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東日本大震災の被災地に霊が出ているという。死に別れた大切な人との不思議なめぐりあいに、生きる力をとり戻した人がいる。いっとき孤独を忘れた人がいる。自分を責めてはいけないと思えるようになった人がいる。

震災後5年以上たった現在も、死者と生者のあいだで紡がれる様々な物語。被災者のもとに通い、霊体験を取材し続けているノンフィクション作家、奥野修司さんに話を聞いた。

そもそも霊体験には興味がなかったそうですね。

僕は自分を“全身合理主義者”だと思っています。いま書いている本も、がんと分子生物学がテーマですから霊とはまったく関係がありません。ところが、2003年から末期がんの患者さんを取材するようになって変わってきました。

彼らの多くが死の間際にスピリチュアルな体験をしていることを知ったからです。亡くなった肉親や知人が現れる「お迎え」です。この現象は僕の祖父が亡くなるときにもありました。昭和30年代ぐらいまで、お迎えは普通にあったんです。

ところが、それを現在の医療の現場では幻覚やせん妄として処置されていることに違和感をもちました。しかし、医者でもない僕がお迎えについて書いたところで説得力に乏しい。

それで医者の口から語ってほしくて捜しているときに岡部健さん(1950年生まれ、神奈川県出身。東北大学医学部卒。静岡県立総合病院呼吸器外科医長、宮城県立がんセンター呼吸器科医長などを経て、1997年に岡部医院、1999年に医療法人社団爽秋会を設立。

末期がん患者の在宅緩和ケアに注力し、2000人以上を看取ったが、自身もがんのため2012年9月27日没。)と出会いました。

「お迎えって信じますか?」と聞くと「お迎え率って知らねえだろ」と返されて、ぐっと惹かれて取材を始めました。

それで『看取り先生の遺言』(末期がんであった岡部健医師を2012年1月から同年9月に亡くなる直前まで170時間以上をかけて取材、医療の問題点、制度への疑問、死との向き合い方などを示した。2013年、文藝春秋刊(2016年、文春文庫)。)を書いたんです。

人が亡くなるとき、例えば、肺がんの末期には体内の炭酸ガスが増えてきます。肝臓が悪くなるとアンモニウムイオンが増えてくる。ほかには一酸化窒素など、臓器によって様々ですが、何が増えても気持ちよくなるんです。

それは生命に備わった安全装置じゃないかと思っています。お迎えも同じで、見た本人が気持ちいいんだったら、あることを否定せず、認めてあげればいいと思いました。

『新潮』4月号に書かれていましたが、お迎えに興味があるのなら東日本大震災で被災した人たちの霊体験も取材して記録として残すべきだと、岡部医師から説得されたそうですね。


当時、お迎えは取材したいと思っていましたが、幽霊となると、ちょっとそこまでは……というのが本音でした。全身合理主義者としては、どう処理したらいいかわからなかった。

そもそもノンフィクション自体、検証できる事実をとりあげる仕事なので合理主義で成り立っています。なので、合理主義から外れるのは危険だと思っていました。

でも、亡くなる直前に岡部さんから強く言われたり協力者を紹介されたりしたので動いてみることにしました。とりあえず取材を始めれば何か出てくるだろう、走りながらわかってくるだろうと思って。

岡部さんの奥さんが石巻のご出身だったこともあり、最初は石巻から南相馬のあたりまで取材しました。仮設住宅で取材して2人の方から聞いたのですが、霊を見たことを東京から来たお医者さんに話したところ精神病の薬を処方されたそうです。

彼らは自分が精神病になったと思って、とても恥じている様子でした。見たことは事実なら、認めてあげればその人は凄く楽になるのに。それで被災地の霊体験のことを書こうと思ったんです。

霊体験の取材を続けるのはつらくないですか?


最初は怖い話ばかり聞かされていましたから、続けるのはつらいなと思っていました。家のドアを開けたらびしょ濡れの女の人が立っていた、とか。恐怖を集めても希望がないじゃないですか。

それに真剣に聞けば聞くほど情念のようなものが移ってきて、こっちまでつらくなるんです。これは精神科の現場ではよくあることで、例えば患者からDVの体験を聞いていると、まるで自分までDVを受けたような感覚になってくる。

僕自身も『心にナイフをしのばせて』(1969年に神奈川県で発生した高校生首切り殺人事件の被害者遺族を10年にわたって取材したノンフィクション。2006年、文藝春秋刊(2009年、文春文庫)。)で、殺人事件の被害者家族を取材したときに嫌というほどそういうことがありました。

だから今回の取材はあまり乗り気じゃなかった。ところが石巻の大街道の信号のところにおばあちゃんが立っているという話を岡部さんから聞いて心を動かされまして──。

『新潮』には岡部医師の言葉として、こう書かれています。

〈「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。なんで私の前に出てくれないんだと思っただろうな、でもそんなことはおくびにも出さず、私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」〉。

──読んでいて胸が締めつけられるような話です。


親しかった人の霊を見るということは、亡くなる前にふたりで暮らした時間の積み重ねと密接な関係があるのではないかと考えました。それで亡くなったおじいちゃんと信号で待っているおばあちゃんの人生を知りたくなりました。

そういう取材も楽しいんじゃないかなと思ったんです。

石巻市は東日本大震災の被害がもっとも大きかった町で、4000人近くの方が亡くなったり行方不明になったりしました。


石巻の大街道というメインストリートはいつも混んでいるので、よく抜け道を通るんです。ところが2012年ごろ、いきなり飛び出してきた人を轢いてしまったのに、車から降りたら誰もいなかったという通報が相次いで、警察はその道を夜間通行止めにしました。

解除されたのは2014年ぐらいですから、長く続きました。最初はそういう話ばかりが伝わってきて、親しかった人の霊の目撃例はあまりなかったんです。

今回、本格的に取材を始めたのは何年ですか?


2013年ですね。2012年は他人の霊を目撃した話ばかりだったのが、2013年の夏を過ぎたあたりから大切な人の霊を見た体験談がぽつぽつと出てきました。

あとから聞くと震災直後から霊を見ていた人もいましたが、2〜3年たって気持ちが少し落ち着いて、頑張って生きてみようかなと思えるようになってから見るようになった人が多いです。

この世に現れたら、遺された親があの世に行きたがるだろうからと死んだ子が心配して、すぐには出なかったんじゃないかと取材で語った親御さんもいました。

できるだけ早く取材を開始すべきだと岡部医師に言われたそうですが。


家族を突然に喪った人は、自分は大丈夫だと納得させるために物語をつくります。そうすることで人生の断絶を修復しようとする。だから、激しかった喪失感が落ち着くにつれて霊体験は変わっていくんじゃないか。

変わる前に聞いたほうがいいんじゃないかと岡部さんから言われていました。だけど実際に取材してみて、変わってもいいと僕は思ったんです。2013年に行なった取材は、話してくれる方も精神的に不安定で、さほど細かいことを聞けていません。

それが2014年になって詳しく聞けるようになってきた。これでいいと思います。遺族にとっては納得することがグリーフケア(身近な人との死別を経験して悲嘆に暮れている人が日常生活に戻れるようにサポートすること。)に繋がるんです。

現在まで何人ぐらいの被災者から霊体験の聞き取りをしましたか?


約30人です。そのうち原稿に書けるのが17人ぐらいだと思います。

取材に応じてくれる人をどうやって見つけるんですか?


いろいろ試しましたが知人の紹介がいちばんでした。いろんな人に声かけて、ひたすら待つ。僕がよく知っている人の紹介ということは、その人から見て大丈夫だろうということなので、より信頼性があるんです。

話されたことが事実かどうかをどうやって判断していますか?


判断するものはありません。その人が体験したことを証拠立てるものは何もないんです。嘘をつこうと思えばいくらでもつけますから、極めて危険なテーマではあります。実際に僕が聞いたなかでも、嘘だろうと思った話もありました。

何度も会ううちに嘘をついているかどうかわかってきます。わからなかったら、取材をすべてやめていますよ。例えば、家族全員が見たケースなんかは信頼性が高いですよね。僕は自分が大丈夫だと判断できた話だけを原稿に書いています。

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