「X JAPAN」のリーダー、YOSHIKIさんが、来年1月に2日連続でのカーネギーホールコンサートを発表。ピアニストとして東京フィルハーモニックオーケストラと共演する。

先月行われた日本政府による「訪日観光セミナー」に出席したYOSHIKIさんに、イベント後、お時間をとっていただく。一昨年のマディソン・スクエア・ガーデンのこと。今は亡き、HIDEさんのこと。そして、カーネギーホールに向けての心境を伺った。

(聞き手・高橋克明)

ステージに向かう瞬間は「芸術」。音楽が「職業」になったらやめてもいい

朝から何社も立て続けに取材を受けていらっしゃいます。かなりお疲れじゃないですか。

YOSHIKI 全然、大丈夫ですよ。(ニッコリ)

YOSHIKIさんクラスの大物で、ここまで全てのメディアに対応される方は非常に珍しいのですが、どうして…全て受けちゃうんでしょ。(笑)

YOSHIKI (笑)。取材をしていただけるということは、こちらも感謝しないといけないので。僕らはやっぱり、ファンの皆さんがいなければ存在自体してないわけで。その間をつないでくれるのがメディアの方たちですから。

その姿勢はインディーズ時代からですか。

YOSHIKI もともとファンと接するのは好きだったんですけれど、HIDEがいたころは彼がそういうポジションでいてくれたんですね。

HIDEが生きてる時に、いつも僕に言ってたのは「自分がXというバンドとファンのつなぎ役になるから、YOSHIKIは突っ走ってくれ」と。「ファンとの間には自分が入るから、YOSHIKIは思うように好き勝手暴れてくれたらいいから」って。

いつも言ってくれてましたねー。それはすごくありがたくて。

HIDEさんの「ファン思い」は有名でした。

YOSHIKI うん。彼はいつも、まずはファンの気持ちになって考えていて。例えば、解散やスキャンダルを報道された時も、ファンに対して「こういうことをやったらいいんじゃないか」とかよく言ってましたね。

その分、僕は本当に好き勝手やれていたと思うんです。好き勝手やって壁をぶち壊す僕を、彼がバックアップしてくれて。それで成り立ってるバンドだったと思うんです、Xって。

そういった意味でもHIDEさんの存在は大きかったですね。

YOSHIKI 大きいどころじゃないですね。(生前)彼に「YOSHIKIと会って人生が変わった」って言われましたけど、全く同じことを僕は彼に言いたかったし…(しばらく沈黙)…。うん、HIDEがいる時は安心してた。とてもプロデュース能力を持ってる人だったので。

やっぱり、彼がいなくなって、僕もどうしていいか分かんない時期もあったんですけれど……。

はい。

YOSHIKI ……彼がいなくなって、僕がその役を今(やっている)。でも、ファンの方に接していると、逆に勇気をもらえることが多いですね。それにも気付かされました。

ファンと言えば、昨日(訪日観光セミナーと映画のプレミア試写会で)カーネギーホールコンサートを発表した際の、客席からのあの歓声はステージ上にも届きましたか。

YOSHIKI びっくりしました(笑)。あれだけのリアクションをもらえるのかって。記者会見は今までも数こなしてきてるんですけど、(例えば)日本で「東京ドームコンサートをやります」って発表しても、

あそこまで「ううぉおおぉ!!」みたいなことにはならないと思うんですよね。(期待が)すごく伝わってきたというか。

東京ドームの方がキャパシティーはずっと大きいにもかかわらず。アジアやヨーロッパでも、もっと大きなホールで成功してきましたが。


YOSHIKI キャパシティーの問題じゃないですね。あそこには…やっぱり、何かあるんでしょうね。あそこだけが持つ、何か、というか。そういう伝統的な場所って、そこだけで見ることができるマジックみたいなものがあって、神秘性を感じますよね。

一昨年のマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)の時、しかりですね。

YOSHIKI マディソン・スクエア・ガーデンは…。あの時の、あの時間って、ある意味、神懸かってた気がするんですよ。

はい。

YOSHIKI あの時の空気というか、お客さんも含めて、全体的な雰囲気が。

間違いなく、特別な空間でした。

YOSHIKI やっぱり、そういう伝統的な場所って、うまくかみ合えば、異次元の空間を作り出せるんだなってあらためて思いましたねー。

カーネギー(ホール)は、そのマディソン・スクエア・ガーデンとも、また違った感覚でしょうか。

YOSHIKI 今でも「ロックミュージシャンで人気があるから(カーネギーで)できるんでしょ」って思う人もいると思うんです。

(天皇)陛下の前で演奏されたYOSHIKIさんに、そう思う人は、もう、今、いないと思います。(笑)

YOSHIKI でも、クラシック(業界)だけは、そう見られたりするのかなーって考えたりもするんですね。でも、僕はもともとクラシックから(音楽に)入ったという、ある種のプライドみたいなものもあるので。

なんていうのかな、ロックミュージシャンがたまたまそのホールでやるっていうのじゃなくて、本当の意味でやる、そういう風に、今から持っていこうと思ってるんですけれど。

クラシックとロックの違いもありますが、X JAPANとしてメンバーと一緒にステージに立つ時と、一人のピアニストとして次回カーネギーに立つ時と、気持ちの上で違いはありますか。

YOSHIKI ステージに向かう時は、それがどのステージであれ、僕は毎回、毎回「芸術」だと思ってるので、その瞬間、瞬間の気持ちは同じですね。

もちろんX JAPANの時は、メンバーそれぞれが、刺激し合ったり、駆け引きし合ったり、それはそれで面白いんですけれど、今回のカーネギーも、ソロとはいえ、オーケストラの方々と一緒に作り上げていくものなので…。

うん、やっぱり一緒かもしれないですね。

なるほど。

YOSHIKI コンサートって、その瞬間、瞬間を奏でるものなので。例えばレコーディングだと、やり直しがあって、もう1回やってみようかって、数十テイクをとったりするわけじゃないですか。でもコンサートは「その瞬間」を伝えなきゃいけない。

その分、アクシデントもあるかもしれないです。

YOSHIKI ただ、最近思ってるのは、もちろん間違いだらけじゃいけないけれど、ある程度のアクセントを求めて、それすら芸術に変えられるくらいの力量を持っていなきゃいけないんじゃないかなって思います。

カーネギーホールに足を運ぶ観客に何を伝えたいでしょう。

YOSHIKI これはカーネギーにかかわらず、なんですけど。何かを変えたいと僕はいつも思ってるんですね。

例えば、今、「YOSHIKIMONO(ヨシキモノ)」という着物(のデザイン)もやってるんですが、今回、革新的作品で今年の東京ファッションウイークのオープニングを飾るんですね。

去年はフィナーレをやらせていただいて、むちゃくちゃ崩した形でやったんですよ。当然、トラディショナルな着物(デザイナー)の方々から、非難を浴びる覚悟でやったんですけれど、結構、感謝もされまして。

やっぱり着物業界自体が大きくなればいいと思ったんですね。芸術って、もし誰も興味を持たなくて、ぽーんと置かれて、誰にも知られないままに終わっちゃったりだと(意味がない)。

例えば、クラシックのコンサートにしても、僕はもっと多くの人に「クラシック」を聴いてほしいなって思うタイプで。“こんなに素晴らしいもの”、だからこそ、起爆剤になればいいなって。

次回のカーネギーコンサートが。

YOSHIKI うん。やっぱり、ポップやロックやEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)に比べてクラシック(に触れる人)の絶対数が極端に少ないと思うんですね、特に若い人たちは。

なので、着物もそうなんですけれど、革新的なことができれば、もっと目を向けさせれるんじゃないかな、と。もちろんあくまで、正当性というか、着物なら、本来着物が持っているトラディショナルな部分を尊重して。

その上で革新的なことをしたいなっていう…。

革新的なことをするのは、専売特許ですし。

YOSHIKI 自分でいうのもなんですけど(笑)、得意技かもしれないですね。いつも、いろんなことを思いついちゃうので。

でも、まだまだそのトラディッショナルな部分が僕は弱いと思っているので、そこにいかに近付けるか、そのために今、両方向から、作業をしている感じですね。

クラシック本来のものに近付けながら、革新的なことに挑戦していく、と。

YOSHIKI まさしくそうですね。なので、だからこそ、刺激的なものをやる自信はありますね。前回、2年前のツアーの時に、やってることは間違ってないんだなって、かなり確信できたので、はい。

プレッシャーは、感じられないですか。

YOSHIKI もちろん、感じます。ただ…昨日、実際に(カーネギーに)行ってきたんですけど、誰もいないシーンとしてる中、木のステージの上を一人歩いて、カツ、カツ、カツ、って(靴の)音を自分で聞いて、その響きだけでジーンときちゃって(笑)。

はー、ここで僕はピアノを弾けるんだなぁって、ここで鳴らすピアノの音はどういう音だろう、って。同時に、どういう音を奏でればいいんだろうかって、もうイメージが次から次へとあふれ出てきちゃって。

あのー。過去インタビューさせていただいて3回とも感じたのですが、YOSHIKIさん、音楽の話をされている時は本当に楽しそうですね。キラキラして話されます。

YOSHIKI そうですか(笑)。うん、そうかもしれないですね。僕は、いつも、音楽を長くやっていることで、どこかで、それが職業みたいになっちゃうことが嫌だって思ってるんですね。

はい。


YOSHIKI ツアー中も、例えば、ホールに行って、リハーサルやって、決められたソングリストをこなして、で、終わるだけのショーは嫌だ!って、よく言ってましたね。

僕たちにとってのそのショーは(ツアーの中の)50あるうちの一つかもしれないけど、お客さんにとっては、最初で最後のショーかもしれない。

このショーが、最後のショーだって気持ちで毎回やらなきゃダメなんだ!ってことを、よく、メンバーに(言ってました)(笑)。

何か、ちょっとメンバーの中で、変にたるんでる時期があって、(1995~96年の)「DAHLIA TOUR」の時かな、これは、もう、刺激を(メンバーに)与えようと思って、初日の1曲目で、僕、ドラムをぶっ壊して帰っちゃたんですよ。(笑)

わははは。

YOSHIKI 山形かどこかで(笑)もちろん、その後戻ってくることは、一部のスタッフには伝えてたんですけど。ちょっと「みんな、最近、刺激が足りないから」って。で、1曲目で帰っちゃって、1時間くらい中断して。

またドラムをつけ直して始めたんですけれど。やっぱり、その時も、僕たちが予定調和でやっちゃったらいけないなって思ってたんですね。毎回、毎回が、「最後」くらいの気持ちじゃなきゃいけないっていうのは常に思ってまして。

はい。

YOSHIKI やっぱり、その気持ちを失くしたら、僕はミュージシャンをやめてもいいと思うんですよね。というか、やめなきゃいけないと思ってるんです。

……(しばらく考え)うん…やっぱり僕は単純にロックが好きで、クラシックが好きで、音楽が好きな少年のままここまで来ちゃったのかもしれないし…多分、この先も一生そうだと思うんです。

その気持ちを失くしてしまったら、もう(人に)感動は与えられないと思うので。そうですね、それはすごく大事にしているところでもありますね。

その少年が、マディソン・スクエア・ガーデンを成功させ、次はカーネギーで演奏します。YOSHIKIさんはよく「自分の人生がまるごと夢なんじゃないかと思う」とおっしゃってますよね。

YOSHIKI 夢みたいですね。まず、思う。思って、考えて、じゃ、やろうかってなると、形になってしまう。今度のカーネギーホールにしても、ご一緒する東京フィルハーモニック(オーケストラ)の中に何人か友達がいたので「もし、興味あったら一緒にやりませんか」って言うと、先方のスケジュールがその日、たまたま空いていて。なので、たまたま実現して。

たまたまで東京フィルは動かないです!

YOSHIKI いや、たまたま、その日が空いてたんで…。

絶対、違います!(笑)。日程空いてただけで、YOSHIKIさんじゃないと承諾しないです、東京フィルハーモニック(笑)

YOSHIKI でも、物事を思うと現実になってしまうというのは、うーん、すごく不思議でもあり、何かマンガみたいな感じだと思うこともありますね…。

ただ…“夢”みたいな人生と、その一方で、X JAPANは強烈な“現実”の中を生き抜いてきた歴史もあったと思うんです。メンバーの死であり、離脱であり、ご自身の病気であり。

YOSHIKI はい。

前回「音楽をやめようと思ったことが何度もある」とおっしゃいました。それでも、そのつどステージに立った理由を、言葉で説明するのは難しいでしょうか。

YOSHIKI そうですね…。まぁ、メンバーの死とか、僕の病気とか、確かにいろいろとあったんですけれど、でも、別れや病気や事故って、もちろん僕だけじゃなくて、皆さん経験してると思うんです。

友達との別れであったり、家族との別れであったり。みんな通ってることですから。でも、僕は、その痛みを現実に変換できる仕事をさせてもらってるので。ある意味、ラッキーかもしれないですね。

感じた「痛み」を、自身の音楽という現実に昇華している、と

YOSHIKI 言い方によっては僕は恵まれているんだと思います。「痛み」や「苦しみ」を表現できない職業もこの世の中にいっぱいある中、僕はそれらをメロディーや、詩にできるじゃないですか。

自分の痛みを現実にして、ひょっとしたら、それを聴いてくれた人たちを助けられているかもしれない。痛みを感じるほど、(聴いている)人を救えているかもしれない。んー、なんていうんだろう。

聴いた人が、「必ずしも、自分だけが不幸じゃない」「明日から頑張ろう」って思えてもらえてるんじゃないかなって。

昨日のプレミア試写会で拝見したドキュメンタリー映画「WE ARE X」はそのあたりを非常にうまく描いていた作品かと思いました。

メンバーの歴史と、ファンの思いが奇跡的にリンクしているバンドなんだなぁと。ご自身は観られてどういった感想を持たれましたか。


YOSHIKI 撮影されている時は、その部分、部分はなんとなく分かっていたんですけれど、その後、監督やスタッフが編集に入っている時に、(完成を)急に見せられたんですね。

出来上がりを、そこで通しで見て。

YOSHIKI うん…。やっぱり、言葉が出なかったです。僕も(撮影時)「あの時はつらかったね」とか話したことはもちろん覚えていたんですけれど、作品を、100分弱かな、凝縮して見せられたら、「なんなんだ、この人生は」って。

映画の中のストーリーにしか見えませんでした。

YOSHIKI 僕も思いました。いや、映画でもここまでドラマチックにしないんじゃないかなって。僕が脚本を書くとしたら、ここまではしないんじゃないかなって。

やり過ぎというか、映画の脚本なら逆に少し盛り過ぎに感じちゃいますね。

YOSHIKI その通りですね。ハッキリ言って、びっくりしました。感想は? って聞かれても、言葉が出なかったです。何も言えなかった。撮影中(のインタビュー時)から泣きまくってたんで、(観ていても)涙が出るシーンがいっぱいあって、そうかと思えば、笑えるシーンもいっぱいあるので、最初に観た時は、気持ちの整理がつきづらかったですね。

試写会場で、隣に座った日本人女性が最初っから、最後まで泣きっぱなしでした(笑)。あと、泣きながら、大笑いもしてました。

YOSHIKI 僕もそうでした。(笑)

あの映画を観ると「最初は本当に音楽を好きだっただけの若いコたちが、世界的なメジャーバンドになっちゃった」というのが分かる気がします。だからこそ、昔のX JAPANを知らない若い人にこそ、観てもらいたいなと思いました。

彼らはすでに世界的なカリスマバンドになった後の、Xしか知らないと思うので。


YOSHIKI おっしゃる通りですね。

ミュージシャンのドキュメンタリーって、そのバンドのファンの方たちが観るというイメージが強いんですが、この作品は僕たちのことを全く知らない人でも、なんなら音楽に興味がない人でも観ていただければ感じるところはあるんじゃないかなと思いますね。

そういった方々にもぜひ、見ていただきたいって思える作品になってると思います。

ニューヨークとロサンゼルスでは21日に公開されます。来場される方々にこの映画を通じて、何を感じてもらいたいでしょう。

YOSHIKI こっちの日本の方って、昔ほどではないかもしれないけれど、異国の地に来て、戦ってるわけじゃないですか。僕の場合も、何かを変えようと思って来たと思うんです。

でも、だからといって海外のアーティストのようになりたいと思ってきたわけじゃない。外国の人の音楽みたいなものを作りたくって来たわけじゃない。

だからといって、必要以上に日本人であることを主張して、そこにそのままいたら、何も前に進まなかったと思うんです。こっちの環境なり、カルチャーなりを頑(かたく)なに意識しないでいたら、何もできなかっただろう、と。

たぶん、その両方を持って、でもやはり日本人としてここにいると思っている自分もいる。

はい。

YOSHIKI そう考えた時に、未来を語るならば、人は「過去がこうだったから、未来もこうなんだよ」っていうわけじゃない。「過去がどうであれ、未来は変えられるんだ」って気持ちを持ってほしい。この映画を見て感じてほしいことはそこですかね。

一つのインディーズバンドが紆余(うよ)曲折あったけれども、今、ここにいる、と。

YOSHIKI だって、まさか20年前には、ここまで日本酒が世界で流行(はや)るとは誰も思わなかったじゃないですか。日本のアニメーションがこんなにこの国でブレイクするなんて、想像つかなかったと思うんです。

まさか、X JAPANがマディソン・スクエア・ガーデンで(コンサートを)やるなんて、僕自身(当時は)思ってもみなかったし。

そしてカーネギーも。

YOSHIKI 結局、僕はただ諦められずにいただけなのかもしれないんですけど。日本のアーティストの方で、とりあえず2、3年こっちに来て、「もう、いいか」って帰る方がいっぱいいると思うんですけれど、僕は20年居続けてしまった(笑)。

必ず、いつかは、周囲を変えるくらいの意識を持ち続けていれば、(未来を)変えられると思うんですね。もちろん、周囲を変えようとするより、周りに変えられてしまった方が楽かもしれないですけれど(笑)。

でも、僕は「変えてしまおう」って思うタイプなので。

普段、こうやってお話されている時と、ステージ上のYOSHIKIさんが別人に見える時があります。どちらのYOSHIKIさんが本物のYOSHIKIさんなんでしょう。

YOSHIKI どっちもです(笑)。どっちも僕だと思いますね。

どこかでスイッチが入る瞬間がある?

YOSHIKI 基本的にスイッチはずっとONなんです。なんだろ、例えば先々週、香港で17本くらい、インタビューずーっとが続いたんですよ。で、「これ食事する時間もないじゃん!」って気付いて(笑)。

でも「もう、いいや、やっちゃおう!」って。最後はへとへとになったけど、でも気合いじゃないけど、僕もせっかく香港にいて、これだけの記者さんが集まってくれるので、やるしかないっていうか。

17本……。10時間は必要ですよね…。

YOSHIKI 僕は目標を決めたら絶対にやるので(キッパリ)。気合いというか、根性は多分、人の何倍もあると自分で思っていて。もともと呉服屋で育ったので、母親からすごくしつけの厳しい環境で育てられたんですね。

殺気と言っていいのか、そういったものは今でも持っていますね。それがあるから逆に、余裕を持てるというか。なので、ステージ上でパフォーマンスしてる僕も、今ここで(余裕を持って)話してる僕も、たぶん、同じなんだと思います。

見た感じが違うだけで。

YOSHIKI 分かりやすく言うと、例えば、ニューヨークの街を歩くとき、どこかから撃たれるんじゃないかと思ったりもするじゃないですか。でも、それもある種、開き直って歩くしかない(笑)。そうすると、楽しく歩けちゃう。

分かった上で、それも楽しもう、と。そのあたり、変に気合いを入れてもしょうがなくて、それを超越したところにいたい。全ての瞬間に、僕は全力で生きていると思うので。

結局、芸術を作り上げることって、その過程を含めて、全て戦争みたいなものじゃないですか。僕は常に戦場にいる感覚なので、いるからこそ、逆にいつも気張っててもしょうがないというか、ある程度、超越しているってことかもしれないですね。

ファンにとってみれば、そこが少し心配なところかとも思うんです。アルバム制作のたび、コンサートのたび、文字通り命を削っているように見えて…。

YOSHIKI ここ数カ月、何回か、「オレ、過労死するんじゃないかな」って、感じたことはあります。昨日も一睡もしてないので、朝、死ぬんじゃないかなって。(笑)

…いや、笑い事じゃないですー。

YOSHIKI 大丈夫です(ニッコリ)。でも、常に頑張らないといけないと思うんですよね。X JAPANって、まだまだ、アメリカ、ヨーロッパを含めると、そこまで需要があるバンドじゃない。もっと需要があるバンドになるまでは、ね。

そうなれば、ニューヨークでもコンサートを毎年開催していただけますか。

YOSHIKI もちろん。そうなるように頑張ります。(にっこり)

インタビューの舞台裏 

YOSHIKI

職業:ドラマー、音楽家、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー

1989年にメジャー・デビューしたロックバンド、X JAPANのドラマー/ピアニストで、バンドのリーダーも務めている。

ピアノのスタジオ・アルバムを3枚リリースしており、これまでのソロとしての大きな仕事には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」のための奉祝曲(1999年)、「日本国際博覧会(愛知万博)」の公式イメージ・ソング(2005年)、米ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(12年)などがある。

公式サイト:www.yoshiki.net

〈インタビュアー〉

高橋克明(たかはし・よしあき)

専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。

現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。

人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

出典:ニューヨークビズ

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