第65代元横綱、貴乃花親方と、元フジテレビアナウンサーの花田景子さんご夫妻の長男・花田優一さん(21歳)が、10月10日放送の「明石家さんまの転職DE天職 3時間SP」(日本テレビ系)に出演されました。

ご両親のいいとこ取りで甘いマスクに甘~い声。父親譲りのイケメンだと話題に。しかも、ただのイケメン2世だけではありませんでした。その職業が意外にも・・・。

甘いマスクに甘い声。イケメン過ぎる2世

生まれた時から周囲の期待が大きかった

優一さんは、1995年9月27日生まれの21歳。景子さんと貴乃花親方が婚約発表をしたのが1995年ですが、この時すでに妊娠6ヶ月でした。優一さんの祖父にあたる元大関、初代・貴ノ花という角界名門の長男として誕生しました。

生まれた時から2世としての周囲の期待は大きかったようです。しかし、角界へは入らず、優一さんは靴職人として独立していました。

高校時代はバスケット。大学には進学しなかった

優一さんは、難関のお受験を突破。角界ご用達の私立の名門幼稚園に入園し、幼稚園から大学までの一貫校に通学しました。

しかし、15歳でアメリカ留学し、18歳で靴職人への道を志しました。そしてイタリアのフィレンツェに靴職人の修行に。

子どもを力士にして苦労させたくない

貴乃花親方のおかみさんである母・景子さんは、ほんの小さな心遣いも欠かさず、パーティーの挨拶も完ぺきにこなす角界でも評判の才女として知られています。

幼稚園から大学までの一貫校を選び、合格に導いたのも景子さんでした。そんな母・景子さんが、優一さんが大学進学をせず、15歳で海外留学を許したことに後援会関係者も驚いていたようです。

しかし、貴乃花親方も景子さんも、力士の辛苦を味わってきたことから、優一さんが誕生した直後から「子どもを力士にして苦労させたくない」、と話していたようです。

学歴なんて意味ない

「優一さんの靴職人になるという気持ちを聞いたとき、景子さんとしても、“親方も中学を出ただけで角界に飛び込んで苦労を重ねて横綱になった。狭い日本で学歴にこだわるより、若いうちから海外に出て手に職を持つほうが今の時代に合っている。学歴なんて意味ない。サヨナラね”と長男を後押ししたようです。決断力のある彼女らしい、先を読んだ“チィママ子育て”です」(知人)

出典 http://www.news-postseven.com

一時はお受験ママと呼ばれていた景子さんも、角界のおかみさんとなり、価値観が変わったようです。「学歴なんて意味ない」、と優一さんの背中を押したとは。力強い母の存在があってこそ、優一さんの今の姿があるのではないでしょうか。

靴職人を選んだのは?

ネットで話題になり、10月12日放送の「ノンストップ」(フジテレビ系)にも優一さんは出演され、靴職人の道を選んだ理由についてインタヴューに答えていました。

優一さんが生まれた時は、「将来は若花の長男とイトコ同士の夢も...」、などスポーツ紙に大々的に掲載され話題に。物心ついた時には、優一さんも周囲の期待を肌で感じていたといいます。

2世誕生に角界入りを期待されましたが、なぜ10代の若さで靴職人を自ら選んだのでしょうか。

相撲の中での1番は、父しかいない

「角界にわざわざ入ろうとは思わなかったですね。相撲の中でも1番になろうとは思わなかった。自分の中では息子なので、1番は父しかいない。父が1番でそれでいい」

出典「ノンストップ」(フジテレビ系)10月12日放送

優一さんは、物心ついた小学校1年生の頃、ある職業に憧れを抱いたようです。

父の引退後、家族ではじめてフィレンツェへ

「スーツの職人さんやピザ職人さんもいますし、色々な職人さんがいた。ただカッコいいというか、小さい少年の憧れといいますか」

出典「ノンストップ」(フジテレビ系)10月12日放送

優一さんは、7歳の少年の頃、フィレンツェで職人の仕事風景に魅了され、憧れを抱いたといいます。

2010年の雑誌インタヴューで、父・貴乃花親方が優一さんをフィレンツェに連れて行った目的を語っています。

「ひとつの道に打ち込む職人が街のいたるところにいる。職人の姿勢を見せることが、子どもたちの財産になるんじゃないかと考えた」

「好きなことをやりなさい。だけど、ひとつの道をあきらめるな」、と息子に語ったといいます。

どこの世界に行っても1番になる

「どの世界に行っても1番にならなければならないということを思っていました」

出典「ノンストップ」(フジテレビ系)10月12日放送

横綱時代に、怪我をしても一切無言で土俵に立った父の背中を見ながら育った優一さんは、「ひとつの道を諦めるな」、という信念を父から学んだそうです。

15歳で語学を学びにアメリカ留学

祖父も父も15歳で角界入りしていたため、自分もそういう選択をすることは覚悟をしていたようです。

それから3年。18歳の時、靴職人の道を選びました。

靴職人への道

優一さんが修行の場を選んだのは、子どもの頃、はじめて家族で旅行に行ったフィレンツェでした。

「なぜ、靴職人になろうと思ったの?、と聞かれるんですが、恋人に惚れるような感覚で。なんで好きになったの?、と聞かれて答えられないから好きだ!、みたいな」

出典「ノンストップ」(フジテレビ系)10月12日放送

3年間の修行を終え、昨年帰国

店舗は持たず、借りている工房で完全オーダーメイドの靴を作っています。革の仕入れから寸法・デザインまですべてひとりでこなします。

「自分にしか作れないものを作っている自負はある」、と優一さん。
両親は開業の手助けをしてくれた?、との質問に、「ぜんぶ自分でやりました」、と答えていました。

「両親に覚悟を見せるのが筋だと思っている。口数は少ないが、仕事を舐めるな、と言われたので」

出典「ノンストップ」(フジテレビ系)10月12日放送

「言葉より態度で示す」父の姿を見ながら育った優一さんは、父には決して甘えを求めなかったようです。

孫まで履いてみせる!

自分用、孫まで履いてみせる。孫まで履いたら戸棚にでも飾ってクレーーーーイタリアいる頃作った。

出典 https://www.instagram.com

デザイン・縫製といいしっかりとした靴ですね。まさに孫子の代まで履けそうです。

ひとつの道を諦めるな

物心ついた時から周囲の期待にプレッシャーを感じていた優一さん。相撲の世界では父を超えることはできない、と確信していたようです。

多忙な父が引退してから、はじめて家族旅行に行ったイタリア・フィレンツェ。7歳の優一さんが、職人に魅了されていたとは驚きですね。

「決めたことはやり通せ。ひとつの道を諦めるな」、という父の言葉に威厳を感じます。親の七光りで2世タレントが多い中、親の援助は一切受けず、すべて自力で開業した優一さんに心底脱帽です。

この記事を書いたユーザー

cocon☆hanna このユーザーの他の記事を見る

キャリアカウンセラーの道を目指し、資格取得後オンラインカウンセラーとしてデヴュー。WEBライターとして活動をはじめ7年になります。人に「読まれる・読ませる」ライターを目指しています☆

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス