記事提供:messy

ナガコ再始動。

資生堂『インテグレート』のCM2作に批判が殺到し、放映中止となった件。当初は賛否両論の意見がSNS等に噴出していたが、現在はすいぶんと沈静化された印象を抱く。

その間、様々な意見を拝読・拝聴した当方は、改めて同CMに対する視聴者女性たちの“目の付け所”や“問題の焦点”が、個々に異なる点に興味を覚えた。

今さらではあるが、同CMの内容を簡潔におさらいしておきたい。主人公は、25歳前後の社会人女性3名。

1作目では、25歳になった彼女たちが「もう女の子ではない。ちやほやされない」ので「大人のイイ女を目指そう」と宣言する物語設定に対し、年齢蔑視のエイジズム、台詞に現れる動機がネガティブ、女性蔑視等の非難が寄せられた。

会社を舞台とした2作目では、主人公の1人が男性上司に「がんばっている(疲れ)が顔に出ているうちはプロじゃない」と窘められる内容について、モラハラ、パワハラ、セクハラに匹敵するとの批判が相次いだ。

折しも、昨年自殺した電通の女性社員(享年24歳)に労災がおりた事件を受け、その過酷な残業によって心身ともに疲弊した彼女の身なりを上司が注意したとのエピソードが報道されるや否や、類似性を根拠にバッシングは加速した。

女性の“がんばり”を描くための“残念バイアス”

同CMについて、広告映像業界および制作現場を知る映像ライターとしての当方の感想は、「下手くそ」。以上だ。

昨年、同様のケースで公開中止となったルミネのCMについても、「ジャッジ権を持つ者の中にプロが1人でもいれば、必ずや軌道修正を促したであろう迂闊な内容。平然と公開できてしまう意識も含めて、素人同然の所業。要するに、下手」といった主旨のコラム(ナガコナーバス人間考察:下手なCMは数を打ってもあたらない件)を書いたが、『インテグレート』も同じ轍を踏んでいる。

企業CMは、そのブランドイメージを伝達(あるいは向上、刷新)する情報戦略コンテンツであると同時に、根本的には商品の購買促進、利益誘導を狙う目的で制作される広告である。

実際に視聴者にお買い上げいただかなければ意味がないので、企業や広告代理店は、商品のターゲット層のニーズ、趣向性、トレンド等のマーケティング調査を実施。そのデータを鑑みたうえで、商品の魅力を訴求するための広告プランを検討する。

『インテグレート』CMでは、ターゲット層の女性(20代前後、ファッションやコスメに興味がある、実際に商品を購入する経済力を見込める社会人)の中でも、勤務歴の浅い若手3名(25歳前後設定)を主人公に起用。

「がんばっている女性を応援する」ブランドの前向きな理念に則り、社会で奮闘する主人公たちの“がんばり”に寄り添い、同世代の視聴者の“共感”を誘う物語設定を演出の核とした。

女性の“がんばり”を表現する際、同CMは、「25歳は、もうちやほやされない」や、上司による「がんばっているが顔に出ているうちはプロじゃない」等、「~ない」の現状否定を用いた台詞を採用したわけだが、まず、“がんばり”の落としどころのためにわざわざ否定ベースの“残念な状況”を用意するあたり、女性全般に失礼かつ安易である。

もっとも、主人公に“残念バイアス”をかけて一旦貶め、奮闘する様子を描き、視聴者や観客の“共感”や“応援”を引き出す手法はドラマツルギーの王道だ。

が、メッセージ色の強いドラマや映画等の芸術・芸能作品ならばまだしも、同件はCMである。構造のみを取り沙汰すれば、企業が利益のために、女性の“残念バイアス”を利用していると解釈できる。

自ら落とし穴を掘り、女性を誘導し、這い出そうとする姿に向かって「がんばれー!」と声援を贈る。

そんな落とし穴ドッキリスタイルをもって「がんばっている女性を応援する」と宣言されたところで、その実態は「自社の利益のために、女性を迂闊かつ作為的に貶めている」わけだから、「なぜ、おまえらの売り上げに貢献するために、前途ある若き女性が穴に落ちなければならないのか。馬鹿にしているのか。応援する気があるなら、まず、落とすな」くらいの小言は述べておきたい。

「落とし穴を迂闊に掘っているうちはプロじゃない」

また、他意も作為もなく、心の底から女性を応援するべく同CMを制作したとするならば、浅慮である。

「25歳は、もうちやほやされない」等の台詞を鑑みると、“女の子”と“大人の女”の境界線上に立つ主人公たちは、女性を年齢市場で査定する種の蔑視観に疑いを持たない。

この台詞を、例えば年輩男性や上司が言おうものなら即刻セクハラ認定されるわけだが、当の女性自身が年齢市場主義的価値観の刷り込みに捕われ、コンプレックスを抱いたり、自らの加齢嫌悪をもって他者女性の年齢を蔑視したりする実状もまた、日本のエイジズムの深部に潜む当事者問題のひとつである。

その状況をあっけらかんと露呈する演出を、制作者サイドが特に問題視しなかったとするならば、迂闊である。

上司による「がんばっているが顔に出ているうちはプロじゃない」も、男性上司と女性部下の間で起こり得る数多の会社内ハラスメントに抵触する危険を孕んでいる。

さらに主人公たちは上司の一言を「あ、そっか」と受容し、順応性を発揮して実際にがんばる。

上司の発言が実質的にハラスメントに相当するか否かはさておき、ハラスメントと捉えられる可能性がある台詞に対し、またしてもあっけらかんと順応する女性像を描写するあたりも、軽率が過ぎる。

主人公たちは、社会の刷り込みに従順な分だけ、社会問題に疎い。当方の個人的な意見としては、25歳の社会人とは思えない幼児的な描かれ方である。

この主人公像が、特に実態調査の結果ではなく、制作者サイドの印象や固定観念によって描かれた設定であるならば、あまりにも安易。

物語の落としどころのために、わざわざ従順で鈍感な幼い女性性を主人公に投影したということならば、これもまた“残念バイアス”。

だが、そこは大手企業のCMだけに、得意のマーケティング調査によってターゲットおよび主人公像の実態調査、および視聴者にネガティブな印象を与えない検証を行ったはずである。

ゆえに、主人公には、彼らの調査範囲内の統計結果が反映されているとして。娘たちの在り方が25歳の社会人女性の実態に限りなく近いようならば、個人的にはショックだ。

結果的に、街場の反応を想定しきれなかったからこそ、平然と公開された同CMは、案の定怒られて取り下げる残念な結末を招いた。

現在のCMはTV放映のみならず、インターネットでの公開および情報拡散も視野に入れた展開を考慮する以上、あらゆる角度からの異論反論が飛び交う状況を想定して然るべきだ。

想定できずに炎上し、炎上を理由に公開を取り下げたのであれば、プロの仕事として成立していない。ゆえに、下手である。

企業イメージも悪化する。利益にも悪影響を及ぼす。大人数が時間と労力と予算をかけて手がけたプロジェクトが無駄になる。

これでは、“残念バイアス”をかけられた女性たちも穴の落ち損というものだ。一言「落とし穴を迂闊に扱っているうちはプロじゃない」とお伝え申し上げたい。

“女の子物語”に対する女性の反応

ここまで、かねてより制作者の都合による“残念バイアス”の作為(または無自覚)に否定的な意見を持つ私によるCMの作り方批判を展開してきた。

一般的な意見としても、「女をわざわざ貶める、女性蔑視の体現」「いつまで女を馬鹿にするつもりだ」「この内容がCMとして通用すること自体、“だからハラスメントがなくならない”社会を立証するものである」といった声を聞く。

他方、同CMは「よくある日常の光景」であり、「何が問題なのか分からない」「問題視する方が、年齢やハラスメントを気にしすぎている。過剰反応ではないか」と、一連のバッシングを疑問視する声も一定数あがった。

「25歳だから」「もう女子ではない」「ちやほやされない」ので、「大人のかわいい女性としてアップグレードしよう」というメッセージに違和を感じない女性視聴者にとって、主人公は“等身大”の自分に近しい存在である。

同CM制作者にとっては彼女たちこそがまさしく“共感”と“購買”を促したい相思相愛のターゲットとなるが、全国放送のCMは彼女たちのみにピンポイントに届くコンテンツではないので、「いやいや、そんな25歳ばかりじゃないだろう」と反発する者が登場する。

「私も25歳だけど、とっくに大人だよ」「社会人になってから、自分は女子ではないことを語り合わない」等、“等身大”の自分との距離の遠さを基準に反論。

25歳の女性と一言でいっても、いろいろな考え方の人がいるという、至極当然の事実を社会に露呈した。

また、年齢市場査定のエイジズムについて、不快感を表明する意見の着眼点は概ね3点。

(1)「もうちやほやされない」と嘆くからには、主人公はかつて“若い”という理由でちやほやされることに疑問を持たずにいたのだろう。そんな主人公が不快。

(2)そんな主人公をでっち上げ、お茶の間に放映するCMの在り方が不快。

(3)主観的な感想はさておき。同CMがしれっと放映されてしまう社会において、エイジズムの刷り込みの威力がまだまだ有効である事実が不快。

人間を傷つけ、お茶の間を汚し、社会に潜むエイジズム、恐るべし!

私自身は(3)であり、虚構の広告の主人公には何の恨みもないのだが、若くてもちやほやされない女性や、ちやほやされる理由が自分自身の魅力ではなく、“若さ”のブランドであることが気に入らない女性もいる現実をスルーして、安直に女性の“年齢”を取り扱うCMは、「企画も下手だけど、根本的に女の扱いが下手」である。

マーケティングデータが通用しない世の中

その他、「社会人女性はもっとしっかりしている」「容易に見下せる女が好きな男の目線を感じる」「女を馬鹿として描いている」「女子は辞書上では特に若者を差す言葉ではないので、40歳である私も女子だ」「セクハラひどい」「いや、あれはセクハラじゃない」「資生堂にはがっかりした」等、実に様々な視点での意見が交わされた。

私個人は、「いつまで薄らぼんやりした“女の子物語”を消費させるつもりなのだ」とうんざりする一方、15秒2タイプのCMがここまで物議を醸した状況を、歓迎したいと考えている。

この結果は、大手広告代理店のマーケティングデータには現れない、多種多様な女性たちのリアルな声の集積である。今後のCM制作がもっと上手になる糧として大いに活用していただきたい。

懸念するのは、主人公に共感する層が、主人公同様に、社会の刷り込みに従順かつ社会問題に疎い点である。

「何が問題なの?」と素直に呟く女性を非難するつもりはない。彼女たちは、それまで生きて来た社会環境によって“刷り込まれた”価値観に順応しているだけであり、「そこにある問題」に気付かない教育をも施されている。

よって、本件のような「いろいろな価値観がある」事実が露呈する機会をチャンスと捉え、何が問題なのか、自分の頭でしっかりと考えてみてほしいと願う。

ハラスメントのように事件化できない価値観の“刷り込み”によって、苦しめられている女性は多勢いる。

情報の誘導に流され、主体性を失った女性は、女性の自立を促される現代社会に取り残される。

若い女性には、「自分は何がしたいのか」「何がほしいのか」「どうなりたいのか」、ビジョンを明確にもち、数多の情報より都度、意志をもって選択し、獲得する主体性を身につけてほしいと考える。

40歳だけどいつまで経っても女子、でもいい。10歳だが、私は大人だと腹を括るのもいい。自分の正解は、自分が決める。それが、精神的な意味での女性の自立である。

最後に、小言で締めたい。つまるところ、前時代的な社会の刷り込みに従順な分だけ、現在進行形の社会認識に疎いのは、同CMを手がけた制作者サイドなのだ。

残念な結果を招いた背景には、配慮不足はもちろんのこと、マーケティング重視の広告屋の方法論が街場ではもはや通用しない事実を物語っているのではないかと想像する。

多様な意見や思想が可視化される現在。集団全体における相対評価ではなく、個人の絶対評価を礎とした教育を受けて来た若い世代が見渡す社会には、思考も趣向性も人生の選択も個々に異なる人々が混在している。

年齢や性別の【型】よりも、【型】に集約されない人間性こそを重視する向きがある風潮の中で、年齢別、性別等のマーケティングデータベースを前提に人間を扱う方法論そのものが、社会の現状およびニーズに適応していないのだ。

先に統計の結果論であるマーケティングデータがあり、“残念バイアス”の王道ドラマツルギーがあり、「20年代前後の女性ターゲット=共感性がトレンド」と書かれた広告代理店のテンプレート企画書があり、後付け的に人物や物語の設定を行う。

こうした後手後手の方法論によって制作された「広告屋の、広告屋による、広告屋のためのCM」は、“世間擦れ”を招く。

女性を応援する大義名分と内実のギャップ構造ともどもお茶の間に流布させたCMが放映中止になる状況は、「女を口説くためのメソッド本」通りのコーディネイト、デートコースを踏襲した結果、「そんな本読んでいるだけでも気持ち悪いのに、実行までしやがった」という理由でふられる男のような見事な墓穴掘りである。

要するに、後だしジャンケンで負けている。そのようなしょうもない状況にいちいち女性を付き合わせるマスメディアにこそ、みなさまが語られる“女”とは、一体誰を差しているのか、今一度自分の頭でじっくり考えることをお薦め申し上げたい。

林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。

以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako's self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。

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