向けた若者たちはそのままヤクザになってしまう。

不良を「卒業」できる人とできない人にはどんな差があるのだろう。

その差を知るために著者は家庭、学校、仲間、個人の特性について元ヤクザたちを徹底的に掘り下げていく。その過程で放任家庭、教師への憎悪、仲間内の地位への執着など、彼らに共通した体験がいくつも浮き彫りにされていく。

著者が元ヤクザへの対話を重視して本書を構成しているのは、「アンケート調査が主流になっている現在のヤクザ研究がリアリティを欠いているのではないか?」との疑問からである。事実、生の声の説得力を思い知らされる場面が次々に登場する。

例えば、ヤクザの学生時代についての調査である。これまでの研究ではヤクザの学生時代について「学校内に親しい友人がなく、学校生活への全体的な不適応が認められる(星野周弘『社会病理学概論』)より」という傾向が報告されてきた。

しかし、著者がインタビューした元ヤクザ7名全員が、真逆の内容を口にするのだ。

筆者の調査では、暴力団経験者の多くが、この学校における生徒文化に適応し、そこで肯定的な評価を受け、高い地位を得ていたことになります。

そうであるなら、この生徒文化が内包するサブカルチャーには、非行性を帯びた要素も存在することは否めないわけです。

出典 http://ddnavi.com

噛み砕いていえば、不良にとって学校はみんながちやほやしてくれるし、モテるし、「楽しかった」のである。

しかしそれだけではなく、学校では不良にも他の生徒から揉め事の仲裁役のような役割が期待されており、集まった期待に応えることで不良たちは充足感を覚えることができた。

彼らはむしろ卒業後、一般社会では学校のように期待された役割を与えられないと悟ってしまい、暴力団の世界へと惹かれていくのである。

もちろん、元ヤクザたちが学生時代を美化して語っている可能性は否定できない。しかし、少なくともここにはヒントがある。

著者たち研究者は暴力団を離脱した元ヤクザの更正の成功について、家庭や安定した仕事と同様に、近隣社会との結びつきの重要性を訴えている。

暴力団を抜け、社会からも孤立した「アウトロー」が手に負えない犯罪者となる前に、人的つながりを強化し、社会貢献を実感できる役割を与えてみるという挑戦を提案する。

あとがきの最後で著者は本書があくまで一方的な研究結果であるとして、異なる意見も求めている。本書は、我々一人一人が暴力団との関係について建設的に思考するきっかけになればいいと呼びかけているのである。

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