先日、SONYより発売された「Playstation VR」。

専用のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着することで、目の前に仮想現実の世界が展開される「VR」は今年最も注目を集めた技術のひとつで、マスコミは「VR元年だ」と連日のように報道していました。

しかし、まぐまぐの新サービス「mine」で無料公開中の、日本バーチャルリアリティ学会会長・廣瀬通孝さんの記事によると、VRが世に出たのは実をいうと27年も前とのこと。

廣瀬さんは同記事で、当時と現在のVRを取り巻く環境の違いを解説するとともに、なぜ初めに発表された当時は今ほど話題にならなかったのか、その理由についても語っています。

「VR元年」に異議あり

先日、SONYのプレステVRが発売になった。果たして品質はすばらしく、研究室の学生もかなりはまっているようだ。HMDをかぶってゲームに興じるあまり、椅子からころげ落ちて骨折でもしないかと余計な心配すらしてしまうぐらいである。

マスコミによれば今年がVR元年とか。しかしながら、この分野の専門家にとっては、この技術は昔からのものである。二巡目のブームとでも言えるだろう。そもそもVR(バーチャルリアリティ)という言葉が最初に使われたのは1989年のことである。

西海岸のベンチャー企業であったVPL社が、サンフランシスコのある展示会に出展した「未来の電話」システムを称してそう呼んだのが始めである。パンフレットには確か、“Virtual Realty arrives!”とか書いてあった。

写真にはHMDとデータグローブと呼ばれる手袋状のデバイスが写っている。ややレトロな感じを別とすれば、雰囲気的には今のニュースでも通用しそうだ。

HMDをかぶると目の前に立体映像の世界があらわれ、まわり360°を見渡すことができるというのは今と同じである。

さらにデータグローブは自分の手のうごきをコンピュータに伝えるデバイスで、それを使えば目の前の物体をつかみ上げることができた。(写真はVPL社・社長(当時)J.J Grimaud氏の好意による)

歴史は繰り返すとはよく言ったもので、今日大騒ぎのVRとほぼ同じことが27年前にすでに可能だったのである。ちなみに、そのHMDの名前がなんと「アイフォン」であった。もっとも綴りは「EyePhone」であるが。

VPLのEyePhoneは、解像度100×150、それで300~400万円ぐらいと、今考えればとんでもない代物であった。現在であれば数万円でハイビジョンクラスのHMDが手に入る。

なぜ、当時のVRは浸透しなかったのか?

もちろん、ここで書きたいのは今のVRが単なるくり返しということではない

今のブームを支える歴史をある程度おさえておく必要があるということである。たとえばHMDひとつとっても、実はSONYのHMDも2回目である。SONYが最初にHMDを売り出したのは1996年のことで商品名は「Glasstron」である。

コンピュータの能力も格段の進歩をとげた。大体10年間で100倍くらいと言われている。第1世代と第2世代の間には25年の差があるわけだから、グラフィクス能力は、数万~数10万倍ということになるだろう。

かつての映画クラスのCGが、現在のVRでは利用可能である。第1世代の画像は直方体や三角錘などの組み合わせで表現されたごつごつしたものでしかなく、よほどの創造力のある人でなければ現在のVR画像を思い浮かべることはできなかったに違いない。

周辺的な技術環境が整備されてきたということもブームを後押ししている。技術の進化でよく言われることは、いろいろな変化が同時多発的に起きなければ、折角の良い商品も生き残っていかないということである。

たとえば、自動車という技術が広まるためには、ガソリンスタンドの整備が必須である。

HMDだけ立派なものができても、見回す映像がなければどうしようもないだろう。一つの答えは全天周(360°)カメラである。

全天周カメラも昔は自作するしかなかったが、今では数万円で入手可能、しかも自撮り棒にとりつけられるぐらいのコンパクトさである。

今ならば、ネットワーク環境から画像を手に入れればよいではないかという人もいるだろう。

ところが、1989年にはWEBという概念や、いわんやモバイルインターネットなどは存在していなかったのである。第1世代VRはインターネットネイティブではなかったのである。

そして、何よりも大きな違いは、VRのようなデジタルメディアに対する人々の理解や満足水準が格段に異なってきたという点である。この感覚は世代によってちがう。ある程度若い世代にとっては、映像はインタラクティブであたりまえである。

信じられないことかも知れないが、先に述べたSONYのGlasstronにはヘッドトラッキング機能がついていなかった。商品としての「売り」は、「全天周」ではなく、眼前におかれた「大画面スクリーン」ということだったのである。

飛行機をつくりながら、「飛べる」ことをアピールしなかったようなものである。

右を見れば右に視界が広まるという体験のおもしろさは、研究開発者を中心とする、ごく限られた人にしか理解されていなかった時代、そして、ヘッドトラッキング技術がきわめて特殊かつ高価だった時代の話である。

著者/廣瀬通孝

東京大学大学院情報理工学系研究科 教授。

昭和57年3月、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。工学博士。同年東京大学工学部講師、助教授、先端科学技術研究センター教授などを経て、平成18年東京大学大学院情報理工学系研究科教授、現在に至る。

日本バーチャルリアリティ学会会長、監事などを務める。

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