記事提供:サイゾーウーマン

文月悠光さん。

数十年前と比べると「女性だから、この仕事は禁止」「女性に学は必要ない」などと言われる場面は少なくなった現代。しかし、そのような明らかな男女差別とは違う、モヤモヤとした「生きづらさ」を感じたことのある人は多いかもしれません。

特に、女性は社会や男性から求められたことに対し、堂々と反論したり疑問を抱いたりするのを躊躇してしまいがちです。

そんな、日常の小さな疑問や生きづらさをエッセイ『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)として上梓した詩人の文月悠光さんに、女性が抱える「生きづらさ」や詩人としての活動について、お話を聞きました。

■詩もエッセイも、「生きづらさから解放されたい」という思いを出力するのは同じ

――『洗礼ダイアリー』には、とても丁寧な優しい言葉で胸に刺さる文章が綴られていますが、エッセイを書くときと詩を書くときで、何か心がけていることは違うのでしょうか?

文月悠光さん(以下、文月) どちらも「作品と読者が良い形で出会ってほしい」という心がけは一緒ですね。詩の場合だと、読者も現実と切り離して「これは詩の世界の話だ」と思って読んでくれます。

でも、エッセイだと「実体験が書かれている」ということを前提にして読まれる場合が多い。

確かに実体験がベースではあるのですが、私の感じ方や人物の描かれ方も含めて、読み手にどう伝わるのかな?どうしたら話についてきてもらえるかな?と、より試行錯誤して書いていますね。

詩だったら「ここに書かれていることは、私の空想やイメージです」と言えば、受け入れてもらえます。だからこそ自由に表現ができるし、読み手も現実を離れられます。一方エッセイは、実体験を題材にしている分、作品世界が狭まりやすい。

だから生きづらい過去や経験を描きながら、そこからいかに広い世界に読者を連れ出すかという点にこだわりました。

例えば、『洗礼ダイアリー』の中の「自撮り流星群」というエッセイでは、SNS上に大量にアップされる自撮りの写真が、空を流れていく流星群のように見えるという表現をしています。

現実からの飛躍は、本来詩の要素に近いと思うのですが、むしろエッセイを書く際に心がけました。

――詩にあまりなじみのない人も多いと思うのですが、文月さんはどのようにして詩を書かれるのですか?

文月 思いつくままにインスピレーションで書いた言葉が詩になると考える方もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合は、書く前にプロットを作るようにしています。作品のイメージと全体を組み立てた後、実際に書きだします。

詩とエッセイで読者の受け取り方は大きく違うと思うのですが、私にとって出力の仕方は似ている気がしますね。「どこかに飛躍を持たせたい」とか、「生きづらい場所から解き放たれる、その過程を書き出したい」という思いは、詩もエッセイも同じです。

■男女とも、お互いの生きづらさを伝え合わないまま大人になっている

――『洗礼ダイアリー』はネットで連載されたものをまとめたエッセイ集ですが、特に「セックスすれば詩が書けるのか問題」の回はネット上で話題となりましたよね。

男性から「あなたの朗読にはエロスが感じられないね。最近セックスしてる?」とセクハラととれる質問をされたという…。


文月 この件はエッセイとして書く前も、ツイッターやほかのコラムで話題にはしていたのですが、文章の上で深く考察したことはありませんでした。質問に対する衝撃や、「なぜそんなことを聞くのかな」という、やりきれなさの方が先に立ってしまって…。

でも時間を置いてから、「どうして一部の男性たちは無邪気にぶしつけな質問をするのだろう」と思い、第三者の方にも伝わる形で書いてみたら、自分の中でも納得がいくのかなと思いました。

別に、質問してきた相手を攻撃したいとか断罪したいとは思っていません。言ってきた相手に何かをしたいというより、「どうして、こういうセクハラ発言が許容される世界なんだろう」ということにモヤモヤしてしまって。

女性である私が幼少期や思春期に抱いた葛藤を、おそらく男性は男性で別種の生きづらさとして感じているはずです。それなのに、お互いの生きづらさを伝え合わないまま大人になり、いきなり一緒の会社や同じコミュニティに置かれてしまう。

そこで互いへの理解が及ばず、力の不均衡が生まれてしまうのかなと思います。

私はフリーランスなので、普段は1人で作業をすることが多く、性別や年齢による権力差を感じる機会は少ないのですが、会社に日常的に身を置いている女性側からすると、セクハラされても言い返せない場面はありますよね。

私はたまたまエッセイにできる機会があったけれど、言えないままモヤモヤしている人もたくさんいる。書くことで、そういう人が口を開きやすくなってくれたらいいなという思いもありました。

――「セックスをしないと、良い詩が書けない」と言った男性もそうですが、なぜ男性は創作活動をする女性と性愛を絡めたがるのだと思いますか?

文月 作り手に対する幻想と、女性に対する幻想とが混ざっているのだと思います。「書き手や芸術家は、恋愛などの生々しい実体験を創作の糧にしている」というようなイメージは、いまだに根強いんです。

実際は、自分と作品を切り離して作品を作っている人も、たくさんいるのですが…。

そんな書き手に対する幻想もあって、「詩人として突然現れたこの若い女は、どういう恋愛をしているんだろう」という下世話な好奇心が生まれてくるのかなと。

「若い女性は、恋愛や、付き合う男性によって大きく変わるはずだ」という思い込みもあるんでしょうね。

難しいのが、「若い女性という属性を売り物にして活動している以上は、セクハラも引き受けて当然」という声が常にあること。

「こういう生きづらさが嫌です」と私が声を上げると、「でも、それで得してるんだからいいじゃん」という声が返ってくるので、じゃあどうしたらいいんだ…と途方に暮れることがあります。

■容姿を売り物にしたのではない。引き受けるのと、他人から押しつけられるのは違う

――文月さんはアイドルオーディションの「ミスiD 2014」に応募して、アイドル活動もされていましたが、それはなぜですか?

文月 当時、ミスiD 2013で西田藍さんが選ばれた後だったので、文芸やサブカル、オタクっぽい趣味の活動がアイドルの一要素として評価されるのは面白いなと思ったんです。

そんなときオーディションのエントリー募集のツイートがタイムラインに流れてきて、「もしかしたら…」と思ってエントリーしました。

ミスiDって、歌って踊れるアイドルを輩出するわけではなく、個性的な女の子の活動を応援する趣旨の、少し特殊なオーディションじゃないですか。

なのに、詩人がアイドルオーディションに出た、というだけで「容姿を売り物にしたいのか」と叩かれてしまった。

そういう側面は否めないかもしれませんが、当時の自分としては「詩を他ジャンルに広めたい」とか、「アイドルファンの人たちにも詩に興味をもってもらいたい」という思いが強かったんです。

今思うと、大人たちからの期待を引き受けすぎてしまったな、という反省はあります。

しかし、「容姿を売り物にしたいのか」と言ってくる人には反論があります。私はオーディションに出る前から、求めてもいないのに、容姿や年齢について一方的に評価を下されてきました。

「女子高生で詩人である」というだけで2ちゃんねるにスレッドが立って、写りの悪い写真を転載されてブスだと叩かれたり、本名や学校名を晒されたりと、10代の頃から嫌な思いをしてきました。

作品とはまったく関係ない情報で勝手に評価を下されてしまう。もはやこれは自分で引き受けてしまった方が楽だと思って、あえてオーディションに出たという面もあります。

そのように自分から引き受けに行くのと、他人に押しつけられるのは、まったく違うんです。

セクハラめいた質問をしてくる男性への衝撃をエッセイに書いていることと、ミスiDに出ているという経歴が矛盾しているんじゃないかとも、よく言われてしまうのですが、私の中で、そこは矛盾していないんですよ。

どちらも、自分が今まで押しつけられてきた役割や、それに対する息苦しさを、自分から引き受けに行く、提示して捉え直す、というところでは変わらないと思っています。

――ミスiDに出たことで、文月さんの中で何か変わりましたか?

文月 エッセイの中でも書いているのですが、詩を、書き手である自分の立場から売り込んでいくことに、私はどうしても抵抗がありました。

でも、実質的にはミスiDに出たことにより、アイドルファンが詩を知ってくれて、詩集を買って読んでくれた人もたくさんいました。そのことは、すごくうれしかったですね。

あと「面白いな」と感じたことで言えば、取材の扱いが大きく変わりました。それまでは顔が写っていればいいという程度で、記者の人が2~3枚撮って終わりだったのが、アイドルという肩書がついたとたん、カメラマンに100枚近く撮影されるとか。

私の活動自体はほとんど変わらないのに、肩書によって扱われ方が変わったのは、奇妙で面白かったです。

――エッセイを読んだ方の中には、文月さんが書いているような生きづらさに共感している方も多くいると思います。どうすれば、生きづらさから解放されて、楽になるのでしょうか?

月 単純に生きづらさを感じない生活をしたいのなら、鈍感になった方が楽だと思うんです。深く考えずに人から求められる役割をこなしていけば、自分も傷付くことはないし、周りも不快にさせない。

私もその鈍感さに引きずられることはあるのですが、実はそれって誰のためにもならない、という気がします。その場をしのぐことはできても、根本の息苦しさは解消されない。

どうしたら女性が生きやすくなるのか、女性ばかりが頭をひねって考えていますが、男性にも背負ってほしい、というのが本音です。女性が生きやすい社会は、男性も生きやすい社会のはずですから。

限られた「生きやすさ」を、男女で奪い合っているわけではないんです。実際、『洗礼ダイアリー』で描いた「生きづらさ」には、多くの若い男性が共感してくれました。

セクハラのエッセイも「そんなひどいことを言う男性もいるんだなあ」「文月さんの周りにはロクな男性がいないんだね」と他人事のように読む男性が多かったのですが、ご自身の立場からまっすぐに受け止めてもらえたら、私としてはよりうれしいです(笑)。

文月悠光(ふづき・ゆみ)

詩人。1991年北海道生まれ。中学時代から雑誌に詩を投稿し始め、16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年生時に出した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少の18歳で受賞。

今年9月、エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)を刊行。

ウェブマガジン「cakes」でエッセイを連載中。10月末に、第3詩集『わたしたちの猫』をナナロク社より刊行予定。

NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、書評の執筆など、幅広く活動している。

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