記事提供:小島慶子オフィシャルブログ

明らかに間に合わない、締め切りに向けて執筆中、ちと行き詰まって、コメント欄を読んでみました。有難うございます。

たとえ仮名であっても、自分のことを書くのは、とても勇気がいることでしょう。

えいっ、ってタップしてからも、読み直して不安になったり、誰かになんか言われるかな?なんて怖くなることもあるかもしれない。

仕事で慣れてるはずの私だって、怖いですよ。

だから、書いてくれて有難うございます。どんなことでも。

今まで頂いた、メールやお手紙や、ネット上のコメント。どれを読む時も思います。なぜこれを、私に話してくれるのだろう?

26歳のとき、初めて持ったラジオの生放送のレギュラー番組で、あなたは伴侶を亡くした時の覚悟ができていますか?というテーマに対して、ある熟年男性が電話をくれました。

私は昨年、妻を亡くしました。何一つ家のことを顧みず、ただ仕事一筋でしたので、妻との思い出もほとんどありません。

だけど、毎日食べていた料理の味は覚えていました。だからある日、台所に立ち、初めて包丁を持って、一から料理を始めました。

試行錯誤で1年経って、先日息子が、父さん、これ母さんの味だねと言いました。

その時私は、ようやく妻に会えた気がしました。妻の死を受け入れることが、できたように感じました。そしてこの先をどう生きるかと、やっと前を向くことができました。

仕事一筋でしたので、地元に知り合いもいません。これからは、一から新しい人間関係を作って、生きていこうと思います。

出典 http://ameblo.jp

悔やんでいる気持ちも、やり場のない思いも、伝わってきました。それを誰かに、話したかったのだということも。

なぜ知らないおじさんが、私に話してくれたのだろう、26歳の世間知らずの私に、何十万人もの人が聴いているラジオの生放送で、そんな個人的な話をしてくれたのだろう。

私も、会ったことも、たぶん会うこともない人たちに、ずいぶんいろんなことを話したり書いたりしてきました。

その距離だから届くことがあるんですね。近すぎないから言えることってあると思います。

私が最初の子供を産んで、育児の不安で、押しつぶされそうになっていたとき、子供が満1ヶ月になり、産後初めて散歩しながら、不安で不安で泣きそうだったときに、通りすがりの女性が、

あら赤ちゃん、可愛いわね。今は大変でしょう。でも大丈夫よ。だんだん楽になるからねー、と言って去って行きました。

たぶんコンビニに行く途中に、たまたま赤ちゃんがいたから、ちょっと声をかけてくれだけだと思います。

でも私は、その言葉に救われました。名前も知らないし顔も覚えていないけど、今でも命の恩人です。

そんなつもりでない言葉が、誰かの支えになったり、なんのつながりもない人に打ち明け話をしてしまったり。私たちは、そういう距離で綱を投げ合うことが、あるんですね。

人を世界につなぎとめる、舫(もやい)の言葉は、案外、その辺に落ちてます。自分が知らぬ間にそれを、投げたり、受け止めたりしていることがあるんですね。

その距離だから、ひどいことも言えるし、その距離だから、あたたかい話もできる。

名前のない、誰でもない私になったとき、人はそのどちらの言葉も、吐き出したい欲望に駆られるのだと思います。

罵詈雑言か、共感の言葉か、借り物の正論か、矛盾だらけの体験談か自分のことを書くのは、とても勇気のいることです。

だからつい、攻撃することで身を守ったり、見栄を張ったりしてしまうことも、あるでしょう。

でもそれよりはるかに、強い力で人の心を打つのは、率直に語られた、その人だけの体験です。

たとえ小さなことでも、平凡に見えることでも、その人がその人の身体をもって、経験したことは、誰にも奪えません。

だから、ほんとに思ったことは、書いたり言ったりしたほうがいいですね。

どんな大金もちも、権力者も、物知りも、私がこの身体で感じたことを、私以上には知りえないと、自信を持っていいのだと思います。

そうだそうだ。よし私もまた今から、原稿の続きを書くぞ。

それではみなさま、良い朝を!またのちほどー。

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