記事提供:日刊サイゾー

“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。

2016年10月20日は、「ポケモンカードゲーム」20周年だ。エネルギーリムーブ20周年だ。突風20周年だ。にせオーキド博士20周年だ。

ポケモンではなく、「ポケモンカードゲーム」。その名の通り、全世界で大人気の『ポケモン』を題材にしたカードゲームで、ポケモン本体に負けず劣らず、20年間、世界中で人気を集める一大コンテンツだ。

「子どものカードゲームでしょ?」と侮ることなかれ。子どもから大人まで楽しめる、っていうか、もう大人のほうが夢中でやっているカードゲームだ。

そのポケモンカードゲームが生誕20年!それを記念して、初代「ポケモンカード」の復刻リメイクも発売された。

僕、タカハシヒョウリは、まさにポケモン・ド直撃世代で、20年前に最初の初代『ポケットモンスター赤・緑』(96年)が発売された時、小学3年生だった。

その時の衝撃は忘れられないのう…と、古参ぶりたいんだけど、実はポケモン発売直後は、ほとんど話題にならなかったと記憶している。

それもそのはず、ポケモンの最初の出荷数はそれほど多くなく、ほとんどのゲーム雑誌でもスルーされていた。

なぜなら、ポケモンの「通信して友達と交換・対戦できる」という魅力がこんなにも子どもの人気を集めると、発売前に予想できたメディアがほとんどなかったからだ(「ファミ通」のゲームレビューでは、パッとしない点数を付けられていた)。

そもそもゲーム機「GAME BOY」自体が、この時点ですでに発売7年目を迎える、現役引退寸前のシニアクラスの老体だった(のちにポケモンの大ヒットで新たな可能性を見いだされ、大復活を遂げる)。

そんな状態だったポケモンが、社会現象になるほどの大ブームを巻き起こすまでにはしばらくの助走期間が必要で、発売してからポツポツと「めちゃめちゃ面白いゲームがある」という口コミが、子どもたちの間で広がり始めていた。

こうして草の根的にジワジワと人気が過熱していき、数カ月後には爆発。小学生男子にとって「持ってないヤツは、クラスの話題についていけない」という、必殺マストアイテム的な存在となっていった。

僕も「みんながやっている」という理由で、ゲームショップに走った記憶がある。そして、例に漏れず、超ハマった。

学校が終われば対戦、交換(通信ケーブルを持っているヤツが神になった数カ月だった。僕は持ってなかったなあ)、家に帰っても友人どもを出し抜くためにポケモン育成。日本中で、単三電池が大量に消費されていった。

流行がピークに達した夏頃、「ポケモンカードゲーム」というものが近々発売されるらしいという情報が、当時のガキのバイブル「コロコロコミック」(小学館)に掲載された。

「ポケモンのものなら、ふりかけでも欲しい」というくらい、すでにポケモン漬けの毎日を送っていた僕は、その小さな記事にくぎづけになり、5分おきに読み返しては「ポケモンカードゲーム」という存在に思いをはせた。

ポケモンが画面を飛び出し、自分の手の中にカードとしてやってきて、友達と対戦できる――。はたして、どんなに楽しいんだろう?

そして忘れもしない、「コロコロコミック」(小学館)96年11月号。

ポケモンカードゲーム発売の少し前に書店に並んだこの号は、ポケモンの『青』という新バージョンを同誌限定で通販するという一大企画の受け付けを開始した号で、日本中のポケモンキッズが手に取った。

ここに付録として、ポケモンカードが2枚付いてきた。

台紙に裏向きで貼り付けられていて、それをペリペリとはがすと「ピカチュウ」と「プリン」の3DCGの絵柄が姿を現す。ピカチュウとプリンは、当時のアンケート人気投票で1位、2位だった大スターポケモン様だ。

その2体のポケモンがカードになって、いま僕の手の中にある。この感覚は、想像を越えるものだった。いま見ると、ちょっとしょぼいCGも、当時は恐ろしく美麗に感じた。

発売までの5日間、僕はそのカードを使って特訓(イメージトレーニング)にいそしんだ。もちろん、全部で60枚のカードが必要なゲームなので、手元にある2枚だけでは圧倒的に数が足りなすぎるのだが、それでもイメトレせずにはいられなかった。

さまざまなシチュエーションで、いろいろな対戦相手と戦うことを妄想した。イメトレ以外の時間は、コロコロの記事を穴が開くほど見る。来るべき戦いに備えて、知識も必要だからだ。

その記事の背景には、豆粒くらいの大きさで、さまざまなカードがズラリと並んでいた。それを見て「この絵柄はあのポケモンに違いない…」などと推理したり、脳内でイメトレする。文武両道とはこのことだ。

そして、ついにやってきた発売日。

前夜は、なかなか寝つけなかった。目をつむると、まだ見ぬ無数のポケモンカードたちがズラーッと目の前に現れる。ミュウツーも、リザードンも、ニドキングもいる…。

あぁ、みんなすぐに会えるからね――。

やっと寝付いたあとの夢の中でも、おそらくひたすらカードを愛でていただろう。

翌日、玩具店の開店時間に町へ繰り出した少年タカハシは、衝撃を受けた。

「ぜんぜん売ってねぇ…」

そうなのだ。実は、ポケモンカードゲームは発売時、ほとんど無視された存在だった。

ポケモンカードゲームを開発したクリーチャーズは、製造元の任天堂にも「任天堂ブランド」で発売することを拒否され、やっと見つかった新参の会社・メディアファクトリーからの発売にこぎ着けたものの、大手の流通からも取り扱いを拒否されていた(この辺の詳しい話は、日経BP社の『ポケモンストーリー』を読もう!)。

なんとか流通を見つけて発売にたどり着いたわけだが、ほとんどのお店に満足に商品が並ばない、という不遇のスタートを切った。

ポケモンカードは、完全に「鬼子」だったのだ。

その要因となる背景には、まだ日本でトレーディングカードゲームという文化が根付いていなかったことが挙げられる。

実はこの手の、プレイヤーそれぞれがカードを集めて持ち寄り対戦する「トレーディングカードゲーム」が誕生したのは90年代に入ってからだ。

93年にアメリカで誕生した「マジック:ザ・ギャザリング」という対戦型のカードゲームが大流行してから、さまざまな亜種が登場するようになっていたが、96年当時、まだ日本では市民権が得られていなかった。

そんな「マイナー」で「難しい」ゲームは「子どもにはわからないから、はやらない」というのが、当時の業界の大多数の意見だったのだ。

その後、ポケモンカードゲームが子どもたちに1年で約2億枚、2年目は5億枚以上を売り上げたことを考えると、このときの大人たちの思い込みは間違いだったとわかる。

いつでも大人は子どもを侮ってしまう。閑話休題。

とにかく、どこにも売ってないポケモンカードゲームを求めて、タカハシ少年は自転車で走り回った。

最後の望みをかけ、自転車を飛ばして、やってきたのが隣町のイトーヨーカドー。そこでついに、ポケモンカードゲーム「スターターパック」と邂逅したのだ。

ゲームに必要なカード60枚(キラキラのカードは1枚)と、「ラッキー」というポケモンが彫刻されたコインがセットになり、紙製のケースに入って1,300円。税抜き。子どもにとっては、決して安い値段ではない。

それでも、夢にまで見たそのカードは、お年玉を積んでも惜しくないほど価値のあるものに見えた。

僕は数カ月間、夢に見ていたポケモンカードゲームを、ついに手に入れたのだ!(大人になって知ったのは、ポケモンカードゲームを流通させたのは、イトーヨーカドーに太いラインを持つ流通会社・スターコーポレーションだったのだ。

いま思えば、ほかのところで売っていなかったポケモンカードが、イトーヨーカドーにはいつもあったのには、ちゃんと理由があったのだ。面白いね、大人になるって!)

初めて買ったケースから出たキラカードは「ミュウツー」だ!最強のポケモンとして、子どもたちのスーパーヒーローというか、畏敬の念を集める魔王的存在になっていたミュウツーだ。

手が震えた。

実はこのミュウツー、いわゆる「最強のポケモン」なのに、カードゲームでは何が起きたんだ?っていうくらいクソ弱い。

しかし、初めて手にした僕はそんなことを知る由もなく、「最強ポケモン」のカードを引いた自分に運命的な何かを感じて悦に浸っていたのだった。

家に帰り、嫌がる兄をつかまえ、父をつかまえ、カードを半分ずつに分けて(本当はこんな遊び方はない)無理やりゲームの相手をさせた。

やっぱりイメージ通り、ポケモンカードゲームは超楽しい!

意気揚々と登校した翌日、タカハシ少年を新たな衝撃が襲った。

「誰もやってねえ…」

そうなのだ。ポケモンカードを心待ちにして、町中探し回っているようなヤツは自分以外に誰もいなかったのだ。

やばい、このままだと家族内だけでプレイする「お正月の花札」みたいな、ものすごく小規模のゲームになってしまう。そんなのは、僕のイメージしたワールドワイド(学校内)なポケモンカードゲームじゃない!

そこで僕は、ポケモンカード啓蒙活動を開始した。

「ポケモンカード知ってる?」「こんなに面白いよ」「まずはスターターを1つ買うだけ」と、押し売りかネズミ講ばりの詐欺師口調でポケモンカードを啓蒙して回った。

すると、そこで1人のクラスメイトが、ポケモンカードに興味を持ってくれた。彼(仮にシゲル君としよう)とは、もともとはそこまで親しくなかったが、彼がポケモンカードを買って2人で対戦や交換をしてハマり込んでいくうちに、どんどん親しくなった。

ポケモンカードも少しずつはやりだし、どんどん売り上げを伸ばして、品薄になるほどの人気を集めた。

ポケモンカードゲームが最初はそんなにはやっていなかった証しに、初代のカード(右下にレアリティマークがない)は意外に数が少なく、今ではプレミア価格がついていたりする。

その後もカードは第2弾、第3弾と発売され、全151種類がカードとして出そろい、ポケモンのゲームやアニメと一緒に、日本中で大ブームを巻き起こしていた。

人気を呼んだのは、社会現象になるほどの本家ポケモンやアニメの影響もあると思うが、何よりも丁寧にこだわって作られたカードゲームが、戦略に富んだ真に「面白いカードゲーム」だと、少しずつ子どもたちに理解されていったからだろう。

その頃には、僕とシゲル君の2人は対戦を重ねすぎてかなり強くなっていたので、後から参入してくる友人たちとはちょっと次元が違うバトルを繰り広げていた。少年漫画的にいうなら、まさに「友」と書いてライバルだ。

毎日、放課後は友人たちとカードで対戦する毎日で、新シリーズが出ては買い、親にねだってイベントに出かけ、あっという間に1年近くが過ぎた。

そして97年冬、第4弾が発売された頃だったと思う。僕は相変わらず、ポケモンカードに夢中だったが、ある時からシゲル君とあまり遊ばなくなった。

別にケンカしたとかいうわけではなかったのだが、なんだかシゲル君の付き合いが悪くなったようだった。シゲルくんは人が変わって社交性を失ったように見えて、僕は子ども心に、何か腑に落ちないものを感じていた。対戦する機会も激減した。

ライバルを失ったこともあってか、僕自身も少しずつポケモンカードの熱が別のところに移っていって、次第にポケモンカードを追いかけなくなっていった。

ポケモンカードに夢中になったのは、ちょうど1年間くらいだっただろうか?

あれから20年。大人になった今、僕はポケモンカードの原稿を書いている。思い出話だけをしているわけじゃない。実は20年目の今年、僕はポケモンカードに復帰したのだ。

きっかけは、2月に発売された20周年復刻スターターだ。あの日、自転車を飛ばしてイトーヨーカドーで買ったのと同じパッケージで発売された復刻スターターを買ってから、またハマってしまった。

あの頃のようにパックを開けては一喜一憂し、友達(やってる人は2人しかいないけど)と、たまに対戦をしている。

20年ぶりのポケモンカードは、相変わらず興味深くて、戦略的な、面白いゲームだ。9月には、20年前の第1弾のイラストそのままの復刻ブースターも出た。

かつてのカードはもう使えないけど、この同じ絵柄の復刻カードは、今のゲーム環境でも使えるように作られている。

懐かしさにほだされて、ポケモンカードに久々に触れてみるのに、こんなに最高のタイミングはない!

一緒にやろうよ、ポケモンカード!

そうそう、最後に、シゲルくんの話だ。

大学生になったころ、母親が地域のボランティア委員会みたいなものに入っていて、シゲルくんの家を訪ねたことがあった。シゲルくんが家族に対して暴力を振るう、というので母親のところに相談が来ていたのだ。

シゲルくんはあれから私立の高校に進学したがすぐに退学し、いくつかの高校に入っては辞めるを繰り返し、3度目の高校生を迎えていた。

その原因を、帰宅した母親はこんなふうに聞かせてくれた。

「シゲルくんの小学6年生の誕生日の前日に、お母さんが家を出て行ったんだって。それから少しずつ荒れていったみたい」

あぁ、あの時だ。

僕たちがポケモンカードで遊ばなくなった、あの時だ。

シゲルくんにとって、ポケモンカードに夢中だった1年間は、いい思い出だろうか?それとも、思い出したくない季節なんだろうか?

大人になった今、彼の中で折り合いがついているのなら、ポケモンカードの話がしたい。

・タカハシ・ヒョウリ

“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。

HP

ブログ

Twitter

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス