記事提供:まだ東京で消耗してるの?

ちょっと良くないと思うんですよねぇ。

「置かれた場所で咲きなさい」?

有名な本ですよね。

一時期書店にズラッと並んでいて、会社をやめたぼくは「いやいや、ねーよ」と心のなかでツッコミを入れたわけです。

こういうアドバイスがある程度効くのも事実なんですが、メールに寄せられる切実なコメントなんかを見ると、もう時代が変わっているのは明らかです。バブルの時代なら、置かれた場所で頑張ればよかったんでしょうけれど…。

実際、「ブラック企業で毎日残業つづきで、うつ病になりかけてます」なんて人に「置かれた場所で咲きなさい」なんて言えないじゃないですか。本当に死んでしまいますよ。まったく笑えない。

「置かれた場所で咲きなさい」というのは、かなりの度合いで「恵まれた」人にしか「言ってはいけない」言葉です。

弱った人、追い詰められた人にとっては、死に追いやられる可能性のある言葉です。

恵まれた者の責任逃れ

少しうがった言い方をすると、これは「責任逃れ」でもあります。

たとえば、「ブラック企業でうつ病になり、生活に困窮した結果、ホームレスになってしまった若者」に、「置かれた場所で咲きなさい」と言ったって、彼・彼女は多分救われないですよね。

これ、ほとんど「お前の自己責任だ、死ね」と同義じゃないですか。

ちゃんと社会としてすくい上げないと、路上からの脱出もままなりません。置かれた場所から、ぼくらの手で引っ張り上げるべきなんです。

無論、本書がそういう「責任逃れ」の書物だ!と批判しているわけではありませんよ。でも、この言葉は、そういう文脈でも読めてしまうくらい、怖いものなんです。

自分で納得して「置かれた場所で“私”は咲こうと思う」と決意するだけなら無害です。

が、ひとたび他人に対して「お前は、置かれた場所で咲く努力をしろ!」と偉そうに説教するようになると、大きな害悪になります。

実際、大企業のおっさんとか、ブラック企業の社員とか好きそうじゃないですか、この言葉。おー、いやだいやだ。

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むしろ、置かれた場所からさっさと逃げろ

というわけで、ぼくは真逆のメッセージを伝えたいのです。

置かれた場所が嫌で危険なら、あなたと周りの人のためにも、さっさと逃げ出すべきです。

厳しくいえば、「置かれた」という受け身表現を使っている時点で、あなたは人生の当事者にはなれません。あなたの人生は、あなたが決めるんですよ。

「置かれた」ではなく、「自分で自分の身を置いた」という能動的な表現を使うべきです。あなたには、選択権があるんです。戦時中じゃあるまいし、自分の生き方は自分で選びましょう。選べるんですから。

ぼくはここ高知県に、自分の身を置きました。そして、毎日楽しく暮らしています。

東京は「置かれた」場所だったので、やっぱり面白くなかったんですよねぇ。大学と会社が東京にあったから、盲目的にそこに住んでいただけで。

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とまぁ、本書を敵視しているわけではないのですが、ちょっと怖いメッセージだと思ったので、ウェブの世界に補足を残しておきました。

いいんですよ、「置かれた」場所で咲かなくて。

あなたが咲き誇れる場所は、別の場所にもありますから。自分で選択して、いい花を咲かせてください。

高知の山奥はいいところなので、一度遊びに来てください。弱ったみなさん、大歓迎ですよ。

他の環境でも生きていけることを知れば、辛い毎日も幾分は生きのびやすくなります。

うつ病になる前に、死ぬ前に、どうか逃げてください。

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