記事提供:テレビPABLO

『しゃべくり007』/2016年10月24日放送・日本テレビ系

10月21日放送の『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)で、古舘伊知郎が『人志松本のすべらない話』に出演したときのことを話していた。

古舘は、笑いのプロである芸人たちの輪の中に交ぜてもらう、というぐらいの軽い気持ちで収録に臨んでいた。ところが、その現場で、芸人たちと自分の間にあるトークスタイルの違いに愕然とすることになる。

芸人たちは、話の結末部分で大オチをつけるということを自然にやっていた。最後に声を張り上げ、オチの一言で締めて笑いを取る。

ところが、古舘のトークは細かい情景描写が中心になっているため、結末で山場が来ない。そのため、「あれ、ここで終わり?」という微妙な空気が漂うことになる。

しゃべりのプロ同士ではあるが、芸人とアナウンサーはその流派が全く違う、というのを思い知らされたという。

芸人と芸人ではない人の大きな違いのひとつは、話の最後にオチをつける義務があるかどうか、ということだ。

話の着地点に何もなかったときに、「で、オチは?」と尋ねられたら、普通の人間ならイラッとしていい。でも、芸人ならば、原則としてオチを付ける作業を引き受けなければいけない。笑いどころを用意して、きちんと仕事をする必要がある。

ただ、正確に言えば、オチを付けることだけが芸人の仕事ではない。オチを付けようとしてうまく付けられない、その様子がたまらなくおかしい、というのでもいい。

出川哲朗や狩野英孝のトークにきれいなオチを求める人はいない。彼らは、言葉に詰まっても、オチがきまらなくても、そこで別の種類の笑いを生む才能に長けているから、それはそれで芸人としての役目を果たしているということになる。

笑いというゴールをきめることができれば、シュートの種類は何でもいい。

その点、テレビに出ている芸人の中でも特殊な立場にいると思うのが内村光良だ。

いま現役でMC業などをやっている人気芸人の中でも、「で、オチは?」を最も求められない人ではないだろうか。よくよく考えてみると実に得体の知れない不思議なポジションだ。

最近やたらとテレビで見かけるなあ、と思う芸能人と言えば、高樹沙耶と内村光良がツートップだろう。

自身が原作・監督・脚本・主演を務めた映画『金メダル男』の宣伝のため、内村は民放各局のバラエティ番組にすさまじい勢いで出まくっている。

『VS嵐』『A‐Studio』『Love music』『行列のできる法律相談所』『王様のブランチ』と、各局を代表する人気番組を総なめ。あのウッチャンが本気出したらこんなことになるんだ、というのを改めて見せつけられた感じがする。

そんな内村は、どの番組に出るときにも、とても落ち着いている。たたずまいが少しもガツガツしていない。

今どきドラマの俳優が番宣でバラエティに出ても、もうちょっとはしゃいだりしそうなものだ。もちろん、内村も芸人である。他の芸人と絡んでいて、声を張ることもあるし、ボケることもツッコむこともある。

ただ、そのやり方がとても上品で、あくせくしていない。共演者も視聴者も、内村に対しては誰もオチを求めてはいない。

あのウッチャンの言うことを素直にありがたく聞いている、動いている内村を見ている、それだけで十分に満足できる。そういう存在であること自体が尊い。そんな感じ。

そんな内村のあり方を象徴する場面があった。10月24日放送の『しゃべくり007』では、映画で共に主演を務めた知念侑李とゲスト出演。

そこで知念は普段の内村がどんな感じだったのかと尋ねられると、「どんな感じ…?」と言葉に詰まった。言われて印象に残っている言葉はあるかと聞かれても、何も答えられない。

すると、堀内健と名倉潤もそれに乗っかり、内村はいつもいい言葉をかけてくれると丁寧に振った後、具体的には何も言葉が出てこない、というくだりを重ねていった。

その後、知念は、内村が「子供が運動会で活躍して喜んでいた」と報告。それに続けて、コロッケにソースをつけないという共通点で意気投合したという話も披露した。知念のあまりにもつたない話しぶりに業を煮やした名倉は、思わずこう言った。

「内村さん、ホンマおもんない人ですね、ってなるよ」

知念の紹介したエピソードがあまりにも弱すぎて、内村が面白くない人のように見えてしまった、という状況だったわけだが、この一言が出てきた背景を読み解いていくと、内村という芸人の本質が見えてくる。

「内村が面白くないように見えるじゃないか」というのが成立するのは、内村が面白いという事実が根底にあるから、と考えられるのが普通だ。本来は面白い人なのに、お前のその話し方だと面白くないみたいじゃないか、となるわけだ。

ただ、内村の場合、実態はそういうことではないような気がする。そもそも面白さを求められていない人に対して、ことさらに面白くないみたいに見えるような話をするなよ、という解釈の方が自然に受け入れられる気がする。

何しろ、この後に内村の口から飛び出した話は、セミの数を数えながら一人でウォーキングをする、という趣味の話と、子供が補助輪なしで自転車に乗ったのを見て思わず泣いてしまった、という話である。

これを聞いても誰一人として「オチは?」なんて無粋なことは言わない。やっぱり内村は「おもろい・おもんない」の二元論の世界で生きていない。

内村は芸人でありながら、その枠の外側にいる人。そして、外側にいることをツッコまれることもなければ、イジられることもなく、ずるいとすら言われない。どうやって目指したらいいのかも分からないくらい内村は特別な存在だ。

遠くで輝きを放つ太陽。そこにいるみんなを照らす、内村てらす。光って良いと書いて光良。ウッチャンがここにいて良かった。きっと誰もがそう思っている。

コラムニスト

ラリー遠田

1979年生まれ。東京大学文学部卒業。作家・ライター、お笑い評論家として執筆、講演、イベントプロデュースなど多方面で活動。

主な著書に『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)がある。『ヤングアニマル』(白泉社)に連載中の漫画『イロモンガール』の原作を手がける。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス