記事提供:CIRCL

世の中にはむごい「宣告」がある。「あなたの命は長くてもあと3カ月です」。ある日突然、医師からこんな言葉をかけられたら、あなたはどうするだろう?

余命宣告を受けたあとからブログ開始

この言葉はむごい宣告の代表格で、「余命宣告」と呼ばれる。これからご紹介する「久美子ママ」は、2013年2月に大腸がんで余命2~3カ月との宣告を受けた。そのとき彼女はまだ49歳。普通の人なら生きる希望を失い、精神的に立ち直れないだろう。

しかし彼女は違った。末期がんの患者さんたちが残りの年月を過ごす大阪市内のホスピスに入院。その後、闘病生活の励みにと、息子さんからプレゼントされたタブレット端末を使い、病床からがんと向き合う日々をブログにつづって発信し始めたのだ。

末期がんとの闘病のつらさをユーモアに包んで発信

ブログのタイトルは「私はまだまだ生きられる 余命宣告の期日を過ぎてからの毎日をつづります」。ブログで彼女は自身を「久美子ママ」と呼び、「末期患者だって生きていてもいいんだぞー」などと、末期がんとの闘病のつらさをユーモアに包んで元気を発信し続けた。

アクセス1日平均5000件、1万件を超えの日も。ブログ発信が支えた命

素直で率直な内容が共感を呼び、ブログのアクセスは1日平均5000件。1万件を超えた日もあった。当時、一般個人が書くブログとしては異例のPV(閲覧回数)の多さを誇り、コメント欄には励ましのコメントが相次いで寄せられるようになった。

久美子ママのサポーター「女子会」も結成!

また、久美子ママをサポートしたいという女性たちによる「女子会」も自然発生的に結成され、なかには久美子ママを見守る活動をイラストに描いた女子会メンバーもいた。

上記は、実際に女子会メンバーが贈ったイラストである。天国から迎えにきた天使を女子会メンバーらがスクラムを組んで通せんぼをするという図柄だ。

ブログが話題を呼び、マスメディアでも報道

久美子ママのブログ発信は、「余命」とされた「2~3カ月」を過ぎても続いた。その活躍ぶりが新聞に取り上げられ、大阪のテレビ局によるニュース番組でも紹介されたほどだった。

2013年春、テレビ放映当日。病室で、久美子ママは家族や看護スタッフと一緒にテレビ画面に見入った。満足そうなほほえみを浮かべながら…。

久美子ママ「ブログが私の抗がん剤」

彼女の「余命」が尽きたのは、その数日後だった。筆者は生前、久美子ママに取材でお会いしている。生前、取材時に、告知されていた「余命」をすでに過ぎていることについて聞くと「ブログが私の抗がん剤」と笑顔で話していたのが印象的だった。

告知された「余命」をすぎてからも久美子ママのブログが続いていることは、筆者にとって大きな喜びだった。「余命」を過ぎても彼女の生命のともしびが消えないことを、ホスピスの医師に聞いたことがある。医師はこう言った。

ブログを続けたいという彼女の思いが命を支えているのでしょう、それと、多くの人たちに支えられているという事実が生きがいにつながり、命を永らえさせているのではないでしょうか」。

やはりブログが彼女の余命を延ばしていたということだろう。その「命のブログ」は、久美子ママ亡き今も生き続けている。親戚の女性が引き継いで、久美子ママの志を世に発信しているのだ。

筆者は今も時折ブログをのぞいているが、久美子ママが今にもにこやかに語りかけてくるような気がしてならない。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス